第37話 思い通りにはいかない


 翌週末、月乃と実家に来ていた。


 彼女は普段よりちょっと綺麗なワンピースを着て、髪もまとめてやや緊張した面持ちでいた。そんな姿が綺麗だ、と思ってしまった。


 月乃にまだ結婚を許してもらえたわけでもないのに、まるで結婚を前提にした挨拶に行くようだ。いや、自分はそれでも全然いいし、月乃のご両親にも挨拶に行きたくてしょうがないくらいなのだが。


 この日のために選んだという和菓子を手に持ち、月乃と玄関に向かう。彼女は強張った顔で言う。


「私、付き合ってる人の親にあいさつに行くなんて初めて」


 驚いて隣を見てしまう。がちがちになっている月乃は可哀そうなのだが、嬉しいと思ってしまった。そうか、初めてのことだったのか。同時に過去に付き合った男の存在が黒いモヤとなり胸を覆ったが、すぐに吹き飛んだ。


「大丈夫、何も気に負わなくていい」


「そうなのかな」


「ちょっと顔を見せるだけでいいから」


 月乃は少しだけ微笑んで頷いた。玄関の前にたどり着き、持っていた鍵でそれを開けた。


「いらっしゃい!」


 音を聞いてすぐに母が駆けつけてきた。すっと目を細めて、隣の月乃を眺める。月乃は深々と頭を下げた。


「初めまして、中谷月乃です」


「あら……今日はわざわざ来てくださってありがとう。どうぞ上がって」


 母はにこやかに笑ってそう言った。二人で靴を脱いで上がり、リビングへと向かうと、昼食の匂いがふわっと漂った。ビーフシチューの香りじゃないことにほっとする。


 月乃は持っていた菓子折りをおずおずと差し出した。


「これ、お口に合うか分かりませんが」


「すみません、気を遣わせて! ありがとう。どうぞ座って」


「あ、何かお手伝いを」


「お客様でしょ。今日は座ってて!」


 月乃と並んでダイニングの席に座る。目の前にはすでに料理が何品か並んでいた。今日は和食のようで、だし巻き卵やポテトサラダなどがある。月乃は目を輝かせた。


「美味しそう!」


「簡単なものでごめんなさいね。一緒に食べましょう」


 少しして母はさらにおかずや飲み物を何品か運び、正面に座った。そのまま早速食事へと移る。にこにこ笑う母の顔を見て、少し安心した。


「私が会いたいって無理を言ったの。ごめんなさいね、まだ付き合って間もないんでしょう?」


「えっと、二週間ぐらいでしょうか」


「あらあら、親にあいさつに来るには早かったわよね! もーごめんなさいね」


 母は笑いながら明るく話す。月乃も少し肩の力が抜けたのか、リラックスした様子で目の前のだし巻き卵を食べ、顔を綻ばせた。


「美味しい! とても料理上手なんですね」


「そんな事ないわ」


 月乃自身も言っていたように、好きになれないと言いつつも彼女はしっかり好感のある態度でいてくれている。そのことに感謝しつつ、俺も食事を続ける。


「お仕事は、碧人と同じ会社だったかしら?」


「あ、はいそうです」


「ご年齢は?」


「今、二十九歳です」


「そうなの。ご実家はどちら? ご両親は何をされているの?」


 質問攻めの母を、俺は苦笑いして止めた。


「質問ばっかしても月乃が困る。ゆっくり食べさせてあげて」


「あ、ごめんなさいね。お会いできたのが嬉しくってつい……」


 母は楽しそうに笑ってご飯を頬張っている。月乃は少し口角を上げて微笑んでご飯を食べていた。俺は母にくぎを刺しておく。


「言ったけどまだ結婚なんて考えてるわけじゃないし、今日は本当にちょっと顔を見せにきただけ。食事が終わったら帰るよ」


「ええ、ええそうね。お話出来るだけで嬉しいわ」


 そう言いつつ、母はやはり雑談の最中に月乃へ質問を重ねていく。まあ、気になるんだろうなと思い、変な内容でなければ咎めなかった。月乃ははきはきと答え、二人は良好な関係に見えた。


 食事は滞りなく進み、最後にデザートが出てきた。母がわざわざ焼いたという、月乃が好きなケーキだった。さて、これだけ食べ終えたらお開きにしようと心で決め、デザートを食べていると、月乃が一旦トイレのために席を立った。場所を教え、俺は座ってコーヒーを飲む。


 どうなるかと思っていたが、穏やかに食事会は終わりそうだ。いつか月乃が結婚を考えてくれたら、もう一度連れてこよう。


 そんなことを考えていると、母は同じようにコーヒーを飲みながら静かな声で俺に言う。


「明るい方ね」


 その言葉に、俺は笑顔で答える。


「うん、明るいし凄くしっかりしてるよ。仕事も出来て周りから信頼されてるし、とても優しい」

 

「でもそれだけね」


 思ったより冷たい声がぴしゃりと言い放ったのを聞いて、固まった。さっきまで笑顔だった母は無の表情でコーヒーを啜っている。


「明るくてしっかり者、なんてよくいるわ。むしろそれが最低条件よ。お父様は高校教師で、お母様はパート。見た目も秀でてない平凡な方だし、年齢ももう三十って……あなたがどんな人を選んだのか楽しみにしていたのに」


 そう言って母は嫌味っぽく笑った。その変わりようにただ唖然としていると、彼女は続ける。


「それに一人っ子ですって。あちらのご両親に何かあったら、月乃さんが色々面倒を見なきゃいいけなくなるじゃない。もし結婚したら、あなたにまでその責任が来るのよ。そういうところ、考えてる?」


「……そんなこと、関係ないだろ」


 母はにこりと笑い、猫なで声で俺に言う。


「お別れしなさい。やっぱり、私が選んだ人の方がいいわ。まだ付き合って一か月も経っていないのだから、そんなに心苦しくないでしょう? あなたならもっともっといい人がいるわ。若くて、美人で、いいとこのお嬢さんがたくさん選べる。何もあんな普通な人を選ばなくていいじゃない」


 目の前の人が、何を言っているのか理解が出来なかった。脳が言葉を処理しきれていいない。


「碧人は優しい子だから……お母さんのお願い、聞いてくれるでしょう? 私の言う通りにしておけば間違いはないから。すぐに月乃さんとお別れして、私が見つけた人と結婚しなさい。子供をたくさん作って、小さなうちからしっかり教育するのよ」


 そう言ってこちらに微笑みかける人が、自分の母親だと信じたくなかった。




 反射的に立ち上がる。勢いがあったため、カップが揺れて中のコーヒーがこぼれた。母は驚いた顔でこちらを見上げている。


 今まで、この人に無視されようが邪険に扱われようが、憎いと思ったことは一度もなかった。ただ家族の一員になりたいと願い、大人になってようやく親子になれたことにただ喜びを感じていた。

 

 だから、生まれて初めてだ。


 母にこれほど怒りを持つのは。




「碧人……?」


「いくら母さんでも、月乃を悪く言うのは許さない。月乃以外の女性なんて一生いらない。俺から月乃に別れを告げることは絶対にありえない」


「あ、碧人? 落ち着いて? 私はあなたのために言っているのよ」


「そんな風に思ってたのか、月乃のこと……」


 怒りで手が震えた。母は戸惑ったように声を荒げる。


「あなたのためよ! 財産目当てで近づいてきたに違いないわよ、しっかり見極めなさい!」


「言葉に気を付けた方がいい。俺は月乃を攻撃する人間は、誰であっても許さない」


 腹の底から低い声を出すと、母の顔が引きつった。それをしばらく睨みつけると、置いてあった月乃の鞄を手に持ち、リビングから出る。


「きゃ!」


 丁度トイレから戻ってきたらしい月乃と、出入り口でぶつかってしまう。俺は慌ててその体を支えた。


「ごめん、大丈夫?」


「ううん、平気。でもそんなに急いでどうし」


「もう帰ろう」


「え? でもデザートが」


「いいんだ。今日はもう帰ろう」


 月乃の手を引いて玄関へ向かう。彼女は戸惑っているようだが、素直に俺についてきた。二人で靴を履き、扉を開ける前に最後に少しだけ廊下を振り返る。


 リビングから半分だけ顔を覗かせた母が、凄い形相でこちらを睨んでいた。あれが本当に自分の母かと疑いたくなるような姿だった。


 ひるむことなくそれを睨み返すと、月乃の手を引いて外へと出た。


 車に乗り込み、すぐにエンジンをかけて発進させる。未だ燃えている怒りが鎮まりそうになかった。土井の時もそうだったが、月乃が絡むととんでもない怒りに襲われて自分さえ見失ってしまう。


 だがすぐに、月乃にフォローしなければと思い出し、何とか表情を緩めた。


「今日はありがとう。来てくれたの、本当に嬉しかった」


 月乃は返事をしなかった。静かな車の中で暖房の音だけが聞こえている。しばらくして、彼女は小さな声で答えた。


「ううん。私こそありがとう。とっても料理美味しかったよ」


 月乃の言葉に、ただ愛想笑いを浮かべるしか出来なかった。母からあんな言葉を言われていたなんて、本人にばれるわけにはいかなかった。


 これまで、ずっと母の思う通りに生きてきた気がする。反抗するでもなく部屋に閉じこもって育ち、勉強を頑張り、急に会社を継ぎ、会社を立て直した。その後は呼ばれると母に会いに行き、見合いをすることも決められていた。空っぽの自分はそれで満足していた。


 でも今は違う。


 とても大事に思っていた母に、怒りをぶつける日が来るとは思っていなかった。


 

 これだけは、あの人の思い通りになんてなってやらない。







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