第30話 昔の自分



 俺を妊娠してすぐに、母の不貞はバレた。タイミング的に妊娠がありえなかったのか、母の言動におかしい所があったのか、理由は分からない。母もこっそりおろしたりしなかったのは不思議なところだ。


 父は当然憤慨したそうだが、母にかなりほれ込んでいたため、許すことにしたのだそう。その上、おろすことも強要せず、産んだ後自分の子として育てることを認めた。


 話だけ聞けば、なんて心の広い男性なのだろうと感動されるかもしれないが、全く違う。父は俺という存在を作って、母に一生罪悪感を覚えさせ、自分から離れないようにしたかっただけなのだ。


 物心ついてから覚えているのは、俺一人の部屋。広さは十分だった。テレビと、おさがりのおもちゃが大量にあった。ただ、それだけだった。


 基本的に部屋から出るなと言われていた。子供なので寂しくて外に出て、母や父に話しかけても、基本無視される。兄と遊んだ記憶もほぼない。


 母は父がいる手前、俺を可愛がることは出来なかったのだと思う。その代わり兄のことはこれ見よがしに可愛がった。


 一応、一日に数時間世話係がやってきて面倒を見てくれた。ただその人は遊ぶことはなく、箸の使い方や常識をせっせと教えるだけの人だった。あと、食事を運ぶのも役割だった。


 家族と一緒に食事を取ったことはない。俺は必ず一人で部屋で食べるように言われていたので、そのようにしていた。ただ、部屋の向こうでは三人が楽しそうに話しながら食べている声が聞こえ、俺は子供ながらに食事が嫌いだった。


 小学生になる頃は、がりがりのヒョロヒョロ。ほとんど人と接してないもんだから、陰気でコミュ障。友達も上手くできなかった。


 心配した教師が一度、家にやってきたのを覚えている。でも両親は上手く交わしていた。


 体罰があるわけでもない。食事もしっかり与えているが、本人が小食で食べないだけ。予防接種や健康診断も欠かさず行っている。世話係まで雇っている。暗いのは本人の性格だ、と言い張った。


 そう並べられれば、教師も困る。なるべく碧人くんの話を聞いてあげてください、と言って帰っていった。その日だけ、母は少し俺に話しかけてくれたのを覚えている。でもそのあとは変わらない日だった。


 勉強は頑張れ、と言われたのでそれだけは頑張った。神園の子が馬鹿では、体裁が悪いと思ったのだろう。成績表を見せた日だけは、両親は『まあ、頑張ってるな』と言ってくれたので、その一言だけが救いだった。


 中学・高校に入っても、俺は相変わらずヒョロガリで陰気だった。いつも背筋を丸め、勉強のし過ぎで視力が落ち、ダサい眼鏡をかけていたのでなお友達は出来なかった。ひたすら勉強に打ち込み、青春なんてものはこれっぽっちも関係なかった。行事でも常に一人で、いじめに遭わなかっただけでも幸いだと自分でも思っている。


 だが、大学に入ったあと、一人の女性が話しかけてきた。明るく綺麗な人で、なぜ俺なんかに話しかけてきたのは不思議でしょうがなかったが、やはり嬉しかったのを覚えている。昼飯を一緒に取ったり、焼いてきたというお菓子をくれたりした。もしやこれが初めての友人なのか……と心躍らせていたが、ある日誕生日を迎えたその人は、俺にブランドのバッグを買うように求めた。


 焦って無理だと告げた。俺にそんな金はなかったから。


 すると驚いたように、『でも社長の息子なんでしょ?』と言った。俺は次男だし、金なんてほとんどもらえていないと正直に言うと、彼女は分かりやすく顔を顰めた。


 そしてその日以降、俺に話しかけてこなくなった。


 ああそうか、社長の息子だという肩書だけを聞いて近づいてきたのか。そうだ、俺自身に興味があるはずがない。


 結局、大学でも親しい人は出来なかった。


 その後、俺は経営を学ぶために海外へ行くことに決めた。俺は勉強を頑張ることでしか親に見てもらえなかったので、自分に出来る学びは全てしたいと思ったのだ。初め親は金がかかることで反対したが、いずれ会社を継ぐ兄を支えるためだ、と強く懇願した。実際、兄はあまり頭がよくなかったし、それは親も分かっていた。なので、兄をフォローする俺に経験を積ませるのは必要と判断したらしく、認めてくれた。


 長くはないが、海外での生活は自分を大きく変えた。


 向こうは、『自己主張が出来ないとスタートラインにも立てない』ので、日本よりずっと大変だった。長年患っていた暗い性格を克服せざるを得なく、必死に声を上げて自分の意見を言うことを求められた。


 自信のある姿勢や立ち振る舞いも大事だと教わり、ダサい眼鏡を変え、曲がっていた背筋を伸ばした。友達と呼べる人は相変わらずできなかったが、共に学ぶ仲間は出来てたように思う。その頃からか、それなりに食事も取れるようになり、体型も標準になり顔色もよくなってきていた。


 そんな姿で帰国したら、家族は俺が誰だか分からなかったようだ。


 そのあと神園に社員として入り、がむしゃらに働いた。女性からも急に声がかかるようになったが、なんとなく本気の関係にはならなかった。それほど大事には思わず、暇なときにたまに会うだけ。そしていつの間にか連絡を取らなくなりフェードアウト。その繰り返しだった。多分、大学のときのように俺の中身など興味がなかった女ばかりだったんだろう。


 それでも、前の生活よりずっと楽しかった。やっと普通の人間になれた気がした。


 そんな矢先、転機が訪れる。父が脳梗塞で倒れたのだ。


 仕事に戻るのは絶望的だと分かり、社内は混乱した。その頃神園は、営業成績がどんどん悪化しておりかなり厳しい状況だった。リストラもされるのではという噂も出回っていたところへ、社長の病。みんな不安に駆られただろう。


 だが予想外だったのはここから先だ。継ぐはずだった兄が逃亡した。


 恐らく、傾いた神園を背負うだけの覚悟が出来なかったのだろう。ある日突然『俺には無理です』という手紙だけ置いていなくなり、さらに大騒ぎに。そこで、次男である俺に話が回ってきた。


 かなり反対の意見も多く、風当たりはきつかった。それもそうだ、俺は当時三十歳になったばかり。そんな若造に神園を任せられるわけがない。そして父も反対だった。


 でもみんな反対する割に、他の案は出なかった。傾きかけた会社を経営したい人間はおらず、結局俺がすべてを担うことに。


 今まで学んだことを生かし、とにかく必死に働いた。あの頃の記憶はほぼないと言ってもいい。毎日会社のことで頭がいっぱいでパンクしそうだった。


 だが、賭けに出た事業が大成功。状況は一変し、神園の経営は一気に改善した。そのあとも着実に利益を伸ばし続けている。


 そうなった途端、強かった風当たりは賞賛の言葉に変わった。みな温かなまなざしで俺を見るようになった。


 そしてーーずっとこっちの言葉なんて無視し続けた母は、大事な息子だと言わんばかりに俺に優しく接し始めた。



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