月乃の疑問
第11話 彼からのお礼
大きなあくびをして出社した。
少し慣れてきた会社は、想像していたよりずっと働きやすかった。まず働いている人がいい人たちばかり。土井みたいなやつがいないのはもちろん、みんなで協力して早く帰ろう、という精神が強いので、助け合いが自然と行えている。
気さくで面白い人たちばかりだし、声もかけやすい。しかし、聞けば会社の経営が上手く行っていなかった頃はかなり職場もあれていたらしく、ピリピリしていたんだとか。どうやらリストラされるかもという噂も流れていたらしい。今じゃ想像もつかない。
でも、神園さんが就任し、結局リストラもすることなくまた経営は軌道に乗れた。働き方改革も進み、昔よりずっといい会社になったのだと、周りの人たちは言っていた。
へえ、やっぱりすごい人なんだなあ。と、私は単純にも彼を見直した。
さらには、昨日東野さんが家まで送ってくれる途中のこと。彼との会話が蘇る。
『最近寝てなかったっておっしゃってましたね? やっぱり社長ですし忙しいんですね』
『ああ、それももちろんですが……ある社員が大きなミスをしてしまって、その後始末に追われていたんです。なかなか大事になりまして、社長自ら動いていて』
『そうなんですか。それで、そのミスをした人は?』
『誠心誠意社長に謝罪して、一緒に対応に走っていましたよ』
『特に処分などはなく?』
『普段から真面目に働いていることは社長もご存じだったので、特には』
コネ入職した甥っ子の話だけを聞いて由真をクビにした誰かとは全く違う。これが普通だとも思うのだが、感心してしまった。神園を立て直しただけのことはあると思った。
ぶっちゃけ彼本人にはあまりいい印象を抱いていなかったのだが、周りからの評判を聞くと、評価が上がらざるを得ない。由真に連絡して聞いてみても、いい職場だと喜んでいたし、こんなところに入れたのを感謝してもしきれなかった。
一度ちゃんとお礼を言いたいな、と思っていたところ呼び出しがかかり、直接話せたのはよかった。でも、目の前で社長が倒れるなんてのは全くの予想外で、さらに自宅まで付き添っていったのはもっと予想外。
でも仕事のせいであまり眠る時間がなかっただとか、誰に出されたかは知らないけど用意されたビーフシチューを苦手なのに食べただとか、聞けば聞くほど頑張り屋なんだなと思ってしまった。
あれからちゃんと食べたかな。気持ちよさそうにすやすや眠ってたけど、今日は休みとかなのかな。
そんなことを考えながら、まだ慣れない仕事に必死についていく。かなり忙しいので目が回りそうになりつつも何とか仕事をこなしていると、上司にこっそり呼び出された。帰りにまた社長室に寄るように、ということだった。
首を傾げる。上司も同じように傾げた。
昨日は、働く環境はどうだと尋ねられ、親切にもそれを聞くために呼び出したのだと分かったが、連日の呼び出しとは。一体なんだろう。もしかして、私昨日何か忘れ物とかしちゃったのかな。
もちろん社長の命令に背くわけもなく、私は帰りの身支度を整えた後、またしても社長室を訪れることになった。
「失礼します」
ノックをして扉を開け……ようとしたとき、その扉がガチャっと自動的に開いたので驚きの声を上げてしまった。見上げてみると、神園さんがすぐ前に立っている。
「しゃ、社長! すみませんびっくりしてしまって」
見たところ顔色は良さそうだ。体調はだいぶ良くなったらしい。彼は一度何かを言おうとしてすぐに口を閉じる。
「昨日は……ありがとうございました」
「あ、いえ。体調はもう大丈夫ですか?」
「寝不足だったようで、朝まで寝たらすっかり」
「よかったです」
「とてもお世話になったので、お礼がしたいと思って」
彼はそこまで言うと、私を中に招き入れる。何も考えず足を踏み入れたところで、ソファにたくさんの紙袋が並んでいることに気が付いた。どれも有名ブランドの物ばかりだ。
きょとん、と目を丸くした。そんな私の後ろから、神園さんが言う。
「気に入るものがあるといいんだけど」
そんな言葉が聞こえたので、驚きで振り返る。彼は微笑んで私を見ていた。まさか、これ全てお礼のために買ったというの?
改めて見てみると、ブランドに詳しくない人でも分かるような高級店のロゴばかり。それも大きいサイズの紙袋ばかりで目の前がちかちかした。せめてリップ一本ぐらいなら、まだ受け取れたかもしれないのに。
神園さんが言う。
「女性が喜ぶもの、ということで色々揃えたんだ。でも好みもあるだろうから、気に入らない物は置いていっても構わないし、売っても構わない。開いて見て貰えればいいよ」
どこかイキイキしたように話す彼に、ただ唖然とした。そりゃ、社長ともなればお金は私よりずっとずっとあるんだろうけど、これはないんじゃないか。
私は彼に向き直る。
「どれも頂けません」
「……え?」
神園さんの表情が変わるが、私はなおも続けた。
「ちょっと看病したぐらいで、これはやりすぎです。貰うのが申し訳ない」
「そんなこと考えなくていい。本当に昨日助かったんだから、ちょっとした気持ちだし」
「だとしても、私は受け取れません。返品でもしてもらってください」
いくらなんでも無理だ。自分なら手が出せない高級品を、こうもあっさり貰ってしまうのは気まずい。もしかすると、彼からしたらはした金かもしれないが、私にとっては違うのだから。
神園さんは目を見開いて固まった。
「でも……女性に人気なもの、と」
「人気だとしても私が好きだとは限らないし、そもそも頑張った自分へのご褒美に買うとか、恋人が特別な日にくれるだとかで手に入れるものです。社長にとっては安物なのかもしれませんが、私にとっては高級品だし、私たちはそんなものを贈り合う間柄ではないですから。他に差し上げたい方などいれば、どうぞそちらへ。お気持ちだけいただきます、ありがとうございます」
私は頭を下げた。
さすが神園社長は違うなあ、なんてぼんやり思っていた。ちょっと看病しただけで、ブランド物をずらりと並べられるなんて、どこの映画だよと言いたい。普通の女なら、ここで跳ねて喜び、高い声でお礼を言うだろうし、そっちの方が相手は喜ぶのだと分かっている。
でも、自分がした行動に対して、どう考えても釣り合ってない物をもらうのは心苦しすぎる。だって、上着をハンガーにかけてカイロ張り付けて風呂掃除をしただけ。ありがとう、おかげで元気になったよって笑ってくれればそれで十分なのに、やはり平社員の私と神園社長はずいぶん価値観が違うようだ。
「……君以外に贈りたい女性なんていない」
ぽつりとそんな声が聞こえて、驚いて顔を上げる。セリフだけ聞けば、勘違いしてしまいそうな内容だ。そして神園さんは笑みをなくし、落ち込んだような、それでいて混乱しているような複雑な顔をしていたのでなお驚いた。
「え、あ、あの……」
「君のために全部購入した。好みが分からなかったから一つぐらいは好きなものがあればいいと思って。好きじゃなかった? じゃあどこのブランドが好みなの? 何を贈れば受け取ってくれる?」
「い、いえ、好みとかじゃないんです。こんな高価なものを頂くほどのことをした覚えもありませんし、社長から頂くのもおこがましいかと」
しまった、せっかくの厚意を無下にして機嫌を損ねてしまったのだろうか? こういうところが自分の可愛げのなさだと反省するが、かといってどうしても貰うのは心苦しい。困ったことになった。
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