第26話 旅立ち
出発の朝、俺達3人は酒場チャタレーにいた。ダグラスさんに挨拶するためだ。
チャタレーに着いた後、カノンはダグラスさんとは一切目を合わせないで自室へ行き、出発の準備をした。
出発の準備を終え、自室から戻ってきたカノンにダグラスさんが訊く。
「忘れ物はないか?」
「うん」
カノンはどこか沈んだ声で答える。
2人の間に、重苦しい沈黙が流れる。エルは無関心のようで、入口に寄りかかってこめかみを押さえていた。二日酔いで辛いのはわかるが、少しは気にかけてやろうぜ。
「………………」
「………………」
俯いたままの2人。
”別れの言葉、言わなくていいのか?”なんて、そんなこと気軽に言える雰囲気じゃない。ライブの時、カノンとダグラスさんの間には血のつながりがないという壁が生まれてしまったから。
俺はスマホを見る。馬車に乗る時間が迫ってきた。そろそろ行かなくてはならない。
「カノン」
優しく名を呼ぶと、カノンはこくりと頷く。
「今までありがとうございました。また、寄らせていただきます」
「あ、ああ……。ミナミくん、また来なさい」
ダグラスさんの声に力はなかった。
「じゃ」
エルはダグラスさんに軽く手を振った。
軽すぎるだろ、エル。もう少し空気を読め。あと、一般的な道徳心を持て。ここでは一応、人間ってことになってるんだぞ。
神様の常識は通用しないということを、後でみっちりと教えていこう。
俺達は踵を返して歩き始める。
「わ、私も……」
「ああ、気を付けて……な」
カノンも歩き始めた。
ギシギシと歩くことで木が軋む音がする。
―――仕方ない。
ここは俺が何かを言える場面じゃない。
”大丈夫。生きていれば、いつか必ず会えるから。その時に気持ちを伝えればいい”、とカノンはそう思っているだろうし、俺からもそう声をかけよう。
入学式があって卒業式があるように、出会いがあって別れがあるものだ。その出会いも、別れも、全てが良いものとは限らない。
でもきっと、当人たちの心の底が繋がっていれば、良い結果になる。
心配するな。
子が旅立つことを祝福しない親はいない。どんな別れ方でも、きっとカノンが旅立つことを祝福している。
だからさ、今度来た時、とびっきり可愛くなってやろうぜ。
そう、カノンに言ってやろう。それが、俺にできる最大限のことだ。
「では、失礼します。また、いずれ」
胸にしこりを抱えたままチャタレーを出ようとした時、後ろから声が響く。
「…………カノン。いってらっしゃい」
温かい声かけに、カノンが足を止める。
不思議に思ってカノンを見ると、肩が震えていた。
「どうして……?」
カノンがダグラスさんの方へ振り返る。
「どうして、私を責めないのっ!?」
カノンは怒鳴った。
「助けてもらって! 食べさせてもらって! 住ませてもらって! 家族にさせてもらって! 愛情をいっぱい注いでくれて! そこまでしてもらったのに、私はあんなこと言ったんだよ!? こんな恩知らずな私を、どうして責めないの!?」
ぽたぽたと、カノンの頬から大粒の涙が年季の入った木の床に落ちる。
「どうして……温かく送り出してくれるの……?」
「そんなの決まっているじゃないか」
ダグラスさんはゆっくりと言う。
「父親だからだよ」
「―――っ!?」
「血は繋がってなくても、カノンの本当の名前を知らなくても、私はカノンを娘だと思っている。もちろん、今もだ」
ダグラスさんは、カノンの全てを包み込むような笑顔を見せた。
カノンは目に溜まった涙を力強く拭った。
「あの時、手を握ってくれてありがとうっ……」
再び、涙を拭った。
「名前をくれてありがとう」
また、涙を拭った。
「破れた服を直してくれてありがとう」
それでも流れてくる涙。
「歌を褒めてくれてありがとう」
拭っても拭っても、ぽた、ぽた、とカノンの目から涙が落ちる。
「お酒の作り方を教えてくれてありがとう」
カノンは拭うのをやめた。
「お…………お父さんが私のお父さんになってくれて……ありがとう」
涙でぐしょぐしょになりつつも、声を絞り出す。
「絶対に……トップアイドルになるからね」
「ああ」
「戦争を止めてくるからね」
「ああ」
「誰もが安心して過ごせる世界を作るから」
「カノンならできるさ」
「そしたら、恩返しにくるから。だから、絶対に待っててよ……っ!」
「ああ。待ってる」
カノンは涙をぬぐい、姿勢を正す。
「今までお世話になりました。
カノン・チャタレー、いってきますっ……」
カノンは、深々と頭を下げた。
「ああ、身体に気を付けてな……」
最後はにっこり笑って、カノンはチャタレーを後にした。ダグラスは、目に涙いっぱい浮かべて笑顔で送りだした。
♦♦♦
ごとごと揺れる馬車。
都市“クレイン”に向かう馬車の中で、カノンはずっと泣いていた。声をあげて泣いていた。
そこそこ成長した少女があまりにも号泣し続けるから、同席している冒険者や商人が怪訝な目で見てくる。いやいや、俺が泣かしたわけじゃないからね。
「ひっく…………ひっく…………」
こんなふうに泣くこともあるんだな。意外だ。
「あーあー、トップアイドルの顔がぐちゃぐちゃになって。情けないわね」
「エル……。お前、心とかないのか?」
「あるわよ。何バカなこと言ってるの」
「そうじゃなくて、相手の気持ちを考えることとかないの?」
「よくわかんないんだよね。別れが悲しいとか、寂しいとか」
「エルってさ、絶対友達いないよな」
「いるわよ、私にだって! ……そういえばパルリャルプの奴、私がこんな状態になってるのに一向に助けにこないのはなんで?」
お前の性格が答えだろ。
こんな思いやりの心がない奴は放っておいて、カノンに今日2枚目のハンカチを渡す。
「ほら、これで涙拭けよ」
「あ……ぐすっ……ありがとう……ごじゃいますぅ……」
言えてないし。
「クレインに着いたら泣けないからな。今は思いっきり泣いておけよ」
「うぅぅ~~~はい~~~」
大丈夫だろうか、と思う反面、羨ましい。社会人時代は涙を流す感情すら失せていたからな。
まぁ感情が死んでいたおかげで、理不尽に怒ったり悲しんだり済んだから。その点だけは便利だったと思っている。
でも、やっぱり羨ましい。俺もあんな風に思いっきり泣けたら―――
「なに生暖かい目で見てんの?」
「えっ」
エルが怪訝な目をして俺を見てきた。
「ぼーっと、カノンのこと見ちゃって。可愛い子をじっと見るの、はっきり言ってキモいからやめたほうがいいよ?」
「違(ちげ)ぇーって」
エルがなおも怪訝な目を向けてくる。疑いやがって。失礼な奴だ。俺は溜息をつく。
「羨ましいなって思っただけだよ。場所とか関係なく。泣きたい時に思いっきり泣けてさ。大人になると、泣きたくても泣けないし、いちいち泣いてられないんだよ」
実際、道路や駅のホーム、電車の中でスーツのおっさんが泣いていたら変な目で見られるからな。最悪の場合、写真撮られるし。
「ふーん。難しく考えすぎじゃない? 泣きたい時に泣くって当たり前のことだと思うけどなぁー」
「じゃあ、お前は泣くのかよ」
「泣きたい時はね。まぁ、ここ1億年ほど泣いてないけど」
「スケールが違うな」
そんなことを話している横で、カノンは泣き続けるのだった。
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