月乃の心の変化

第26話 電話


 この土日は、自分の部屋に籠りきり、外出は一切していなかった。


 仕事は何とか休まずに出勤したけれど、やっぱり今週はめちゃくちゃ疲れた。精神的に参ってしまってるんだと思う。


 同じ部署の人たちには、あの手紙について全部説明した。前の会社を辞めることになったきっかけや、私を恨んでるであろう人がいること。神園さんとは全く深い関係ではなく、事情を知った上でスカウトしてくれたということ。


 親しい人たちは信じてくれたようで、大変だったね、と優しい声を掛けてくれた。前橋さんも気にすることないよ、と励ましてくれたので、そこは安心できた。


 でも、会社にいる人たち全てがそうであるはずがない。


 手紙は他の部署にも送られていて、不特定多数の人が目にしたため噂が一気に広がってしまっている。元々、私が社長の車に乗ってケーキを食べに行ったことで、変な噂が出回っていたので、拍車がかかった。歩くだけで周りの注目を集め、ひそひそと話をされるのは結構辛い。


 ……いや、それも大変だったけどーー


「神園さん、どうしてるかな」


 ベッドに寝転がりながら呟いた。


 社長室に呼び出された後、彼の発言についカッとなって言い返してしまった。挙句、本当なら昨日の土曜は出かける約束をしていたのに、一方的にやめると言った。


 春木先輩が土井に漏らしたのかもしれない……そんな彼の意見を受け入れられなくてああなってしまったのだが、すぐに後悔に襲われた。


 彼が言っていることは、第三者から見れば至極真っ当な意見だった。私が神園に入ったことを知るのは春木先輩ぐらいで、もしかしたらそこから何か漏れたかのかもしれない。私は春木先輩を信じてるからありえないと思ってるけど、傍から見ればそう考えるのが普通なのだ。あんなに意固地にならなくても、『じゃあ本人に確認します。ほら、違いました』と返せばいいだけだったのに。


 それに、神園さんは今回の件で私を一切責めなかった。私のせいで彼も変な噂を立てられてしまっているというのに……。彼は親切で、冷静なだけなのだ。


「謝らなきゃなあ、と思ってるんだけどなあ」


 ラインを送ろうとしては、なかなかうまく文章が作れなくて挫折してしまっている。それに、直接謝りたい。とはいえ、こんな噂が出回ってるのにケーキ食べに行くのもなあ。どこで誰が見てるか分からないし……社内なんてもっと接触しにくいし……。


 悩み続け、まだ行動を起こせずにいる。


「ほんと、自分は頑固というかすぐ燃えるというか」


 いい加減、こういうところ直したい。


 はあと大きなため息をつきつつ体を起こす。近くに置いておいたスマホを手に取り、神園さんにどう送ろうか文章を打っては消すを繰り返す。


 と、そこでふと思うことがあった。


 謝る前に、やるべきことがあるだろう。


 第三者としての彼の意見は尤もなことだったと認めるなら、確認すべきなのだ、春木先輩について。やはりちゃんと聞いたうえで、違いましたと報告した方がいい。


 私は春木先輩の連絡先を呼び出した。文章を打とうとして、さすがに説明が長くなるなあと頭を掻き、時間のある時に電話したいという主旨を書いて送った。これで口頭で説明できる。


 すると返事は早く届いた。『今いいよ』とのことだったのだ。


 私はすぐに電話を掛けた。数コールで相手は電話に出る。明るい声が耳に届いた。


『もしもし、中谷? このあいだぶり』


 その声を聞いてなんとなくほっとした。やっぱり彼から伝わったわけじゃないんだ、と思ったのだ。


「こんばんは。急にすみません」


『暇してたから全然。もしよかったら今から飲みに行かない? また行こうねって言ってたし』


「あ……行きたいんですけど、今日はちょっと」


 さすがに、外に飲みに出る気分ではないので断る。


「ちょっと先輩に訊きたいことがあって」


『うん? どした』


「実はこの前、うちの会社に嫌がらせの文書が届いて」


 私は簡単に状況を説明した。本屋で土井に再会した直後、でたらめなことを書いた手紙が届いたこと。恐らく彼が送ってきたと思っているが、まだ確定じゃないこと。春木先輩は黙ってそれを聞いている。


「……って感じなんです。それであの、私ラインで再就職先については漏らさないでくださいって言ったじゃないですか? だから違うと思うんですけど、一応確認しておこうかと思って……どうやって土井さんは私が神園にいることを知ったのかな、と」


 私が尋ねると、沈黙が流れた。先輩を疑ったことで気分を害したらどうしよう、とハラハラしつつ返事を待っていると、向こうから勢いよく声が聞こえてきた。


『ごめんっ!!』


「……え?」


『いやーほんとごめん。土井がそんなことまでやると思ってなくてさ……ほら、前も言ったけど、うち未だにあの人中心に回ってるじゃん? 中谷たちがいなくなってから、なおみんな恐れるし土井は調子に乗るしで……しつこく聞かれたら、言い逃れ出来なくなってさ』


「……教えたんですか?」


 自分の声が震えた。さあっと血の気が引く感じがする。


 春木先輩は絶対に違う、って信じて、私は神園さんと言い争いになるぐらいだったのに。


 まさか本当に、土井に話していたの? 私があれだけ口止めしていたのに。土井が知れば何かしら行動するのは誰でも分かることなのに。


 だが彼は、悪びれる様子もなく続けた。


『あ! でも近藤のことはばらしてないから。近藤さんとは連絡とってませんって言い張ってさ』


「どうして由真のことは秘密に出来たのに、私の事だけ言ったんですか?」


『言ったでしょ? 土井を敵に回すと、うちもうヤバいんだよ……でもほら、俺もちゃんと状況を見てたんだよ。さすがに土井に狙われてた近藤のことは言っちゃダメだろうなーって』


「……そりゃ、由真のことを黙っててくれたことはありがたいですが」

 

『うん。近藤はともかく、中谷なら強いから何かあっても平気だろうなって信じてたから!』


 なに、それ。


 口から声にならない息が漏れる。


 つまり、未だに土井を中心に回ってる職場で彼の機嫌を取るために、私のことを話したというの? 私ならいいだろう、そう勝手に決めつけて。


 強いからこれくらい平気だろう、と思って。


『ごめんな? お詫びに今度こそおごるよ。飲みに行こう、ちょっといい店予約するよ』


「……あんな嫌がらせがあったせいで……私がどんな気持ちで働いていたと思うんですか?」


『ごめんほんとに。でもちょっと手紙が届いたぐらいでしょ? きっと周りもすぐに忘れるよ。堂々としてた方がいいよ』


「他人事ですね」


『違うよ、中谷なら大丈夫だって信頼してるんだよ。俺はずっとそういうところがいいなって思ってたんだよ、これほんと。地に足がついてるっていうかさ。そう思ってなかったら、職場が変わった今も連絡とらないよ』


 へらへらいう言葉から、反省の意は全く感じれない。私は顔を顰めて目を閉じた。


 何を見てたんだろう……凄くいい人だと思ってたのに。


 優しくて、明るくて、仕事も出来て。素敵な人だなあって憧れてたこともある。今回だって彼のことを信じていた。


 なのに、こんな人だったんだ。


 私を売ったんだ……自分の評価のために。それも、コネで偉そうな顔をしてるようなやつ相手に。


 いくら私の気が強いからと言っても、傷つかないわけじゃない。


「……もういいです」


『え、ちょっと待って。怒ってる? ごめんって、謝ってるじゃん。俺もさ、やりたくなかったけどしょうがなくて……中谷なら分かってくれると思ってたんだよ。中谷は仲間思いじゃん? だから、今回のことも理解してくれるって』


「自分のために人を陥れるような人のことは理解できません」


『陥れる、って大げさな……そんな言い方なくない? ずっと一緒に頑張ってきて、お互い理解し合ってると思ってたよ。相手を許せるようになってこそ、一人前だよ』


 不服そうな声に、話していても無駄だと思った。誠心誠意謝ってもらいたいところだが、これ以上会話を続けていたら私の頭がどうになかってしまいそう。


 唇を強く噛み、何とか声を絞り出した。


「分かりました、もういいです。春木先輩とは二度と会いませんし許しません。自分がしたことで、他の人間が酷く傷ついたってことは覚えておいてください」


『い、いやちょっと待ってって。ごめんって。俺はさ、中谷のことが嫌いでやったんじゃないんだよ。むしろ、中谷のことはいいなって思ってる。他の人間より信頼を置いてて、だからこそなんだよ。むしろ光栄と思っていいよ! もちろん許可なく漏らした俺も悪いけど、冷静になって話そう? 会おうよ』


「私だけじゃなくて、今回は神園さんまで巻き込んだんです。冷静になって話すことなんてありません、もういいです」


 きっぱり言い切って電話を切ろうとしたとき、最後にいらだった向こうの声が耳に届いた。


『……社長相手に突っかかるほど気が強いくせに、いざ自分がちょっと攻撃されると女ぶって弱いとか』


 一瞬手が止まったが、もう相手にするまいと思い通話ボタンを切った。そのあと布団にスマホを放り、両手で顔を覆った。


 上手く息が吸えない。


 私は矛盾してるんだろうか。いつでも強く何にも負けないくらいでいなきゃいけないんだろうか。確かにカッとなりやすいし気も強い自覚はある。でも、自分が傷つくのを恐れる心は持ってる。


 強いからと言って、利用されて平気なわけがない。


「……やだな、神園さんの言う通りだった」


 情けない声が漏れる。あれだけ春木先輩は違いますって啖呵切ったくせに、結局その通りだった。かっこ悪い、本当に馬鹿だ。


 謝らないと。


 そう思っても、体が動かなかった。悔しくて悲しくて涙が勝手に零れてきた。強く噛みすぎた唇から、鉄の味がした。






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