第2話 賢くない自覚はある




 春木先輩の言うとおり、うちの会社では社長と直接話せる機会なんてそうそうない。それは春木先輩の言う通りで、私もそう簡単に会えるとは思っていない。


 でも何もしないで黙っているなんてできっこないのだ。


 とはいえ、一体どうやって社長に会えばいいんだろう。社長室に乗り込む? いや、そこにいるとも限らない。そもそも社長って生き物は普段どこにいるんだろう? 時々歩いているのを見かけたことはあるけど、話したことだってもちろんない。


 目的もなく走ってきたはいいが、途方に暮れる。と、玄関近くまで来たところで、受付で聞いてみよう、と思ったのだ。すぐに社長じゃなくても、社長と近しい人に会えるだけでもいい。


 私は乱れた息を少し落ち着かせて、受付の人に声を掛けた。


「あの!!」


「はい、どうされましたか」


「うちの社長に会うにはどうすればいいと思います!? あの人に近しい人でもいいです。秘書とか、そういうの? ちょっとでいいから話したいんですが!」


 前のめりになりながらそう言うと、受付のお姉さんは驚いて戸惑っていた。そりゃそうだ、多分今の私は怒りで顔を真っ赤にさせ、目だって血走っているかもしれない。人を殺しそうな顔をしている自覚がある。


「え、ええと、すぐにお会いするのは難しいかと」


「社長本人じゃなくてもいいんですって」


「ご、ご用件は?」


「甥っ子がやらかした悪事についてですよ!!」


「は、はあ……?」


 完全に不審者を見るような目で見られている。だがその時、私の背後を見て驚いたように目を丸くしたのが分かった。つられるように振り返ると、正面玄関から、なんと目当ての社長が入ってくるところだったのである。


 彼は誰かと談笑をしているようで、穏やかな表情でゆったりとこちらに向かってきていた。


 何たる偶然。神がくれたとしか思えないタイミング。


 お姉さんがあたふたしてるのを無視し、私は無言で社長の前に立ちはだかった。秘書なのかなんなのか、若い男がいぶかし気に私を見て声を掛けてくる。


「なんだ君は? すぐにどいて」


「社長に話したいことがあるんです。数分頂けますか」

 

 私は目の前の男を睨みながら言った。今まで遠くからしか見たことがない顔。パソコンの画面上とか、印刷された紙の上で見ることの方が圧倒的に多かった。これが、あのくそ男の伯父か。年は五十過ぎぐらい、眼鏡をかけたよくいる中年男性で、髪はびしっと固めて整髪剤の匂いがうっすらした。


 眉を顰め、私に厳しい声を投げる。


「何だね君は? 今私は仕事中で」


「あなたの甥っ子である土井光孝。彼のせいで解雇になった子がいますね? 私の同期です」


「だから急になんだ! 失礼な。私は今仕事中だぞ!」


 大きな声で言った後、すぐ隣にいた男性に頭を下げた。さっきから談笑していた相手だ。営業スマイルでにこにこする。


「申し訳ありません神園社長。こちらから行きましょう、エレベーターがございます」

 

 神園、という珍しい名前を聞いてピンときた。そのまま視線を動かし顔を見て、やはりあの人か、と心で思う。


 神園碧人。黒髪にすっとした切れ長の目。整ったその顔は、一見俳優のように見えるが、彼はとんでもなく経営能力のある人間だ。ここ最近ぐんぐんと成長している企業・神園の社長をしている。


 確か元々は、彼の父親か誰かが社長だったのを、体調を崩したかなんかで退かねばならず、若くして彼が就任した。その頃神園は、以前より経営が傾いてきていると噂があった。だが彼が就いたあと、瞬く間に会社は急成長を遂げるようになり、かなり注目を浴びている。


 なるほど、神園社長がわざわざ来てくれるので、うちの社長も出迎えにでも行っていたのだろうか。


「ほら、すぐにそこをどき」


「申し訳ありません、神園社長」


 私は深々と頭を下げた。そして、彼に言う。


「三分でいいのでお時間を頂けますか。私は大事な同僚であり友人である人の汚名を晴らしたいんです」


 顔を上げると、彼は何も反応せず私をじっと見下ろしていた。それはこちらが心臓が冷えてしまいそうになるぐらい冷たい表情で、ついどきりとした。だがもう、今更引き返せない。


 少し沈黙があったかと思うと、彼はわずかに口角を上げ、案外爽やかな声色で答えた。


「いいですよ。面白そうです」


「……ありがとうございます」


 再度頭を下げると、私は社長に向き直った。


「社長。土井さんに暴力をふるったとして処分を下された近藤由真についてです。土井さんから何を聞かされたか知りませんが、きちんと近藤からも話を聞きましたか? 彼女はずっと土井さんからしつこく交際を迫られていて」


「なんだ君は、失礼だな! 神園さんをお待たせしてまで言うことか!」


「ああ、申し遅れました、中谷月乃と申します。近藤と同じ部署です。こうでもしないと、近藤は会社からいなくなってしまうし、逆に土井さんは野放しのまま。早くお話させてもらわないと」


「なんて失礼な人間なんだ、こんなやつは見たことがない。神園さん、ささこちらへどうぞ」


「話を聞いてくださいって言ってるの!」


 足を進めようとした社長に立ちはだかるように立ち、私は彼を睨みつけた。相手は顔を真っ赤にさせる。


「いい加減にしないか!!」


「コネで入社した甥っ子が、普段どんな仕事ぶりかご存じですか!? 挙句の果てに由真を無理やりホテルに連れ込もうとして暴れられて負った傷を大げさに報告して、由真をクビにするよう仕向けた男ですよ!」


「いいや違う。光孝が嫌がっているのに女の方がしつこく交際を迫ってきたんだ。光孝より年上のくせに。それで光孝が断ったら逆上して、殴ったり引っかいたりと大怪我を負わせたんだぞ!」


「だったら二人以外からも話を聞いてみればいいじゃないですか! 働いてる人たちに聞いたら、嘘をついてるのはどっちかすぐに分かりますよ。そんなこともせずに、一方の話だけ聞いて人の人生を狂わせるなんて、それでも人の上に立つ人間のやることですか!」


「なっ……!」


「ずっと真面目に働いて会社にも貢献してきた由真を簡単に切り捨てるなんて。恥ずかしいと思わないんですか!」


 私の怒鳴り声を聞いて、赤い顔をなお紅潮させた。血圧が上がりすぎて二人して倒れるかもしれない、と思ったほどだ。それぐらい、私たちはヒートアップしてしまっている。


 だがそこで、二人の間に入ったのは神園さんだった。冷静な声で淡々と話す。


「まあ、一度落ち着いてください。それに、三分経ちました」


「え……」


「なんとなく流れは分かりました。ですが、部外者なので私が口を出すことではないですね。どちらが正しいのかは分からないので」


 すっと目を細めて私を見る。その冷たい視線に、体が冷えてしまった気がした。


 うちの社長とはまるで違う。年齢だって若いのに、ものすごい威圧感を感じる。温かみを感じない、逆らってはいけない何かをひしひしと感じる。


 ……この男、上手く言えないけれど、ヤバい人間な気がする。


「まあ時間もないのでこれぐらいに。でも一点……中谷さん、とおっしゃいましたっけ」


「は、はい……」


 彼は薄ら笑いを浮かべたまま、私をじっと見る。


「ずいぶん友達思いなんですね。そこは感心してしまいます。でも、こんな目立つ場所であんな発言をするのは賢い方法ではない。今後のあなたの立場のことを考えなかったんですか?」


 その言葉をぐっとかみしめる。それは由真も言っていたことだ。


『そんなことをしたら、月乃の立場が悪くなるだけだからやめなよ!』


 由真をあんな無茶苦茶な処分にした社長が、そして土井が、私をそのままにしておくわけがないと分かっている。


 ただ、後悔は全くしていなかった。私は自分でも驚くほど冷静に神園さんを見つめ返し、堂々と言った。


「友人を侮辱して苦しめる会社にある自分の立場なんて、これっぽっちも考えてなかったですね」


 私がそう言ったのを聞いて、神園さんの瞳が少し揺れた。私は決して視線をそらさない。


 しばし沈黙が流れたかと思うと、社長の怒りの声が響いた。


「こんなことをして、ただで済むと思うなよ! 神園さん、申し訳ありませんでした。変なことに巻き込んで……このものはしっかり処分しておきますので」


「いえ」


「さ、こちらへどうぞ」


 へこへこしながら去っていくのを、私は見送るしか出来なかった。まだまだ言い足りないけど、三分と言ったのは自分だ。無関係の神園さんの時間をこれ以上無駄にするわけにはいかない。


 残された自分は、好奇の目に晒されていた。でもそれすら気にならないほど、未だ怒りが全身を支配していた。


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