月乃の戸惑い

第19話 解散



「神園の社長と……仲いいんだね」


 やや声をひそめて、春木先輩が言った。


 久しぶりに飲もう、となって仕事終わりに待ち合わせた。春木先輩は変わらず優しくて人懐こい、いい人だった。


 そこに偶然にも、神園さんがいたので驚いた。神園の社長も、こんな庶民的なお店に来たりするんだなあ、なんて。しかも、一人で来たみたいだし。


 でもずっと仕事で忙しかったらしいから、一人でゆっくり飲むっていうのもいいストレス発散になりそうだし、なんだか安心した。人間っぽいなと思ったのだ。


 それより、向こうから声を掛けた来たことが一番予想外だった。確かに最近、ラインをしたりデザートを食べに行く約束もしていたりするけれど、向こうは社長なんだし、私が誰かとプライベートで食事をしている時に話しかけてくるとは思えなかったのだ。


「仲いいわけじゃないです。ただ、仕事を紹介してくれたのは神園さんで」


「え!? どうしてまた!」


「由真のことで揉めてる姿を見られてたんですよ。そのあと偶然再会して、色々あったけど仕事を紹介してくれました。あ、由真もなんですよ! あの子は別支店ですけど」


「ああ、二人ともか……へえ、案外優しい人なんだね」


 春木先輩は奥を覗き込むようにして言う。私もつられて背後を見ると、離れた場所に神園さんの後姿を見つけた。この距離では会話までは聞かれない。


「それで仕事はどうなの?」


「楽しいですよ! やりがいもあるし、周りの人もいい人たちです!」


「そう、よかった」


 春木先輩は目を細める。頼んだビールを飲みながら、どこか切なげな顔で言う。


「二人が去っていくのに、俺は何もできずでさ……本当に申し訳ないなって思ってて」


「いえ、気にしないでください。私は血の気が多いだけですし……あの状況なら、何をしても変わらなかったと思います」


「でも、二人がいなくなってから酷いもんだようち。相変わらず土井はやりたい放題。近藤がいなくなって他の女子に目を付けて迷惑がられてるし、仕事は人任せで手柄だけとる。昔の職場が嘘みたいにピリピリしてて、こんないい方もあれだけど、中谷たちは辞めて正解だったと思うよ。みんな土井にびくびくしてる」


「まだそんな状態なんですか……」


 結局、あっちの社長は何も現場のことを分かっていないらしい。これじゃあ崩壊も時間の問題だな、と思った。


 あの男が来るまでは、アットホームでいい場所だったのに。


 春木さんが苦笑いした。


「ごめん、愚痴。でもほんと、中谷たちはいいところに就職できたみたいでほっとしたよ。今頃どうしてるかなーって気になってたんだ。でもさすがだよ、中谷はいつでも前向きで強いから、俺の心配なんて不要だったかも」


「そんなことないですよ! 連絡、嬉しかったです」


 私が笑顔で答えると、春木先輩はまた声を潜めるようにして訊いてくる。


「それで、仕事を紹介してくれた以外も、神園さんとなんかあるの? 個人的な付き合いがありそうないい方だったけど」


「と、とんでもない!」


 私は慌てて首を振る。


「神園さんと趣味が似てたんです。甘いもの好きなのと、好きなキャラクターが同じで。だから甘いものを食べにいくのと、キャラクターショップに行く約束をしてますけど、特別な関係じゃないですから」


 そう、まさかの神園さんもあのキャラを好きだと知って興奮した。女の子なら好きな人は見るけど、男性には珍しかったからだ。スタンプをたくさん持っていて、意外さに笑ってしまった。


 最初のイメージが悪すぎたからか、最近はどんどん好感度が上がっている。仕事に対して真面目だし、苦手な料理も頑張って食べるし、甘い物や可愛いキャラクターが好き。初めに会った時は、なんかヤバイ奴だと思ったのになあ。


 春木先輩はそうかと納得する。


「まあ、社長と付き合うとか、なかなかないよな。神園の社長であんなに顔がいいから、モデルとか女優とかと付き合いそうだし」


「ですねえー別世界の人ですよ」


「じゃあ、俺も心置きなく中谷を誘えるんだ」


「えっ?」


 それって、どういう意味?


 春木先輩がにこりと笑って顔を傾ける。


「また誘ってもいい? 俺、中谷ともっと話したい」


「……はい、もちろんです」


 断る理由なんてなかった。深い意味があるのかないのかよく分からないけど、どちらにしても春木先輩は私にとっても大切な人だ。

 

 また会って話せるなら、私も楽しいんだから。





 しばらく先輩とくだらない話で盛り上がり、そろそろ帰ろうかという話になった。


 立ち上がり会計へ向かうと、カウンターにまだ座っている神園さんの姿を見つけ、挨拶ぐらいしてから帰宅しようと思って声を掛ける。


「神園さん、お先に失礼します」


 ふいとこちらを見る。彼は腕時計を見てああ、と声を出した。


「もうこんな時間か。俺もそろそろ帰らないと」


「あ、神園さんも帰られますか?」


「今から帰るなら、送っていく」


「え!?」


 予想外の提案に慌てる。ちらりと見れば、神園さんのテーブルの上にはウーロン茶らしきものが乗っていた。車で帰るつもりらしい。


 とはいえ、わざわざ送ってもらうのは申し訳ない。彼の家も知っているが、私とは方面が違うのだ。


「大丈夫です!」


「いや、暗くなってきたし女性一人は感心しない」


 立ち上がりながらそう言ってくれたのを聞いて、少しどきりとした。この前もだけど、ちゃんと女扱いしてくれるんだよなあ。


 どうしよう、せっかくこう言ってくれているし、お言葉に甘えた方がいいんだろうか。


 私が迷っていると、後ろから春木先輩の声がした。


「中谷! もう会計が終わってるって言われたんだけど」


 困ったような彼の顔が見えて、ぽかんとする。勿論私は会計なんて済ませていない。となると、一人しかいない。

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