第48話 爆発
次の瞬間、無意識に右腕をスマホごと近くのデスクに叩きつけた。大きな衝撃音が部屋に響き、手には痛みが走ったが、感覚が麻痺しているのか脳は痛みに怯えることはなかった。スマホの画面が真っ暗になる。
左腕を握っていた誰かの手が、するりと離れた。
「……碧人さん?」
俺は再度、スマホをデスクに思い切り叩きつけた。手に怪我を負うことなんて何も気にしなかった。さっきより強い力を入れたので、スマホの画面にひびが入ったのが分かる。それでも、俺は手を止めず何度もスマホを握ったままデスクに力の限りぶつけ続けた。
割れた画面のガラスでいつの間にか傷を負ったのか、右手の掌から血があふれ出てくる。それでも満足しない俺は、無の状態で何度も何度も繰り返した。大きな衝撃音が部屋中に響き渡る。
すっかり原型がなくなったところで、今度はそれを床に叩きつけた。手から血飛沫が飛ぶ。近くで女の「ひっ」という小さな悲鳴が聞こえたが、構わなかった。
今度は、ただのガラスの破片と部品になってしまったそれらを思い切り踏みつける。何度も何度も繰り返した。
しばらくして、ようやく足を止めた。部屋に静寂が訪れる。何の音もしない世界で、月乃の顔だけが浮かんだ。ケーキを食べる姿、寝ている姿、どれもこれも俺の幸福でしかなかった。それを、なぜみんなして奪おうとするんだ。
じっとぐちゃぐちゃになったスマホを眺めた後、俺は振り返り出口に向かっていく。
「社長!」
俺を止めたのは東野だった。彼は慌てた様子で俺の腕を掴む。
「どこに行くんですか!」
「殺す」
「な、なにを」
「顔が映ってなくても分かる、春木高志だ。あいつがまた月乃に近づいたんだ」
「は、春木高志が映ってたんですか? もしかして、二人が一緒に写真に写ってたんですか?」
東野のセリフに、ぴたりと足を止め振り返る。自分でもどんな顔をしているか分からなかったが、俺を見た東野が顔をこわばらせたのだけは分かった。
俺は小さく首を傾け、東野に抑揚のない声で言う。
「月乃は悪くない。月乃は俺を裏切らない。春木に全部聞く」
そう言って部屋から出ようとした俺を、東野はなおも引き留めた。
「待ってください! 春木高志の元に行く前に、そのような写真をなぜ長坂さんが持っていたのかという情報は取っておくべきです! それに、そんな怪我で……」
言われて、そういえばそんな女が部屋にいたんだと思い出す。ゆっくり振り返ってみると、部屋の壁際にしゃがみこんでいる長坂萌絵の姿が目に入る。彼女は小さく震えながら、ぐちゃぐちゃになったスマホを眺めていた。
そこに歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがむと、完全に怯えた顔で俺を見る。
「あ、碧人、さん……?」
「ん?」
「あの、私、その……」
「黙れよ」
自分の右手から血が垂れ、彼女の白いワンピースを彩った。なぜか自分の顔に笑顔が浮かんだ。勿論楽しみの笑みではない、何もかもが嫌になって、自暴自棄になった笑みだ。
「碧人さん、どうしたの……だってもっと、優しくて紳士的な、碧人さんだったのに」
「君の事なんかこれっぽっちも好きじゃなかったからだよ。俺、本当に人を好きになるとこんな風になっちゃうみたいでね。月乃以外の人間なんて、生きようが死のうがどうでもいいみたい」
彼女は完全に恐怖の目で俺を見ている。俺は右手から血が垂れ続けていることに気付き、それをぺろりと舐めながら尋ねた。
「東野に言われて冷静になれた。そうだね、あの写真はどうやって入手したの? それに、あのアングルは第三者がいないと撮れないアングルだよね」
「……」
「答えろよ」
低い声で尋ねると、ついに向こうは恐怖からか、目から涙をぽろぽろと流し始めた。許しを乞うように頭を垂れ、震えた声で話し出す。
「違うんです、ぜ、全部碧人さんのお母様から言われたことで……! だ、だってそうしたら、二人は別れて、私と碧人さんが結婚出来るって言われたから! それに、うちの会社は最近あまり経営状況がよくなくて、今の神園と繋がれば色々助かると思って……! 春木高志という人もそうです、詳しくは知らないですけど、元々は中谷さんに近づいて浮気させるつもりだったけど、中谷さんは全然隙がなくて、だったら証拠を捏造しようって」
「……捏造」
「私は何も言ってないんです、あなたのお母様の指示に従っただけです!」
幼い頃から、ずっと近づきたいと思っていた人だった。どれだけ邪険に扱われても、母という存在はとても大きなもので、家族として認めてもらえるためにこれまで頑張ってきた。
その結果が、これか。
俺の大事なものを壊すことしか考えてないのか。
ぼうっとしていると、黙っていた東野が静かに口を開いた。
「捏造、という点について詳しく説明してください」
「……私が昨日の夜、中谷さんを呼び出して……予め雇っておいた女性に、近くで派手に転ぶように指示しておいたんです。中谷さんの気がそれた隙に、彼女の飲み物に薬を入れて……それも、碧人さんのお母様から預かった物です!」
「それで?」
「眠ってしまった彼女を確認した後、春木という青年を呼び出して、三人でラブホテルに入れました……」
目をそらしたまま話す萌絵の顔を、右手で掴んでこちらを向かせた。彼女の頬にべっとりと血がつく。小さな悲鳴が上がった。
「それで、月乃に何をしたんだ?」
「社長、暴力はだめです」
「暴力じゃない、こちらを向かせただけだ」
「それでも、触れてはだめです」
仕方なく手を離すが、萌絵は固まったようにそのまま動かず、唇を震わせながら続けた。
「な、何もしてません……! しゃ、写真では裸のように見えますが、シャツのボタンをはずしてはだけさせただけです、私がやりました……布団の下はちゃんと服を着ています! 写真だけ撮って、私は春木という人と一緒に出たので間違いないです……」
「で……それを俺に見せにきた」
「こ、こうすれば二人は別れると思ったから……ごめんなさい、もう、関わりません……あなたたちには関わらないから、どうか許して……」
必死に許しを乞うのは、反省からではなく俺に対する恐怖心からだろう。あまりに滑稽で、鼻で笑った。
「俺、変でしょ」
「……」
「俺につかまった月乃は可哀そうだと思うよ。絶対に離れてなんかやらないからね」
そう言って立ち上がり、再度出口へ向かおうとした俺に、東野は声を掛ける。
「先ほど確認したら、中谷さんは連絡なく欠勤しているようです。中谷さんの所へ行かれるんですよね? 仕事は調整しておきます。長坂さんについても、後処理は任せてください」
「……頼んだ」
「ですが、その手は何とかしてから行ってください。中谷さんが驚いてしまいますよ」
ちらりと右手を見ると、少し出血は収まってきたようだが、未だべっとりと赤く染められていた。小さく舌打ちすると、東野がポケットからハンカチを取り出し、俺の手に巻き付ける。
「ガラスの破片が付いているかもしれません、あとで流水でしっかり洗い流してください。とりあえずの止血です」
手にハンカチを巻いてもらった俺は、東野の助言に一つだけ頷くと、萌絵の方は一度も見ることなく部屋から出た。
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