第20話 泣きそうな顔

 ゆっくり神園さんを見上げる。彼はコートを手に取りすました顔をしている。


「じゃあ月乃は送っていく。春木さん……でしたね。月乃は任せてください」


「え、あ、あの、俺の食事代」


「別についでだったので。では」


 どうもつっけんどんに見えた。そのまま神園さんが外に出て行ってしまうので、私は急いで春木先輩に挨拶をした。


「すみません、神園さんが車で送ってくれるみたいで」


「……え? わざわざ?」


「今日はこれで失礼します。楽しかったです、ありがとうございました」


「あ、うん、じゃあまた誘うね」


「はい!」


 私は短く会話を交わすと、店の外へと飛び出した。ひやりとした風が頬を撫でる。辺りを見回すと、少し離れた場所で神園さんが立っていた。


 すらりと背が高いので、立っているだけで絵になる人だった。風が彼の髪を揺らし、乱れた髪の隙間から鋭い目が見えた。


 怒ってる? ううん、違う、どこか捨てられた子供みたいな悲し気な顔に見えるんだ。どうしてだろう、夜がそう見させるんだろうか。


 私は彼に近づく。


「わざわざありがとうございます」


「うん、車こっちだよ」


 二人で近くのコインパーキングへ向かう。以前も乗せてもらった車に乗り込み、シートベルトをすると、神園さんは無言で発進させる。会社から近いとはいえ、夜だし人に見られる心配がなさそうなのは幸いだった。


 この前ケーキ屋に行くとき、神園さんの車に乗る様子を社員に見られた。案の定、次に出勤すると周りの人に根掘り葉掘り聞かれてしまった。付き合っているんだとか、そんな風に噂が出回っていたのだ。


 強く否定しておいた。ケーキはあくまで私が体調が悪くなった神園さんを介抱したお礼に誘われたことだし、その後も会う約束はしているけれど深い意味はない。でも、周りの人たちは半信半疑だったので、噂が落ち着くまでしばらくかかると見た。また神園さんの車に乗っている姿を見られたら、噂が燃え上がるだけだ。


 しばらく無言で運転していた彼が、私にポツリと尋ねた。


「前の職場の同僚だってね。仲良かったの?」


「一つ上の先輩でお世話になりました。みんなでよく飲みに行ってました」


「みんなで?」


「はい。土井さんが来るまではみんな仲良くて、仕事終わりに食事に行ったりもしていたので……私と由真が辞めなきゃいけなくなったとき、自分が何もできなかったって後悔してくれてたみたいです。だから今日誘われて……私が神園で楽しく働いているのを見て安心したみたいです!」


「そう、それはよかった」


 薄暗い夜道をヘッドライトが照らしていく。私の家までの道を、神園さんはすでに覚えているようだった。記憶力のいい人だな、なんて思っていると、神園さんがどこか低い声で言う。


「君は好きなの? 春木という青年のこと」


「え!??」


 ぎょっとして隣を見た。暗くてあまりはっきり見えないその横顔が、今どんな表情をしているのかいまいちつかめなかった。ただ、面白がって聞いている様子はなさそうだ。


「急になんですか!」


「いや、楽しそうだったからそうなのかなって。あっちは多分月乃に好意を持ってるよね」


「そ、それはどうでしょう? 別に仲のいい後輩ってだけかと」


「女性と二人きりで出かけるのに、なんとも思ってない男はいない」


 きっぱり断言したのを聞いて固まった。


……それなら、今度出かける約束をしてる神園さんも私に何か思ってるってことになってしまうのでは……


 戸惑って視線を泳がす。うーん、でもそれはやっぱりありえないような……趣味友達なら性別を超えると思うし。


 黙ってしまった私をよそに、彼は続ける。


「もし向こうから好意を伝えられたら? どうするの? 付き合うの?」


「え、待ってください、そんなこと考えてないっていうか」


「どう返事をする? 好きな気持ちがないのに付き合うってことも一般的にはありえる。相手は自分にとってどう? 付き合えば結婚だって視野に入ってくる。そういう面も考えて春木という男は一体どうなの?」


「待ってくださいって!」


 突然の質問攻めに混乱してそう言った時、丁度目の前の信号が赤になった。車が停まり、神園さんがこちらを見る。ようやく、彼の表情がはっきり見えた。


 真剣な顔だった。こちらのすべてを見透かすような鋭い目には、怒りのようなものが込められている。自分の心臓が冷えた気がした。


 一番最初に出会った時、どこからか、この人は普通じゃないと感じた。ヤバイ人な気がするーーそう思ったけれど、最近はすっかり忘れていた。いい所とか、意外な好みだとかが分かってイメージが変わっていたから。


 でもやっぱり、私には到底理解しきれない何かが、この人にはある。


「い、いや、私はそこまで考えてないんです。昔は先輩をちょっといいなと思ったことがありましたけど、だからといってすぐ付き合うとか思ってないし……」


「…………」


「ていうか、どうしてこんな話を」


 私が言いかけたところで、後ろからクラクションの音がした。いつの間にか信号が青に変わっていたようだ。神園さんは無言で前を向いて、アクセルを踏む。


 ドキドキした心を必死に抑えた。


 まるで尋問されているかのような雰囲気だった。逃げることが出来ない、そんな圧迫感を覚える。誘われるがまま車に乗ってしまったのを後悔したぐらいだ。


 少しすると、自分のアパートの前に車が停まる。ほっと息をつき、すぐに降りようとシートベルトを外した。


「すみません、方向反対なのにわざわざ送って頂いて。助かりました、では」


「どうしよう」


「……えっ?」


「頭がおかしくなりそうだ」


 ハンドルを握ったまま俯く彼から、そんな苦しそうな声が聞こえた。また体調でも悪いのかと焦り、慌てて声を掛ける。


「どうしたんですか? また眩暈が」


「前、あの男を気になっていたなんて、そんなことを聞いてしまって、今ぐちゃぐちゃに混乱してる」


 絞り出すような声に驚きで動けずにいると、神園さんがそっと顔を上げた。


 今度は、彼は泣きそうな顔をしていたのだ。


 混乱と悲しみのはざまにいる、そんな表情だ。思わず胸が締め付けられるような彼の様子に、私はただ何も言えずに固まったままだ。


 神園さんは私の目をしっかり見つめたまま告げる。


「好きです」


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