二人の歩く道
第47話
朝一の会議が終わり、社長室に戻ってきたと同時に、すぐスマホを確認した。やはり、月乃から連絡は返ってきていなかった。俺は長いため息をつく。
昨日の夜までは返事があった。今朝の挨拶から、彼女は返事をしてくれない。それどころか既読にもなっていない。
この土日、会えなかったことはかなり自分の心に影をもたらしている。今まではなんだかんだ言いながら、少しは会う時間を作ってくれたりしたのに、こんなことは初めてだ。
やっぱり、あの夜からぎこちなくなった気がする。
こんなことなら、何もしなければよかった……。
後悔しても遅い。俺はため息をつくしか出来ない。
せめて母親のことを何とかしようとしても、電話は出ないわ、家に行っても留守にしてるわで、全くコンタクトが取れない状態になっている。あの人は何がしたいんだ、一体。もう無視してればいいのだろうか? いや、また俺の知らないところで月乃に接触すれば彼女の負担になる。
一体どうすべきか……。
椅子に座り、ぼんやりとしているところに、東野が声を掛けてくる。
「お疲れですか」
「……月乃から連絡が返ってこない。悪いけど、出勤してるか見てくれないか」
「いつから返ってこないんです?」
「今朝。返ってこないだけならいい、既読にもなってない。何かあったのかも……スマホが壊れたとか、そういう理由ならいいんだが」
「そうですね、中谷さんはマメに社長に返してくれそうですもんね。ちょっと見てみましょう」
心配しすぎですよ、という言葉が返ってくるかと思っていたが、東野はすぐに動いてくれた。ここ最近の母や長坂萌絵のことを簡単にだが伝えてあるので、月乃の身を案じてくれているのかもしれない。
東野がこちらに背を向けたところで、電話が鳴り彼が出る。すると何やらトラブルなのか、珍しく困ったような声がした。
「本人がそう言ってるの? 今? ……それで」
なんとなくその光景をぼうっと眺めながら近くにあった書類を手に取っていると、彼が眉尻を下げた表情でこちらを振り返った。
「社長……今、受付に社長との面会を求める方が見えていまして」
「アポなし?」
「ええ。それが、長坂萌絵と名乗ったそうで」
ぴたりと手が止まる。嫌な予感がした。
仕事中に萌絵がわざわざ訪ねてくるということは、普通ではない。今までそんなことは一度もないし、何より月乃から連絡が返ってこないという状況も相まって、不安になる。
「呼んで」
「よろしいのですか?」
「何か用があるんだろう。東野も同席してくれ。変なことをされたらたまったもんじゃない」
「分かりました、すぐにお連れします」
彼はそう言うと、スマホを耳に当ててすぐに部屋から出て行った。俺は再び自分のスマホを取り出し、また月乃にメッセージを入れる。今まで仕事中は連絡を我慢していたが、状況が状況なだけに気になって仕方がない。
しばらくして、東野が帰ってくる。その後ろに、萌絵がいた。白いワンピースを身にまとい、艶のある黒髪を下ろして、いつも通りの余裕のある表情をしていた。
俺は立ち上がり、彼女の方へ歩み寄る。
「仕事中に何の用? 月乃に何かした?」
挨拶もせず単刀直入に尋ねると、萌絵はまず静かに頭を下げた。
「お仕事中にごめんなさい、碧人さん。でも、どうしてもすぐに見てもらいたいものがあって」
「見てもらいたいもの? 言っておくけど、何をしても月乃とは別れることはないし、君と戻るようなこともない」
「月乃さんが浮気していても?」
こちらを試すような目で言ってくる。苛立ちを隠すことなく言葉を返す。
「この前もそんなことを言ってたけど……何がしたいの? 月乃はそんなことをする人じゃないし、俺は君の言葉よりずっと月乃のことを信じてるから」
「……あの子と付き合った期間なんて、私との時よりずっと短い。なのにそんな信じてるなんて、碧人さんはやっぱり優しい。そんな碧人さんを裏切るなんて、私許せなくて、だからいてもたってもいられなかったの」
目にじんわりと涙を浮かべ、萌絵は持っていたブランド物の鞄を漁ると、中からスマホを取り出す。操作しながら、早口で言う。
「中谷さんをそれほど信じてる碧人さんを裏切ったこと、どうしても許せない……私もあなたを試すようなことを過去にした、それは謝る。でも彼女は試してるんじゃなくて、本気みたいなの」
涙声で言った萌絵は、俺に一枚の写真を見せた。画面に表示されたそれを見て、息が止まる。
ベッドの上と思しき場所に、月乃が眠っていた。髪は乱れ、広がっている。首元はすっきりとした肌色が見え、鎖骨から下は布団で隠れていた。裸のように見えた。
そしてその隣に、顔は映っていないものの男の後姿が映っている。寝ている月乃を覗き込んでいるような格好だった。
見るからに、事後のような写真。
頭の中は、真っ白になった。
何が起こったか分からなかった。完全に脳が活動を停止し、周りの世界が音もなく消えてしまったような感覚だった。今まで築き上げてきた自分の人生が、音を立てて壊れていくような気がした。
幼い頃一人で食べた夕食より、両親に無視された時より、ずっと寂しくて悲しくて、同時に怒りがわいた。すっかり自分を見失い、体中が怒りという感情に満たされる。
「ね? 言ったでしょう……私は嘘なんて言ってない。あの人、浮気してるの。碧人さんがこれだけ想っているのに……こんなの、許せないでしょう? ショックだよね……」
遠くで誰かがそんなことを言っている。俺はその内容も理解すら出来ず、目の前に差し出されているスマホをそっと手に取った。同時に、反対の腕に誰かのぬくもりを感じる。細い指が触れ、抱き着かれているのだと、俺はすぐに理解できずにいた。
月乃の寝顔が、見える。
それしか、見えない。
「言い逃れ出来ない証拠がある。だから、ね? ちゃんと冷静になって考えましょう。結局、一番あなたを大事に思っているのは誰なのか……考えればわかるんだから」
誰かがそう言うのを無視し、俺は強くスマホを握りしめた。ひんやりとした感覚が手のひらに伝わってくる。
月乃はずっと、俺の隣にいると言った
それを邪魔する人間は、全員いらない
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