第24話 接触
目の前の男がちらちらと落ち着かないように周りを見回している。背筋をやや丸め、怯えたような顔をしているのは大変滑稽に思えた。短髪で吊り目、着ているシャツは皺もなく身だしなみはそれなりにちゃんとしているようだが、どこか彼に似合っていないと思えた。
俺は優しい声を掛ける。
「お酒はお好きですか? 明日は土曜ですし、飲んでも大丈夫でしょう」
「は、はあまあ……」
「突然声をおかけして申し訳ありません。どうしてもお尋ねしたいことがありまして……あなたの伯父様にはいつもお世話になっております」
「ど、どうも……」
土井光孝という男は、思ったよりずっと小さくて自信がなさそうに見えた。なるほど、自分より下に思える……例えば女性や、伯父の会社で働く平社員などに対しては横柄な態度になり、自分より立場が上だと思った人間には、ただ小さくなって萎縮するタイプの男か。
一番つまらなくて恰好悪いやつだ。
あの手紙が送られて数日。土井の会社とは元々付き合いのある会社だったので、彼と会うのはとても簡単なことだった。理由なんてなんとでもなる。ここ最近、土井は仕事の手柄をものにしているようだし、何と言っても社長の甥っ子。俺が呼び出しても不思議がる人間はいない。
ただ、本人はこうして小さくなってしまっている。そりゃそうだろう、こいつが書いた嫌がらせの紙には、俺を侮辱するようなことまであった。女の色仕掛けに負けて入社を許可したようなことが書かれていたのだから。
自分がやったことがばれたのでは……と、普通なら震えてしまう。
だが怯える彼に、ただにっこり笑いかけた。個室の和食屋で、質のいいコース料理を頼み、高い酒を注文した。
土井はもじもじと居心地が悪そうにしている。
「土井さん、そんなに固くならないでください。あなたの評判は聞いていますよ、とても仕事が出来る方だと。社外にも聞こえてくるなんて、かなり凄いのでしょう」
嘘を並べて褒めたたえると、相手はまんざらでもなさそうに口元を緩めた。そんなわけないだろ、少し考えれば分かるじゃないか、と心で突っ込んでおく。悪評なら聞いてるけどな。
届いた酒を勧め、なるべく穏やかな声を意識していくつか世間話をする。ところどころ、土井への賞賛の言葉を並べておいた。三十分ほど経ち、アルコールの力で徐々に相手の肩の力が抜けてきたのを確認した俺は、やっと本題に取り掛かる。
今日はこれが目的で来たのだ。
「ところで……こんなものをご存じないですか」
カバンの中から、例の紙を取り出した。途端、相手がぎくっと表情を変えたのに気が付く。それだけで、犯人は自分ですと言っているようなもんだ。
だが、まだ確定じゃない。冷静に続ける。
「中谷月乃宛てに、うちの会社に届いたものです。彼女は元々、土井さんの同僚でしたね?」
「ええ、まあ……」
「前の会社での出来事が書いてあるので、犯人はそれを知っている者だと思います。心当たり……ありませんか?」
「……いやあ、さっぱり……」
酒を飲みながら小さな声で答えた。まあ、想定内の答えだ。
「そうですか。彼女と一緒に働いていたので、何か教えていただければと思ったのですが。今回こんなものが届いて驚きました。やり方としてはあまり褒められたものではないですからね」
「ああ、まあ」
「ですが、私はこの文を読まなければ知らないところだったんです。彼女が仕事を辞めざるを得なくなった理由」
紙をそっとテーブルに置く。そこをとんとんと指さした。
「暴力沙汰を起こしたなどと……知っていれば採用しなかった」
そう言うと、土井の表情がわずかに変わった。嬉しそうな、それを必死に隠そうとするような顔だ。俺はそれを確認しつつ、なお続ける。
「こうして誰かから恨みを買っているのも事実だし……私と彼女は全く個人的な関係はないのに、私の評判まで落ちてしまった。採用を後悔しているところです。ああ、この嫌がらせを容認しているわけではないですが」
「では、解雇ですか?」
「うーん難しいですね。たった一度の告発ですし……これが続けば、解雇とまではいかなくても異動させる理由にはなると思うんですが」
「なるほど……」
「今回土井さんに伺いたかったのはこれの作成者について心当たりがないかはもちろん、書かれていることが事実かどうかを聞きたかったのです。これは事実ですか?」
俺が尋ねると、彼は強く頷いた。
「ええ! もちろんです。あの女の友人が解雇されたんですがね……その理由も、男関係にだらしなくてもめ事を起こしたからなんですが、あいつはその解雇が不当だって叫んで伯父に殴りかかって。俺、その場面を見たんですよ!」
よくもまあこれだけの嘘を並べられるものだ。まあ、それは俺もか。
嫌悪感を必死に隠し、微笑んで彼の話を聞いた。相手はペラペラと話し続けている。自分の思惑通り、月乃の立場がよくなくなったことに喜びを感じているようだ。
強く握りこぶしを作り、それが震えた。ぶつけることが出来ない怒りだ。
延々と話した後、土井は酒をさらに煽ってやや赤らんだ顔で笑った。
「いやあ、でもこうしてお話出来てよかったですよ! あの女の本性を神園社長が知れたのならよかったよかった」
「そうですね、貴重なお話ありがとうございます。まあ、とりあえずは様子見ですけどね。時間が経てばこの手紙のことも風化していくでしょうし、そうなれば私に出来ることは何もないので」
「社長がぽーんとクビにしちゃえばいいじゃないですか!」
「それが出来たら困ってませんよ。まあ、彼女には目を光らせておきます。今日はありがとうございました」
俺がそう言うと、土井は一瞬不服そうにしたが、すぐに口角を上げた。にやにやした顔で俺を見ている。
「俺こそ、神園社長とお話出来てよかったです! これからもどうぞよろしくお願いします~」
そう言って、上機嫌に鼻歌を歌っていた。
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