第53話 光の羽

 ウルフェンの言葉に面食らって、ギトンは目を瞬かせていました。考えもしていなかった事が目の前で起きたかのような顔でした。それから少しして、ギトンは深い溜息をつきます。


 「お前は天才だな」


 前触れもなくギトンはウルフェンの首を掴み、そのまま空中に釣り上げます。小さな体のウルフェンでは抵抗する事も出来ず、釣り上げた手を必死に抑える事しか出来ません。


 「私を苛つかせる天才だ。お前が産まれた時からそれはずっと変わらない。情けをかけて育ててやったというのに恩を仇で返しおって」

 「ぁ………ぐ、ぁ………」

 「だがちょうどいいな。実はな、お前以外に外に子が出来た。今度こそ本当の男だ。お前とは違う本物のな。お前はもう用済みだ」

 「………ぁ」


 呼吸困難になりつつも、ひどい言葉を続けるギトンを涙目でウルフェンは見ていました。それはギトンに首を掴まれて苦しいから流れているのか、それともギトンの言葉によって心が傷ついて流れているのか、もうわかりません。


 「何の役にも立たなかったそこで寝ている女も含め、三人とも私が始末してやろう。最後の親としての情けだ。感謝するがいい」


 ウルフェンにはギトンに優しくされた記憶なんてありません。冷たくあしらわれ、少しでもミスをすれば叱責されるような毎日でした。その関係はどれだけウルフェンが頑張ったとしても変わりませんでした。いつも、いつも、いつまでも。


 (散々、自分の為に利用した挙句、用済みになったら簡単に切り捨てる。何が親としての情けだ)


 悔しくて、悲しくて、手を引き剥がそうと必死に藻掻きますが、子どもの力ではびくともしません。

 次第に薄れゆく意識の中、最後に見たギトンの顔はとても実の子に向けるような顔ではなく、醜悪な悪魔のような顔でした。


 (クーヤ………。後は母さんの事を頼む。………ごめん)


 このままギトンにやられると諦めかけたウルフェン。ですがその時、部屋の中に光が溢れました。


 「何!?」


 ギトンが驚いて思わず力を緩めた隙を狙って、ウルフェンはどうにか拘束から抜け出しました。


 「げほっげほっ!げほっ」


 必死に呼吸を繰り返すウルフェンはこの光は何処から来るのかと顔を上げます。


 「………」


 その場にいる誰もが言葉を無くすような、美しい純白の羽。それは燐光が形となった姿。光り輝くその羽はクーヤの背中から生えていました。

 治療の天使。誰が言ったかはわかりませんが、その姿はまさしく天使のように美しく、慈愛の光がこの部屋を満たしていたのです。


 「………クーヤ?」


 ウルフェンの呼び掛けにもクーヤは反応しません。目を閉じたまま、その両手はメリアに向けられています。


 「優しき鐘が鳴る」


 りぃん、と心の全てを浄化するような清浄な鐘の音が、紡がれる新しいロストワードと共に鳴り響きました。

 ギトンは我に返り、感じた事のないような魔力の高まりが周囲に渦巻いているのをその身に感じつつ、心底に驚いていました。


 (こいつ、ロストワードをもう一つ!?)


 ロストワードというものは、一人が一つ持つような特異な力です。ロストワードを扱えるホルダー自体が珍しい存在なのにか加え、複数のロストワード持ちなんて、それこそ古くからの伝承の中にしか存在しなかったのです。

 思わぬ収穫に抑えきれない興奮を顔に出して、ギトンはそのまま見守る事にしました。


 「その音色は失った命を取り戻し、再びこの地に目覚める」


 光の羽が輝きを増し、その羽を広げました。きらきらとした光が辺りに舞います。気絶して倒れているナディにその光が触れたかと思うと、彼女の体が光に包まれました。するとどうでしょう。数秒もしない内にナディが目を覚まし、起き上がったのです。

 同じようにウルフェンがその光に恐る恐る触れると、途端に暖かなぬくもりが体を満たして、痛みも何もかもを回復してしまったのです。


 「奏でよ、光の旋律」


 光の羽がふわりとメリアを包み込みます。再び、美しい鐘の音色が鳴り響くと羽の輝きが増し、神々しい光を放ち出しました。


 「リザレクション」


 失われた魔術の一つである最上級の回復魔術。本の中でしか語られる事がなかった魔術をクーヤは再現したのです。

 しばらくすると光の羽は消え去り、先程までの光景がまるで夢であったかのように元に戻ってしまいました。

 しーんと静まり返る部屋の中、衣擦れの音が微かになりました。それはベッドに横たわっていたメリアからで、彼女は少しだけ身動きをしてからその目をゆっくりと開けたのです。


 「あ………あぁ………母、さん………」


 たどたどしい言葉で、ウルフェンは視界を涙で滲ませて、一歩、一歩、歩いていきます。

 けして起きるはずがない。無理だ。治す事は出来ない。そんな絶望の言葉を数々の医者に言われ、見放され続けてきました。ウルフェンはその度に自分の不甲斐なさを呪い、メリアを助ける為に必死に走り続けました。

 けして諦める事はありませんでしたが、治す事は出来ないと突き付けられる度、心の中ではもう母を救う手立てはないのではないかと思ってもいたのです。


 「母さん………母さん………っっ!!」


 ついには我慢する事も出来ずウルフェンは走り寄り、膝を地面についてベッドに縋りつきました。


 (生きている!母さんが目を開けている!!)


 それだけで、その事実だけで、ウルフェンの心は満たされて何も言えなくなってしまいました。メリアが目覚めたらたくさんの事を話したい。そう思っていたのに、出るのは嗚咽ばかりで、ただただメリアの事を見ている事しか出来ません。

 そんなウルフェンにメリアはゆっくりと顔を向けました。メリアにとっては数年ぶりの再会。成長期であるウルフェンの事がわからなくても不思議ではありません。

 ですが、メリアは泣きじゃくるウルフェンの頭をそっと撫でると、


 「おはよう。ウルフェン」


 そう言いながら、優しく微笑んでくれたのでした。

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