第45話 呼び出し




 週末で碧人に会わないのは初めてのことだった。


 彼は会いたいと言ってくれたが、予定があると言って断った。会いたくないわけじゃない、ただ今は少し一人の時間が欲しいと思った。電話で伝えると、碧人は何か言いたそうにしたが、ぐっとこらえてくれた。


 土日はゆっくり部屋の掃除をして、スマホでネットをぼうっと見て、色々と考えた。だが、考えたところで何も変化はない。碧人の母親については私に出来ることはないし、長坂さんについては気にするだけ無駄だと分かっているからだ。


 勝手にもやもやしてしまってるけど、過去の話。これがすべてだ。今、碧人は私をしっかり大事にしてくれているし、それだけを見ていればいい。


 碧人にやたらついてしまっていたあの甘い香りは気になったけど……おおかた、向こうがやけに密着でもしてきたんだろう。もしかしたら、私と碧人を揉めさせるために、わざとあの香りを付けた可能性もある。そうだ、そんな答えに決まっている。


 分かり切っていた簡単なことなのにやけに気にしてしまったのは、多分ちょっと疲れていたからだ。私らしくない、ちゃんと地に足を付けておかなければ。


 日曜の夜になり、ようやくそうやって前向きに考えられるようになった頃、突如スマホに着信があった。てっきり碧人かと思いきや、知らない番号だったので一旦無視する。


 が、切れたと思ったらすぐにまた鳴りだし、止まる気配を見せないので仕方なく出た。一体誰だというのだろう。


「もしもし?」


『こんばんは』


 鈴のような高く、可愛らしい声を聞き驚く。紛れもなく長坂さんの声だったのだ。


「え……」


『中谷さんですよね?』


「私の番号、どこで知ったんですか?」


 碧人が漏らすはずは絶対にないと分かっている。じゃあ一体どうやって彼女は電話番号を入手したというのか。


 こちらの不快な声にもちっとも怯まず、長坂さんは答える。


『そんなの、簡単に手に入りますよ』


「……こわ。一体何の御用ですか? 私、暇じゃないんですが」


『今からほんの少しだけお会いできませんか? 碧人さんのお母様はいらっしゃいません。私が一度、中谷さんとじっくりお話したいんです』


「私は話すことなんて何もないので」


『……先日、私が碧人さんにきっぱり振られたのはご存じで?』


 少し、向こうの声のトーンが落ちた。その変化に思わず、こちらも丁寧に答える。


「……はい、碧人から聞きました」


『そうですよね、碧人さんがお話してますよね。あれで私、諦めることにしました。あんなにきっぱり振られて、くじけない女性がいたらお目にかかりたいものです』


 彼女は小さく笑う。


『ただ、彼のお母様のことで……中谷さんと二人で話したいことがあるんです。私から連絡をするのはこれが最後ですし、会ってほしいとお願いするのも最後です。お願いします』


 向こうは静かにそう言った。私は黙って一人、考え込む。


 確かに碧人もきっぱり断ったと言っていて、二人の話に相違はない。碧人に振られたという彼女の声は悲し気だし、本当にショックを受けている感じはする。碧人のお母さんについてなら、碧人がいないところで話したいという気持ちもわかる。


 周りに人がいる飲食店とかなら、平気だろうか。私は決意する。


「分かりました。行きます」


『ありがとうございます。場所は……』


 電話を切った後、彼女が告げてきたところを調べると、カフェバーのようなところで、人目もありそうな場所だった。それに少しほっとし、立ち上がって出かける支度を始める。


 一体あの人が私に何の話をするのだろう……その疑問を胸に抱きながら。





 時刻は二十時になったばかり。私は指定された店へと足を運んだ。


 あまり大きくないその店は、バーカウンターと、他にはテーブル席もあった。昼間はランチを提供しているらしく、口コミを見ると家族連れも多く訪れるらしかった。


 だが、夜は照明もぐっと落とされ、雰囲気のある店になっている。間接照明がムードを作り、流れるゆったりとしたジャズが心地よかった。


 中に入ると、すでに長坂さんが来ていた。彼女はカウンターに座り、こちらを向いて小さく手を振る。それに振り返すことはせず、隣に座った。


「急に呼び出してごめんなさい」


「いえ。別にいいです」


「飲み物をどうぞ。私のおごりです」


 飲む気はなかったので、適当にノンアルコールのカクテルを注文した。すぐに、長坂さんが本題を切り出す。


「時間を使わせても申し訳ないので、単刀直入に言いますね。碧人さんはやっぱり、あなたと別れる気がないようです。私結構頑張ったつもりだったんですけど……なにせ、彼のお母様も味方についてくれていたし」


「まあ、長坂さんは家柄もいいみたいですし、若くて美人だから、納得ではあります」


「あは、私は選ばれなかったのに。嫌味に聞こえます」


「そんなつもりはないんですが……正直に言ったまでです」


「いいんです。私には思い出がありますから」


「碧人のお母さんは、今どうしてますか」


「変わらないですよ。私と碧人さんが二人きりになれるようにしてくれましたが、結局振られて終わったことは言いました。諦めてないみたいです、なんていうかかなり頑固な方なんですよね」


「そうですか……」


「碧人さんから頻繁に電話が来てるようですが、今は無視してるって言ってました。どうせ出ても中谷さんのことをうるさく言われるだけだろうからって」


 確かに、碧人はもう一度きちんと話す必要がある、と言っていた。でもこの休日も、まだ実現していないのかもしれない。碧人の話は全く聞かず、全て自分の思うように事を運ぼうとするそのわがままっぷりに、いら立ちが増した。


 幼少期の碧人への仕打ちも含め、あんなのは人間じゃない、とすら思う。


 彼女は綺麗なブルーのカクテルを飲んでいた。見た目がとても上品なお嬢様なので、なんだかこういう店でお酒を飲んでいるのは少し似合わない気がした。

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