第25話 捕獲




 その日の夜。


 一つのマンションの前で車を停め、じっと息を潜めていた俺は時計を眺める。外はすでに真っ暗になっていた。ぐっと気温も下がり、エンジンが切れた車内はかなり寒くなっている。


 金曜の夜は人通りが多いように思えた。だが、ここに車を停めて数時間が経つが、誰かに不審がられたりはしない。案外、人は自分以外の人間に興味がないのだ。


 目の前のマンションはなかなかいい所だった。新しいしそれなりに家賃もするだろう。あいつにはもったいないな、と心の底から思った。


「さて、動くのは明日かな」


 冷え切った車の中に自分の声が響く。明日は土曜だ、その可能性の方が高い。もう遅くなったし一度帰宅した方がいいか? いや、夜中に動くかもしれない。見逃すわけにはいかなかった。


 必ず動く。それを見るまでは家に帰れなくても眠れなくても構わない。


 じっとマンションを見つめていると、中から人が出てきたのに気が付いた。ガラス製の扉が開き、寒そうに肩をすくめながら男が一人現れる。


 土井光孝。


 先ほどとは違い、ラフな格好だった。黒いスウェットらしきものの上に、ジャンパーを羽織っている。そしてその手に、茶色い封筒があった。この恰好では遠出はしないだろう、それにあの封筒は。


 土井が俺の車を通り過ぎたあと、そっと降りて彼の後を追った。向こうは全く気付かず、目的地に向かって真っすぐ歩いている。足取りがどこか軽いように思えた。


 マンション前の道を北に向かって進むと、ポストがある。それは調査済みのことで、土井は今その方向に向かって歩いていた。


 そして、ついにたどり着いた赤いポストの前で、土井が持っていた封筒を中に入れようとする。封筒の一部がポストの口に入ったところで、俺はその腕を掴んで止めた。


 土井が驚いたようにこっちを見る。


「え!? あ……え!?」


 現れた俺にぽかんと口を開ける。そんなやつを無視し、手から封筒を奪った。宛先を見た後その場で開封し、中身を確認する。


 やはり、全く同じ紙に同じフォント。月乃が暴力沙汰を起こした、さらに色仕掛けで男を誘い、異性関係にだらしがない問題児だと書かれている。前回にプラスして、仕事に対して不真面目だの人をいじめているだのという情報もあった。自己紹介か?


 ふうと息を吐く。


「やはり、これを送っていたのは君だったんじゃないですか」


 淡々とそう言うと、土井は青ざめたが、すぐに思い直したように笑った。


「いやあ、ばれちゃいました? ちょっと困るかなって思っただけなんですよ! でも、これで神園社長も心置きなくあいつをクビに出来るでしょう?」


「……なぜそうまでしてあの人にこだわってるんですか?」


「気に入らない女だからですよ。女のくせに気が強くて男に突っかかるし、黙ってりゃいいのに俺のことも上司に告げ口したり。いなくなってせいせいしたと思ったんですけどね」


 全身を支配している怒りが爆発しそうだった。手に持っていた紙を封筒にしまい、そのままポケットに入れる。それを見た土井が不思議そうに首を傾げた。


「あの、それ送っちゃった方がいいですよ。社長もあんな女、早く追い出した方が」


「黙れよ」

 

 自分でも思っていたよりずっと低い声が出た。土井が言葉を止める。


 ゆっくりと土井に向き直り、奴を見下ろした。目の前にいる男はゴミだと思った。


 これほど誰かを憎く思ったことはない。


「え、え……? か、神園社長?」


 土井の声が震える。逃げ腰になっている土井の腕をしっかり握った。このままどこかへ行かれてはたまらないと思ったからだ。


「俺が何も気づいていないとでも?」


「……え? な、え……?」


「全部知ってるよ。月乃や近藤由真が前の会社を去らざるを得なくなった理由も、今君がどんな仕事ぶりかも。ろくに働かず、伯父の権力を使ってやりたい放題。まあ、よその会社の内部事情なんてどうでもいいんだけど、こっちにまで手を出されたら黙ってられないなあ」


「……」


「見事にかかってくれてありがとう。こんなに早く行動してくれてありがとう」


 土井の表情がどんどん恐怖に染められていく。反対に、俺の顔は満面の笑みだった。


 『嫌がらせが繰り返されれば月乃の立場が危うくなる』……なんてことを聞けば、犯人なら絶対に動くに決まっている。もう何通か手紙を送ればいいだけの話だ、この数日の間に何かあるだろうと思っていた。現行犯で捕まえるつもりだったが、まさかこんなに早く行動してくれるとは。


「ま、待ってくださいよ、俺は……」


「さっきの自供は録音済みだよ」


 ポケットからスマホを取り出す。腕を握る力を強めると、土井の顔は痛みで歪んだ。ひっくり返った声で奴は叫ぶ。


「べ、べつにちょっといたずらしただけだし……! 伯父さんに言うぞ!」


「言えよ。言ってくれた方がありがたい。おたくの馬鹿な甥っ子が、俺の社員に嫌がらせをしてますってな。いたずらっていうけどこれは立派な名誉棄損だから。ちゃんと状況分かってるの?」


「い、痛い、痛いって!」


「月乃をあんな目に遭わせて、ただで済むと思うなよ」


「あんた異常だよ……ただの社員のためにずっと見張ってたのか? ヤバいって、頭おかしいんじゃねえの!?」


 おかしいんだよ。俺は心の中で呟く。


 俺は頭がおかしいんだ。


 月乃のことになると、おかしくなるんだよ。


 腕を振り払おうともがく土井を見下ろしつつ、力を込めてなお強く握り、奴の耳元で囁いた。


「後悔しても遅い」


 その声を聞いて、土井はわなわなと震えた。何か言い返そうとしたが、声が出ないのか口を金魚のようにパクパクしているだけだ。みっともない、かっこ悪い男の有様。この姿を月乃にも見せたかったなあ、なんてぼんやり思った。


 ようやく彼から腕を離し、俺はそのまま来た道を戻っていった。土井は追ってこなかった。


 ポケットに入れた封筒をしっかり確認し、寒い中足早に進む。


 大丈夫。


 月乃に危害を及ぼす人間は、


 全部消す。




 


 

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