第36話 怒ってくれる人
「いいよ」
目の前でパスタを巻きながら月乃がそう言ったので、俺はつい驚きで固まった。
日曜の昼、家の近くにあるレストランで昼食を取りながら、俺は母について月乃に正直に相談した。これまでの経緯はもちろん、まだ付き合ってる期間も短いので、今回は無理しなくていいと言いながら、母が会いたがっている意向を伝えたのだ。
渋い顔をするだろう、と覚悟していったのだが、月乃はあっさり許可したので予想外だった。今食べているカルボナーラの味が吹っ飛んでしまったぐらいだ。
月乃は食べながら続ける。
「お見合い相手まで探していたのなら、急に現れた私に会いたいと思うのは当然だよ。一度お会いしましょう」
「……いいの?」
「あ! 別に今すぐ結婚、とか思ってるわけじゃないけど! でも一度ご挨拶するのは必要かと思って……まあ、私が碧人のお母さんに認められるかどうか分からないけど」
「絶対大丈夫! 月乃が駄目なら全人類ダメだよ。こんなに素敵な人いないんだから、そこは大丈夫」
つい力説すると、彼女は面白そうに笑った。その笑顔にほっと心が温かくなり、同時に喜びで震えた。
親にまで会ってくれる、という彼女の答えがあまりに嬉しかったのだ。
俺の過去を知っているので、特殊な家庭であることは承知の上、いいよと言ってくれた。別に月乃が適当な気持ちでそばにいるのだと思ったことはないが、その本気が目に見えたことがあまりに嬉しい。
正直、俺ばかり好きでどうしようかと悩んでいた。
食事を食べ終わった月乃は、満足そうにお腹を撫でる。
「あー美味しかった! 結構ボリュームがあったから、お腹が膨れちゃった。デザートにケーキを食べたかったんだけどなあ」
「持ち帰ればいいんじゃない?」
「そっか。じゃあ、ケーキを持ち帰ろう。そして、家でお母さんと会う予定を合わせようか」
笑いかけてくれる月乃が、あまりに眩しく見えた。今すぐ抱き寄せたい衝動を必死にこらえつつ、何とか冷静を装って店員にテイクアウトをオーダーする。そのままケーキを入れた小さな箱を手に持ち、二人で俺のマンションへ帰った。
木曜日にハンバーグを作りに来てくれた後、今日まで長かった。たった二日、されど二日。俺にとっては地獄のような時間で、昨日は月乃が泊まりに来た時に使えそうな雑貨や部屋着などをネットで買いあさって一日が終わった。仕事が終わった後も、そんなことばかりしている。
玄関に入り、月乃が靴を脱いだところですぐに抱きしめたくなったが、残念ながら手にはケーキが入った白い箱があった。月乃のケーキをダメにするわけにはいかないので、大人しくリビングに入りしっかり冷蔵庫にしまっておく。
ついでに飲み物を取り出して用意し、ソファへ運んで月乃の前に置いた。
「ありがとう!」
笑顔で受け取る月乃の隣に座り、まずは気持ちを収めるために飲み物を飲む。隣に置かれた手を握ろうとして、月乃がこちらを見た。
「ねえ、お父さんって今まだ入院中なんだよね?」
「え? ああ……そうだよ」
「お兄さんは結局どうしてるの?」
真剣な眼差しで尋ねられたので、出した手を一旦ひっこめた。さすがにタイミングが違うと分かる。
「さあ……元々自由で奔放な人だったからなあ。母にも連絡は来てないようで、どこで何をしてるか誰も知らないんだ。父はリハビリの病院に入院中。俺は一度だけ見舞いに行ったきりだね。神園を継ぐことになってその報告に……強く反対されたけど。他にやりたがる人もいないし、結局俺がそのまま。そのあとは会ってない。母はマメに会いに行ってるようだけど」
「そうなの……」
「ごめん、うちの家特殊だから、会うの戸惑ってるよね? 無理しなくてもいいんだよ」
「ううん、もう決めたから」
凛とした表情で頷く月乃が愛しくて、その手をようやく握った。自分よりだいぶ小さい。
「でも最初に言っておくね。私、あなたの家族を好きにはならないと思う。もちろん、敵意むき出しにはしないよ。礼儀はちゃんとするし普通に会話もする。でも、幼い碧人にした仕打ちをどうしても許せない」
きっぱりとそう言ったので驚く。確かに、月乃の目には怒りが込められているように見えた。
「どんな事情があろうと、幼い碧人を傷つけたのは紛れもない事実だから。でも、今碧人が大事にしてることが分かるから、私もそれなりに接する。表面上はね」
「……怒ってる?」
「そりゃ怒ってるよ。あなたが心に受けた傷を考えたら、怒らないわけがない。でも碧人が許してるのに私が許さないのはおかしいから」
彼女の言葉は衝撃的だった。
今まで、自分のために誰かが怒ってくれたことなんてなかった。いつだって人は自分に興味がなかったし、あってもそれは俺自身じゃなく、顔やステータスに対してだった。
でもそうか、と思い出す。俺は月乃が友人のために心の底から怒っていた、あの姿に惹かれたのだ。羨ましい、同時に妬ましい、そう思った。
今、月乃が俺のために怒ってくれることが、とてつもなく嬉しかった。
思えば、俺は自分の家族に怒りを抱いたことはなかった。ただ認めてもらいたい一心で、他の感情は抜け落ちていたのだ。許すだなんて月乃は言ったけれど、そんな概念すらない。
何も言わずに彼女の体を抱きしめて、そのぬくもりに心を落ち着かせた。こんなに小さくて華奢なのに、一体どこからのエネルギーが沸いてくるのだろう。
「ありがとう」
「え、え? なにが?」
「怒ってくれたことが、嬉しかった」
「変なの」
月乃はそう言って笑ったが、俺にとっては本当に重要なことだった。この気持ちが彼女に伝わり切っていないのがもどかしくて辛い。
華奢なその体に触れていると、もっと触れたい欲がどうしても生まれる。だがしばらく悩んだ挙句、やっぱり何もできなかった。大事すぎて踏み込むのが怖い。
でも、別に重要な悩みじゃないと思えた。
同じ空間にいるだけで、手を握るだけで、自分はこれ以上ないほど満たされている。
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