4. 部員勧誘 2


 教室を後にした遥は階段を下りて昇降口へ向かう。

 先ほど担任から説明のあった部活見学には行かず帰宅する。遥には明日も明後日もその次の日も部活を見学する予定はなかった。


 高校からはバイトを始めようと決めていた。

 どんなバイトをしようか。接客、裏方、まだ知らない職種もあるだろう。

 初めてだから不安もあるが楽しみだった。


 昇降口から外に出て、校門への道を歩きながらそんなことを考える。


「あの、すみません」


 見知らぬ人物に声をかけられた。他の一年生よりもあどけなさが残る小柄な少女だった。


「結城遥さん、ですよね」


 どうして自分のことを知っているのだろう。面識はないはずだった。


「はい。そうですけど」

「いきなりすみません。えと、私は日場環奈っていいます。一年生です。中学はバスケ部でした」


 バスケ部……大会や練習試合での記憶を引っぱり出す。

 やはり見覚えがない。名前も聞き覚えがない。しかしなんだか急にどこかで会った気がしてきた。


「ごめんなさい。えっと、どこかで」

「いえ、私が一方的に結城さんを知っていただけですのでお気になさらず」


 ほっとする。もし話したことがあったらどうしようと心配になっていた。


「それより、まさか同じ高校だとは思いもしませんでした。結城さんほどの実力なら強豪校から声がかかったんじゃないですか」


 高校でもバスケを続けると信じて疑わないような目をしている。早いところバスケ部に入る意思がないことを話さなければなんだか面倒なことになる予感がした。

 早速切り出そうとしたとき、環奈の目の色が変わった。


「もしかして、弱小の無名校が強豪校を打ち負かしてこそおもしろい。それこそが最もしびれる瞬間であり至上の喜び。そのために私はここに来たあッ! ということですか」

「そんなんじゃな」

「くぅ~っ燃えますね、しびれちゃいますね! あーもう私、興奮して暴走しちゃいそうです」

「まだ暴走してなかったの」

「体の中で荒ぶる熱いものを抑えられなくなりそうです。あ~、もう今まで以上に高校バスケが楽しみになってきました」


 遥は圧倒されていた。おとなしくて控えめな性格かと思いきや、好きなことにはとことん情熱的になってしまうようだ。これほどまでの熱量で話されたら口を挟むタイミングが難しい。


「ところで結城さんっ」

「は、はい」

「結城さんはまだ入部届を出されていませんよね。それに体育館とは逆方向に向かわれていますが今日は用事か何かでこのまま帰宅ですか」

「あ、あの、日場さん」

「はい。なんでしょう」


 よもやバスケ部に入部しないとは微塵も思っていない無垢な目つきで遥の瞳をじっと見つめる環奈。

 すさまじく言い出しづらい。

 初めは、事もなげに入部しないことを告げるつもりだった。しかし環奈のバスケに対する情熱と期待を知ってしまうとそんな言い方はできなくなった。

 どうにか環奈をがっかりさせずに本当のことを伝えたい。でもどうすれば。


 結局名案は浮かばず、遥は重い口を開いた。


「私、バスケ部に入るつもりはなくって。その、だからこの高校に入ったのもバスケをするつもりがなかったからなんだ。ごめんね」


 目を見て話すことはできなかった。言い終えても反応がない。遥は恐る恐る環奈を覗き込んだ。


「ほえ……?」


 そこには自然とこぼれたのであろう声を発した環奈が立ち尽くしていた。

 抜け殻みたいになっていた。動く気配がない、かと思えば、哀願するような眼差しを向けてきた。


「う、嘘ですよね。何か悪い冗談ですよね。そうですよね結城さん」

「え、あの、えっと、本当にごめんね。中学のときから高校ではやらないって決めてたから」


 後ろめたくなりながらもなんとかもう一度自分の意志を告げた。


「そんな……」


 環奈は消え入るような声でそう言うと、うつむいてしまった。

 ちょうどそのとき。


「環奈ちゃーん」


 環奈がゆっくり振り向く。遥もそちらに目をやる。上級生らしき二人が歩いてくる。

 バスケ部の先輩かなとぼんやり見ていたら、彼女たちは二人ではなく三人であることに気づいた。


 もう一人は最初に視認した二人の背後を歩いていた。彼女は新入生だった。それも遥のクラスメイト。

 もしかしてあの子も?


「あれ、どしたの環奈ちゃん」


 先ほど声をかけてきた人物――もなかが聞いた。彼女の登場で、なぜか少し場が和んだ。


「せ、先輩」


 環奈がもなかの胸に飛び込んだ。


「おっと。どうしたの」

「結城さん、高校ではバスケ部に入るつもりないらしいです」

「それは個人の自由だからね。仕方ないよ。ほら、結城さん? 困ってるよ」


 もなかは環奈の頭をなでながら諭すと、遥に「ごめんねー」と苦笑混じりの柔和な笑みを向けた。環奈がもなかから顔を離す。


「結城さん。すみませんでした。バスケ部の件は諦めます」

「ううん。こっちこそごめんね」

「結城さんは悪くないので気にしないでください。あと、またお話とかできれば嬉しいです」

「うん。また話そうね。それじゃあ私はこれで」


 遥は頭を下げ、その場を去る。

 環奈の横を通り過ぎ、上級生二人の横を通り過ぎ、その後ろで静かに佇んでいた少女も通り過ぎようとして、目が合った。同じ一年生、同じクラスの斜向かいの席の少女、西宮つかさと。


 つかさが一歩前に出た。

 遥は足を止める。

 向かい合い、つかさが問いかけた。


「あなたはバスケが嫌い?」


 嫌い。

 考えるまでもなかった。

 しかしその言葉を口から出すつもりはなかった。


 彼女たちの前でバスケが嫌いだなんて言えるはずがなかった。

 自分に限らず「バスケが嫌い」と言えば、環奈は悲しむだろう。環奈だけではない。他のバスケ部員だっていい気はしないはずだ。遥には経験があった。まだ心の底からバスケが大好きだった頃、「バスケが嫌い」と誰かが言えば、例えそれが貶すつもりではなかったとしても悲しくなった。嫌いとまではいかずとも「おもしろくない」と言われればそれもまた悲しかった。


 正直に答える必要はないと判断したものの、当り障りのない言葉が見つからなかった。結果、遥は押し黙ってしまう。


「1on1。あなたと私で。だめ?」


 質問から一転、対戦を申し込まれた。

 これには困惑が強まったがなんとか言葉を返す。


「どうして私と?」

「なんとなく」

「私はバスケ部に入らないんだよ」

「あなたがバスケ部に入らないのは関係ないわ。ただあなたと1on1がしてみたいだけ」


 バスケが嫌いになったのだから当然バスケをするのも気が進まない。

 とはいえ、一度くらいならやってもいいかなと思ってしまった。


 それは相手が西宮つかさだから。

 高校生活初日から続けて遅刻をし、寝癖をつけたままふらふらと土足で教室に入ってくる、ただ抜けているのとはどこか異なる不思議な雰囲気を纏っや彼女がどんなタイプのプレーヤーでどんなプレーをするのか。そもそもバスケなんてできるのだろうか。無性に気になってしまった。


 それにつかさとは同じクラス。これを機会にバスケ抜きでも仲良くなれるかもしれない。

 バスケ部に入るわけじゃない。少しだけ、バスケをして遊ぶだけ。


「わかった。1on1しよう」


 つかさがこくりと頷く。

 対戦を承諾したのはいいが、ここであることに気づいた。


「あの……明日でもいい?」

「どうして」

「今日は体育館シューズしかなくて……明日なら」

「じゃあ私もそれでやるわ。着替えはある?」

「体操着なら」

「じゃあ私もそれでやるわ」



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