第52話 父への反抗

 クーヤが治療を始めたすぐの事。ナディは今、奇跡を目の当たりにしていました。ずっと死人のような顔色だったメリアの血色が戻ったからです。

 両手で口を押さえ、感動でむせび泣きそうになるのを堪えます。回復する様子がなく、目覚める事がないメリアをずっと傍でナディは見続けていたのです。


 (メリア様)


 心の中で主の名前を呼びながら、祈ります。どうかこのまま、その目をもう一度開けてくれますように。

 祈り続けようとしていたナディでしたが、扉を叩く強い音に意識を現実に戻されました。


 「おい、ここを開けろ!!」

 「もう気づかれたか」

 「ウル様」


 兵士の大きな声に舌打ちをするウルフェンは、ナディに素早く目配せをして近くの家具を扉に押し付け、簡易的なバリケードを作り始めました。鍵は閉めていますが、何の変哲もない普通の物。強行突破しようと思えば、すぐに壊れてしまうでしょう。


 「………」


 クーヤはとてつもない集中力を発揮していて、部屋中に響く声と音にも反応しません。それでいい、とウルフェンはクーヤから視線を外し、時間稼ぎをする為に声を上げました。


 「何事だ!俺が中にいるというのに無礼な連中め。俺の邪魔をするという覚悟はあるんだろうなっ!!」

 「う、ウルフェン様!?どうしてそこに」

 「ここは母上の寝室だ。俺がいても何も不思議ではない」

 「しかし………これはギトン様の命令で、申し訳ありませんが、ここを開けて貰えないでしょうか」


 やはり父の手の者だったか。予想していたよりも早い。ウルフェンは焦りそうになる心を落ち着けて、会話を続けます。


 「何の用だ。用件をまず言え。でなければ、ここを開けるわけにはいかない」

 「はっ。その、人間の子供の捜索を行っておりまして、この辺りの部屋も虱潰しにしているのです」


 部屋にいない事がばれてしまったのでしょう。兵士が総出で探しているようで、屋敷の外からも声が聞こえています。脱出が更に難しくなっている事に苦い顔になってしまうウルフェン。


 (クーヤが母さんを治せても、無事にクーヤを逃がす事が出来なければ意味がない)


 どうにか時間稼ぎをして脱出する方法を探さなければ。必死に考えを巡り始めていたウルフェンでしたが、部屋の外の兵士たちがざわついているのを感じました。


 「どけ。私が開けてやる」


 ギトンの声が聞こえてきた時、嫌な予感がしたウルフェンはナディの手を引いて、急いで扉の前から逃げます。

 間も無くして、轟音と共に扉ごとバリケード破壊されてしまいました。ギトンの魔術です。

 粉々になった残骸を踏みつけながら、怒りに顔を真っ赤に染めているギトンが部屋の中に入ってきました。クーヤの姿を見つけると、眉を吊り上げて恐ろしい表情でウルフェンを怒鳴りつけました。


 「貴様!私の命令を無視するばかりでなく勝手に連れ出し、しかもこんな小細工で私の手を煩わせおって。出来損ないの分際でぇ!!」


 びくり、と条件反射でウルフェンの体が震えます。いつもギトンには折檻を受け、大声で怒鳴られるだけで自然と反応するようになってしまったのです。


 「ギトン様!お待ちくださいっ。ウル様は奥様を治す為に………」


 ウルフェンとギトンの間に入って庇ったナディは、言葉が終わる前に魔術で吹き飛ばされ、その体を壁に叩きつけられてしまいました。


 「ナディ!!」

 「メイド如きが私の邪魔をしおって、教育が足りんようだな。後でまとめて処罰してやるから、そこで寝ていろ」


 気を失っているナディを目にして、ウルフェンはまるで発作が起きたかのように浅く早い呼吸を繰り返していました。過去のトラウマがギトンの暴力によって呼び起こされているのです。


 「今は貴様だ」

 「あぐっ」


 髪の毛を強引に引っ張られ、強制的に上を向けさせられたウルフェンは間近でギトンの顔を見せられることになりました。


 「この忙しい時に私に逆らうとは、よほど私を怒らせたいようだな。えぇ!?」


 恫喝するように凄むギトン。ここまで激怒している姿はウルフェンでも見た事がありませんでした。

 ギトンはひとしきり怒鳴ると、ウルフェンの体を突き放して地面に放ります。少しだけ冷静さを取り戻したのでしょうか。襟を正しながらウルフェンに告げました。


 「時間が惜しいから貴様への罰は後でたっぷりと与えてやる。そこのガキを連れて早くここを出る準備をしろ」

 「………い、いやだ」


 ギトンに逆らうとどうなるかなんてウルフェンはわかっています。今まで、少しでも機嫌を損なえば容赦なくぶたれてきたのです。


 「………今、なんと言った?嫌だ、と聞こえたのは私の気のせいか?」

 「嫌だ!!クーヤは今、母さんを治してくれているんだ!その邪魔をしないでくれっ!」


 ですが、そんな事よりも母親を助ける事の方が大事でした。体は恐怖で震えて、今にも逃げ出してしまいたい程でしたが、ウルフェンは顔を上げてギトンの事をきっ、と睨みつけました。

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