第47話 手のぬくもり

 何度も、何度も、何度も。クーヤは回復魔術を唱えました。必死に、誰が見ても一生懸命に、寝台に横たわる瀕死の兵士を治してあげようと魔術を唱え続けました。ですが、目の前の現実は何も変わりません。


 「こんなものか」


 冷たい呟き声がウルフェンの耳に届きます。それは隣にいたギトンの声でした。懸命に治療を続けるクーヤの姿を見ながら、その目は失望の色に染まっていました。

 先ほどまでは騒いでいた医者も怪我が治らないのを見ると、期待を裏切られたとでも言うような溜息をついていました。


 (………勝手に期待して、勝手に失望して)


 大人の身勝手さにウルフェンはどうしようもなく腹が立ちました。クーヤの置かれている状況が過去の自分を見ているようで、やるせなさで心が一杯になっていました。


 「ザイアス様、そろそろ、その………」


 クーヤにあからさまな非難の目を向けながら、医者は言葉を濁してギトンに話しかけました。その目は子供の遊びに付き合っている暇はない、と物語っています。


 「潮時か」


 ギトンも無駄な事をさせるつもりはありません。どの程度の力があるのか試してみるだけだったので、最初から怪我を治せるとは思ってもいませんでした。

 魔王が身内に引き込む程の逸材だと期待はしていましたが、思ったよりも大した事がないとギトンは結論付けます。現状ではそれほどの価値はない、と評価を改め、クーヤの治療を止めさせるようにギトンは声を掛けようとしていました。


 「あまねく………命に………あ………」


 しかし、クーヤは魔術を唱えている最中に倒れてしまったのです。


 「クーヤ!?」


 駆け寄ったウルフェンはすぐに容態を確かめました。青白い顔をしていますが、呼吸はちゃんとしているようです。

 どうやら魔力が少なくなっていたのに無理をして魔術を使い続けてしまい、魔力が底をついて意識を失ってしまったようです。

 ウルフェンにも覚えがある症状でした。しばらく安静にしていれば直に意識を取り戻すでしょう。ほっ、と胸を撫で下ろしたいたウルフェンにギトンが冷たい声を掛けました。


 「期待外れだ。おい、そいつを元の部屋につれていけ。このままじゃお前と同じで大した価値もない」

 「………」

 「これからはどんどんこいつに治療させていく。育ててやろう、この私が。役に立つまで成長してもらわんとな、くくく」


 あくどい笑みを零しながら、ギトンはさっさとこの部屋から立ち去っていきました。もう用は済んだ、とばかりに。

 残されたウルフェンはクーヤを背中に背負いながら部屋に戻っていきます。魔力を失ってクーヤは苦しそうに呼吸を繰り返しています。急いで部屋に辿り着いたウルフェンは、そっとベッドにクーヤを寝かせました。


 「お前はどうしてそこまで他人の為に頑張れるんだ」


 ウルフェンにはわかりません。苦しい思いをしてまで他人を助けようとする心が。あの兵士とは初対面だったはずです。そんな相手を必死に助けようとする意味がわかりませんでした。


 「う、うう………」


 クーヤは呻き声をあげていました。魔力がなくなってしまい、苦しいのでしょう。体の中にあって当たり前のものがなくなってしまうので、魔力の欠乏は想像以上の苦しみがあります。特にクーヤは魔力が膨大にあったので、その反動は並の人より相当にひどいでしょう。


 「魔力がなくなりそうになっていた時から、痛みがあったはずだろうが」


 ウルフェンはクーヤの額に手を当てました。熱が出ているようで汗ばんでいて、手の平から熱さを感じました。


 「………少し待っていろ」


 ウルフェンはすぐにでも立ち上がって、部屋から出ていきます。数分が経ってから戻ってくると、その手には水が入った桶とタオルがありました。

 乾いたタオルでクーヤの汗を拭ってから、もう一方のタオルを水に浸してぎゅっと絞り、クーヤの額に優しく乗せます。

 少しだけ楽になったのでしょう。クーヤの表情がちょっとだけ和らぎました。


 「………おかあさん………おとうさん………」


 ぽろり、と一滴。クーヤの頬に涙が流れました。弱って意識を失っているからでしょうか。心の奥底に閉じ込めていた思いが出てきてしまったようです。


 「………………」


 ウルフェンはその声を聞いて、ぴたりと動きを止めました。涙が溢れているクーヤの姿を見て、きゅうっと胸が締め付けられます。罪悪感からでしょうか。それとも自分の過去と重ねたからでしょうか。


 「………………ッチ」


 散々迷ってから、ウルフェンは舌打ちをしてクーヤの手をそっと握りました。なんとなく、そうした方が良いと思ったからです。別に過去の自分がそうして欲しかったからではありません。


 「お前には元気になってもらわなくちゃ、俺が困るからな」


 言い訳のように独り言を零します。それからウルフェンはつきっきりで傍にいるようにしました。目が覚めるまでは面倒をみてやる、と自分に言い聞かせながら、容態が安定しクーヤの表情が安らかになるまで、ずっと起きて看病をしているのでした。

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