6. マネージャー志望


「まあとにかく」


 高校入学前はアメリカにいたことが判明したつかさへの驚きもそこそこに杏は話題を変えた。


「三人目が入部してくれなかったのは残念だけど、二人が入ってくれたおかげで廃部も免れたし試合にも出られるんだから贅沢は言えないか」

「あのー……」


 環奈がばつの悪そうな表情を浮かべている。


「ん? どうした環奈」

「その、私……マネージャー志望なのですが」


 杏ともなかは何を言っているんだというように環奈を見つめる。その後、環奈の隣にいるつかさへと視線をすべらせ、杏が尋ねた。


「まさかとは思うけど、つかさは違うよな。あ、いや、ごめん。そんなわけないよな」

「私もよ」

「えぇっ!」


 もなかが飛び跳ねるようにして声を上げた。

 驚きのあまり言葉を失った環奈は首だけを横に巡らせ、目を見開いてつかさをまじまじと見る。杏も大きく目を見開いた。つかさは怪訝そうに小さく首を傾げ、平坦な声で言った。


「私もマネージャー志望よ」

「嘘だろっ」「嘘だよねっ」「嘘ですよねっ」


 異口同音に言い、ぎゅっと手に力を込めてつかさを見つめる。

 三人の哀願の混じった言葉に、つかさはわずかな間を置いた後、しれっと言ってのけた。


「嘘よ」


 水を打ったように静まり返る。この瞬間だけ隣のコートで練習中のバレー部からも音が消えた。ちょうど、練習メニューの一つを終えた瞬間だった。

 やがて、バレー部のほうから音が戻った。


「ふー」


 三人は安堵のため息をついた。ほっとして全身の力が抜けたもなかと環奈はその場にぺたんと座りこむ。

 だ、だよなー、と杏は引きつった笑みを浮かべながら冷や汗を拭った。


「もう。つかさの冗談は冗談に聞こえないって。冗談ならもっと冗談ぽく言ってくれないと」

「あーびっくりした。あんまり驚かさないでよね、つかさちゃん。心臓止まるかと思ったよ」

「ごめんなさい」

「いいよいいよ。なんか安心したし」

「安心?」

「いやね、つかさちゃんは無表情でアンドロイドみたいっていうか、何考えてるのかよくわからなくて、怖くはないんだけどちょっと話しかけづらい気がしてたんだよね。でもそういう冗談も言うんだなって思ったらなんか安心しちゃったんだよ」


 先輩は、と最後に自分で付け加えておきながら、もなかは照れる。


「ちょっともなか先輩、失礼ですよ」


 すぐさま環奈に諫められた。


「へっ、あの、えと、ごめんねー」


 こほん、と杏が咳払いをした。


「まあなんていうの。嘘も方便と言うけど、基本的にやっぱり嘘はいけないよなー、嘘は。特に今回のは言っちゃダメな部類の嘘だぞ。わかったか、つかさ?」


 つかさはこくりと頷いた。


「素直でよろしい」


 杏は視線を移す。


「環奈もわかったな? 今回みたいな嘘はだめなんだからな」

「はい。すみませ――って、ちょっと待ってください。私のは嘘じゃないです」

「ちっ。もうちょっとだったのに」

「もう、杏先輩。丸め込もうとしたって無駄ですよ。私はマネージャーとしてでなければバスケ部に入る気ありませんから」


 本心ではないのだろうが、最後はせめてもの抵抗をするかのように突き放すような言い方をした。


「なんでなんだよー。なんで急にマネージャーに転向なんだよー」


 幼子が駄々をこねるように杏は取りすがる。


「最初から私はマネージャー志望です。先輩たちが言う隙を与えてくれなかったんじゃないですか。私はマネージャーになりたいんです」

「うちには怪我で離脱中のエースも転入予定の救世主もいないっていうのにい~」

「なんでもう諦めてるんですか。私はコートの外であーだこーだ言っていたいんです」

「野次るの?」

「野次るタイプなんだ」

「野次りませんよ」


 とにかく、と環奈は杏たちから距離を取る。


「手っ取り早く頭数を揃えようとしないほうがいいですよ。私じゃない誰かを勧誘することを強くおすすめします。私が試合に出てもお役に立てないどころかむしろ邪魔になると思うので」


「そんなことないよ。あれ? 環奈ちゃんって経験者じゃなかったの。まあ未経験だったとしても練習すれば大丈夫だよ」


「初心者ではないです。中学三年間バスケ部で、一応選手でした。でも初心者の人のほうが私より役に立つと思います。何せ私は中学時代のチームメイトに『コートにカラーコーンを置いておくほうがまだ役に立つし信頼できる。パイプ椅子ならなおよし』って言われたくらいですよ? 私だって立ってることくらいならできるのに、それでもカラーコーンや椅子のほうが役に立つどころか信頼までされていたんです。私とコートに立ったら後悔しますよ」


 これには杏ともなかもしばし二の句が継げなかった。


「そんなの気にするなって。ほら、きっとあれだよ。ちょっと大げさに言っただけだって。それに、それは三年間を共にしてきた環奈との信頼関係があったからこそ言えたんだよ。な、なあ、もなか」


「さすがに三年も練習してカラーコーンに負けることはないもんね。幽霊部員かつとんでもない運動音痴っていうなら話は変わってくるのかもだけど」


「練習を休んだことは一度もなかったです。皆勤賞です」

「すごいじゃん環奈ちゃん。うん。自信持っていいよ」


 もなかは慌てて励まし、あ、そだ、と話題を変えた。


「つかさちゃんもやってたことだし、試しにちょっと一対一でもやってみようよ。私と環奈ちゃんで」

「ちょ、ちょっと」


 環奈は抵抗した。もなかは「大丈夫、大丈夫」と環奈の背中を押す。


「本当に私はダメなんです。バスケが大好きでもやるのは大の苦手なんです」

「じゃあ環奈ちゃんからオフェンスね」

「こうなったら仕方ありません。やるからには本気でいきますので、もなか先輩も手加減はなしでお願いします」


 嫌がる環奈ではあったが、しかし意外にも潔く対戦を受け入れた。



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