第22話 届いたもの



 次の日は仕事が休みだったので、予定もない自分は部屋でごろごろして過ごしていた。


 春木先輩から『また飲みに行こう』というラインが来ていた。ただ、具体的な話までは至っていない。『また行きましょう』という返事のまま終わっている。


 さらに、神園さんからも来ていた。文面から見れば至って冷静な感じで、『驚かせてすみませんでした 来週楽しみにしています』という簡素なもの。当たり障りのない返事をし、これまたそのまま終わっている。


 色々考えたけど、まだ答えは出ないし今後どうするかも決まっていない。とりあえず、約束はしたんだからケーキは食べに行こうと思っている。


 ただどう考えても……やっぱり神園さんと付き合うなんて自分は想像できなくて、彼と今後進展する可能性はないように思えた。由真に電話で相談したら、あの子ははしゃいで『玉の輿だあ!』なんて叫んでいたけど、そう簡単な話ではない。

 

 ぼうっとしてたところ、スマホで好きな本の新刊が出たという情報を目にした。しまった、予約しそびれていた。ここ最近忙しくてそれどころじゃなかったのだ。


 一日中家にこもりきりもよくないと思ったので、近くの大きな本屋へ足を運んだ。近年、本屋がどんどん減っているという話はよく耳にするが、少なくともこの本屋はそれなりに人が多く、かなり混雑しているように見えた。


 私は新刊コーナーをうろうろし、ようやく目当ての物を見つけて、笑顔で手を伸ばした。


「あれ? 中谷さん?」


 そんな声がして手が止まる。嫌な予感がした。


 恐る恐る顔を上げてみると、にやにやした嫌な表情をした男が目に入る。さあっと血の気が引いた。


 土井光孝……。


 私と由真を会社から追い出した犯人だ。不快感が全身を満たした。


 由真をさんざん口説いて相手にされないことに逆上し、社長である自分の伯父にあることないこと吹き込んで、由真をクビに追いやった。仕事もほとんど何もせず、嫌なことは人に押し付け手柄だけ持っていく最低な男だ。今でもこいつがやりたい放題だと、春木さんは嘆いていた。


 土井は私に近づき、見下ろしながら言う。


「何してんですかこんなとこでー? 無職は時間がたくさんあるしいいですねー」


 完全に馬鹿にした顔で私を見ている。ぴくっと自分の眉が吊り上がった。


「無職じゃないですが何か?」


 私が答えると、そいつは意外そうに目を丸くした。


「え、もう働いてんの?」


「そうですけど。幸い、自分にはもったいない所に再就職できたので」


 私がそうつっけんどんに言うと、あからさまに土井の機嫌が悪くなった。


「へえ? そう言うからには、うちの会社よりでかいとこなんだろうね?」


 大声で言ってやりたかった。神園に勤めてますよ。今急成長してて、周りからも一目置かれてる神園ですよ!


……が、我慢しておこう。


 私だけじゃなく、神園には由真もいる。別支店だけど、もしこいつに再就職先を感づかれることにでもなったらーーまたあの子が付きまとわれる可能性だってある。


 私は目当ての本を手に取りつつ答えた。


「まあ、どこだっていいじゃないですか。とにかく今はやりがいのある仕事が出来てとても楽しんでます。土井さんも仕事頑張ってください」


「は? 中途半端な年した、顔もたいしていいわけでもない女がそんないいとこに入れるわけないだろーが。つよがんなって」


「女性の価値は若さと美しさだけだと思ってるんですか? 私も由真も、仕事を人任せにせず頑張ってきたので、力をつけてきたんです。今はやりたいことが出来て充実していますから、心配は無用です」


 本当なら言ってやりたいことは山ほどある。暴言だって嫌味だって吐いてやりたいけど、ここは我慢だ。大人になってこらえないと、この男は何をするか分からないんだから。


 土井の顔は無表情になっていた。私をじっと見るその様子が不気味で、さっさと去ろうと背中を向ける。


「クビにされて泣いて後悔してるかと思ってたのによ」


 吐き捨てるようにして言ったその言葉に一瞬振り返る。そもそもクビじゃないっつーの、自分で辞めたんだっつーの! 言い返したいのをぐっとこらえ、私はただ愛想笑いだけを浮かべて頭を下げた。そしてそそくさと、そのまま会計を終えて本屋から出て行った。


 嫌な奴に会ってしまった。ぶるぶると震えがくる。怒りと嫌悪、怖さもある。


 せっかく忘れていたのに、またあの顔を見る羽目になるとは。二度と会いたくないと思っていたし、会うこともないと思っていたのだ。あいつが来たせいでいい職場はぐちゃぐちゃにされ、私も由真も仕事を失うことになった。


 ただ、今の環境がいいので過去のことは気にしないでいられている。やはり神園に入れたことは大きい。まだ今も無職だったら、あいつに掴みかかっていたかもしれない。


「そうだ、一応春木先輩に、私と由真については土井には内緒にしといてくださいって伝えておこう」


 そんなこと言わなくても分かると思うけど、念のためだ。私はラインで今、土井に会ったことを伝える。返事はすぐにあり、『もちろん、絶対に言わないよ! まあ中谷と会ったことすら言ってないから』とあったのでほっと息を吐いた。


 ようやく落ち着いてきた平穏な日常。あんな男に怯えたくない。


 


 週が明けて、仕事が始まる。私はまた必死に働くだけだ。


 普段通り働き昼を迎えた自分は食堂に行ったあと、満腹状態で気分よく職場に戻った。頼んだチキン南蛮定食はボリュームもあって美味しかった。神園って食堂も美味しいよなあー、なんて考えながら、午後も頑張るとぞ気合を入れる。


 そのまま足を踏み入れた時、周りの人たちが一斉に自分に注目したのが分かった。


 みんな一か所のデスクに集まり、戸惑ったような視線で私を見ている。誰も口を開かないので、しんとした静けさが流れていた。


「……え? どうかしましたか?」

 

 やけに視線を浴びているぞ。何だろう、私何かやらかしちゃったのかな。


 一人の同僚が困ったように視線を泳がせたあと、でも何かを決心するようにこちらに向かってきた。私が入った時から仕事を教えてくれている、前橋さんだ。五歳年上の女性で、気さくでいい人なのだが……。


 前橋さんが声を潜めるようにして、私にいう。


「あのさ、さっきうちに届いたんだけど」


「荷物ですか?」


「……」


 無言で持っていた白い用紙を私に見せる。それを見た途端、息が止まった。



『中谷月乃 

 前の会社で社長に対しての暴力行為でクビ!

 神園社長に体を使って入社!!』




 

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