file 4 仁の名
耳川の戦い。それは当時九州最強と言われた大友家と龍造寺家を下した島津家の大戦であった。
「殿もバカな真似をなさる」
そんな中,総指揮官の田原親賢は側近の吉弘鎮信に愚痴っていた。
「まぁまぁ,流石に私も殿はキリストにのめり込みだと思いますが…早めに島津はたたいておいた方が良いでしょう。特に相手の将、島津家久が完全な名称になる前に」
これから攻める高城を守るのは島津四兄弟の末、知勇兼備の将と恐れられた島津家久だった。
……彼(家久)は父上(吉弘鑑理)も警戒しろと申していたな。父上は正義感が強すぎて殿から遠ざけられているが、人を見る目だけは確かだ。ならばここで…
「どうした?嘉兵衛(鎮信)?」
「いえ。ここに完全な勝利を収めねばと思いまして」
「そうか」
そして、翌日。島津の総大将が出陣したとの報を受ける。大友軍は四万、島津は三万。
高城を包囲せねばならないので軍を二つに割かなければならないため、さらに兵数は減る。
「ほぼ互角か、それ以下か…」
「家久を甘くみてはいけません!最低でも一万は残すべきかと」
「しかしそれで義久めに勝てるのか?」
「…」
軍議は2部していた。家久の見張りに多く兵を割くべきと言う,一萬田鑑実、志賀道輝と、
義久との決戦に兵を割くべきと言う,田原親賢、吉弘鎮信。さらには撤退すべきと言う声まで出ていた。
そんな時、仰々しく話を聞いていた主人,大友宗麟が口を開く。
「良い。親賢。高に一万残せ。我もそちらに入る」
「お館様。されど義久は……」
「嘉兵衛、口答えするのか?」
「いえ」
「ならばもうこれは決定事項だ。お主らの力を信じておるぞ」
そう言われるとどうしようもない。
兵力は互角。兵士の質は向こうが上。
そして大将、田原親賢は政治は得意だが戦下手。負ける要素は整っていた。
いざ、高城川を向かい合う。
軍議にてまずは様子見という角隈石宗の案により動かない。はずだった。
手柄を急いた田北鎮周が軍令を無視し、勝手に耳川を渡河し島津勢への攻撃を開始してしまったのだ。
これを見た佐伯宗天は松山之陣より東へ迂回谷へ下り切原川へ至り渡河、島津の先陣を襲った。そのためその間に挟まれていた嘉兵衛もこれに巻き込まれる形で戦闘に加わらざるを得ない状況となった。
田原陣
「チッ!田北と佐野の阿呆が!仕方あるまい!全軍渡河せよ!」
角隈陣
「何を考えてるんだ上は!これでは敵の思うままではないか!指揮系統も満足でない今,
兵数互角では勝ち目ないではないか!」
当初は、斉藤隊、吉弘隊、角隈隊、臼杵隊らが奮戦し,大友軍が有利に戦いを進めたが、大友軍の統制が取れていなかったため、島津陣へ深追いするものがあとを立たなかった。そこへ島津軍の伏兵が大友軍の脇腹へ鉄砲を浴びせたため、大友軍の大半は壊滅状況に陥った。
「クッここまでか。田原隊、退却せよ」
「ここで退却するとは。紹忍殿らしい。吉弘隊、ここを死地と見極めたり!我が叔父,左近のように華々しく立って見せよ!」
角隈陣
「あそこは…吉弘殿か!惜しい,惜しい。大友は優秀なものを失うことになるとは…愚か者が生き延びることになるとは。こうなっては我が命もここまで。吉弘殿に続け!我らは今より死兵となる!」
大将の親賢は退却を命じたものの、すでに連絡網を断たれていた大友勢はもはや手遅れ。総崩れと相なった。鎮信や角隈隊は奮戦するが、戦局はくつがえせず鎮信と石宗は戦死することとなった。
石宗の予言通り,大友は十八年後の文禄の役で改易を喰らい,さらにその四年後の関ヶ原にて完全に滅びることになる。
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