第40話 災害

 翌日から工場は本格的に稼働し始める。

 とは言っても、現場責任者である志木がすることはない。あっても書類の作成や承認だろう。現場監督は、作業員の一人が主任となってやってくれることになった。

「というわけで、暇になってしまった……」

 厚生局出張所の仮眠室で、クデーッとしている志木。

「カイト、暇なら役所の書類整理手伝ってくれない?」

 ルーナから厳しい言葉が飛ぶ。

 極東共通語ならいいのだが、役所が使っているのはナーロ語だ。残念ながら志木は、ナーロ語を読むことができない。そのため、役所の書類は全てルーナに任せているのだ。

「いやぁ、英語とかドイツ語とか出来ない人間だからさ……」

「なんのことかはさっぱりだけど、早くナーロ語覚えてよね」

「ウス……」

 そんなことを話していると、カロンが勢いよく部屋に入ってきた。

「大変です!」

「なっ、なんスか急に……」

「カイトさんじゃありません! ルーナ様にです!」

「え? アタシ?」

 カロンは軽く息を整えると、はっきりと報告する。

「ハシャリ邸宅に鉄火中隊と思われる武装集団が襲撃しました」

「嘘ッ……!」

 ルーナは椅子から立ち上がる。

「お父様は!? 屋敷の皆は無事なの!?」

「落ち着いてください。確実に言えることは、人的被害はないことです」

「良かった……」

 ルーナは安堵したのか、ゆっくりと椅子に座る。

「ですが、被害は小さくありません。敷地の一部を破壊され、聖水を生成する小屋も半壊したとのことです」

「そんな……。それじゃあ聖水の供給が減ってしまうわ……」

「確かに心配だ。現状、聖水を使った衛生観念が主流だから、需要と供給のバランスが崩れる」

「しかし、そのための石鹸作りでは?」

 志木の言葉に、カロンが疑問をぶつける。

「その通りではあるのですが、聖水の効力を知っている国民に対して、いきなり石鹸に切り替えろといっても反発を食らうだけです。まずは、聖水と石鹸の効力は同等であるという認識を植え付けなければ、石鹸の製造が無意味になります」

「そのあたりから考えないといけないのか……」

 カロンは少し狼狽える。

「とにかく今は、石鹸がどこまで製造出来るか。どこまで値段を下げられるかが問題です」

「そうなると、国民に使ってもらうにはどうしたらいいのか……。ちょっと考えたほうがいいわね……」

 志木とルーナがそのことを確認していると、部屋の外からドタバタと音がする。

「カイトの旦那! 大変だ!」

 扉を開けたのは、石鹸を作っている作業員の一人だ。

「何かあったんです?」

「そうなんだよ! いいから早く来てくれ!」

 志木は言われるがまま、部屋を飛び出す。ルーナも一緒についてくる。

 工場まで走ると、工場の中から煙のようなものが上がっていた。

「何があったんですか!?」

 志木は若干息を切らしながら、工場の外にいた作業員に尋ねる。

「そ、それが、油と水を混ぜていたら、急に鍋が熱を持っちゃって……」

 志木は工場の中を見る。よく見ると、鍋から大量の湯気が出ていた。

「あぁ……。もしかして、アルカリ溶液に油を一気に入れました?」

「そ、そうなんですよ」

「それじゃあ、大量の熱が発生して当然ですね。少量で熱量が小さくても、量を増やしたときに大量の熱が発生しますから」

「先に言ってくれ!」

「と言われても……。これはおそらく、やってみないと分からなかったことですね。危機管理活動で予測は可能だったかもしれませんが……」

 そういって志木は辺りを見渡す。

「とにかく、ケガをしている人はいませんか?」

「それなら、こいつの様子を見てくれ」

 志木は声のした方に向かう。そこには、腕が赤くなっている作業員の姿があった。

「これは……、蒸気に当たってやけどした状態か……? まずは患部を冷やさなきゃ」

「なら、アタシに任せて」

 一緒に来たルーナが買って出る。

 ルーナは患部に手を当て、詠唱を唱える。

『ワギバインゲン、コレバヒヤシン』

 すると、ケガした作業員の腕の回りが冷やされて、冷気が漂っているのが分かるだろう。

「いてててて! 嬢ちゃん、冷えすぎて痛いぜ」

「すぐに回復魔法使ってあげるから、もうちょっと我慢して」

「いぃぃぃ……!」

 変な声を上げる作業員。その後、回復魔法をしてもらったことで、患部の見た目はだいぶ収まった。

「さて、負傷者の救護が終わったところで……。あれどうするかな……」

 いまだに蒸気を発する鍋。かなり熱を持っていることだろう。

「でも、さっきよりはマシになりましたぜ?」

「なら、かき混ぜるチャンスではある……」

「それなら、カイトの防御魔法が使えるんじゃない?」

「……俺?」

 ルーナが言うには、自身に防御魔法を使って志木がかき混ぜるというものだ。

「不可能じゃないけど……」

「じゃあやってみないと分からないじゃない」

 結局、志木がかき混ぜることになった。

 志木は防御魔法を展開し、大きな木べらを持つ。そして、防除魔法の外側から蒸気に当たらないように、慎重にかき混ぜていく。

「お、重い……! まるで手の先に大きな岩がくっついたようだ……!」

 そんな状況を見かねた作業員が、志木のもとにやってくる。

「俺が混ぜます。旦那は防御魔法をお願いします」

「わ、分かった」

 こうして1時間ほど混ぜると、蒸気が出なくなってきた。防御魔法を解除し、複数人でかき混ぜる。

 3時間ほど経過すれば、いい感じの石鹸の素が出来るだろう。

「ふぅ、何とかなった……」

「お疲れ、カイト」

「いやいや、俺だけの力じゃないよ。作業員の皆さんもお疲れ様でした」

 こうして、ちょっとした労災が起きたものの、なんとか乗り越えることが出来た。

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