(5)

 振り返った豊島さんが俺の顔を覗き込んだ。


「陽ちゃんは元気なのかい」

「元気ですよー。今は、俺の孫たちの面倒までちょくちょく引き受けているので、向こうは賑やかです」

「で、あんたの家は閑古鳥、か」

「……そうですね」

「変わっちまうね。変わりたかないけど」

「本当に」


 冬枯れの野原はひっきりなしに寒風に煽られ、枯れ草がきしきしと乾いた音をたてる。親父が野原を見回しながらよく呟いていたことを、なんとはなしに思い返す。


 ここは変わらないんじゃない。変わりたくないんだ。変わらないようにするために、絶え間なく変化に抵抗し続けている。

 そんな野原のありようを好ましいと思うか、疎ましいと感じるかは人それぞれ。野原が野原でしかないように、俺たちも俺たちでしかいられない。考え方やポリシーというのはなかなか変わらないし、変えられない……か。


「変わらないってのは。いいんですかね」

「さあね。わたしゃ好きだけどね。黙っててもこんな風に老いぼれちまうんだ。そんなの絶対に認めたくないって意地を張るのは、わたしにとっちゃ痛快だよ」

「あはは。穂坂さんもよく言ってましたね」

「そう。だからこそ、本当に変わりやがらないこの野原が憎たらしくもある」

「わかります」


 そのあと、いきなり言葉の砲弾が飛んで来た。


「信ちゃんは、変化する前に戻してくれと思ってる。そうなんだろ?」

「もちろんです」


 即答した。時が無情に奪い去ったもの。親父や章子を返して欲しい。また家族揃ってこの野原で不変の意味を考える機会を与えて欲しい。

 だが、どんなに請い願っても、俺の願いが叶うことは決してない。否応無しに起こってしまった事実を、運命を、変化を、どうにかして受け入れるしかないんだ。さっきの豊島さんの繰り言じゃないが、いつまでも変わらない野原が恨めしくなる。


 こわばった俺の顔を見てしまったと思ったのか、豊島さんはそれ以上突っ込んでこなかった。ゆっくりと野原に背を向け俺に確かめるた。


「信ちゃん、また来るんだろ?」

「今後は定期的に来ます。ここを先々どうするか、ある程度考えとかなきゃなりませんから」

「売れんだろさ。ここは」

「売れないと思いますけど、周辺住民もこの場所の評価も以前とは変わってるんですよ」

「そりゃそうだ」


 牧柵に両手をかけてぐるりを見回す。宅地化の大波はすでに過ぎ去っている。引き潮に連れ去られるようにして、最初に家を建てた人たちの家屋が次々空き家になっていく。既存宅地の再利用が優先されるから、曰く因縁付きの野原を新規宅地にしようなどという物好きはなかなか現れないかもしれない。

 だから野原はずっと安寧でいられる? そうは行かないさ。この土地を保持し続けるためには少なからぬ資金が必要なんだ。地目が原野である野原は、固定資産税が安いもののタダではない。そして維持管理に予想以上の金がかかる。俺の代はともかく、維持・管理の費用を子供らに一方的に押し付けるわけにはいかない。


「中は変わらないからいいんですけどね。牧柵の外はほっとけば一年も経たずに草ぼうぼう。木も際限なく生えて来ますし、不法投棄のゴミも増えてきました」

「管理が面倒だってことかい」

「ええ。今まではシルバーセンターの方に、年に何度か草刈りやゴミ拾いをお願いしてたんですけど、それもだんだんしんどくなってきたので」

「カネかい?」

「いえ、人材確保です」

「ああ、そっちかい」

「はい。外仕事は重労働ですから」


 浮世の苦労はどこでも同じかと、忌々しげに豊島さんが吐き捨てた。


「信ちゃんはやらんのかい」

「ウイークデーの仕事をこなすだけで、もうくったくたですよ。休日は寝てます」

「生きてくだけでも大変だってことだね」

「ええ。ただ」

「ただ、なんだい?」


 牧柵をぐんと突き放し、背筋を真っ直ぐ伸ばす。


「ここの今後を考えるなら、どうしてこんな変な野原が出来上がったのかを探らないとダメなのかなと」

「ふうん」

「穂坂さんも親父も、野原の由来やら縁起やらは調べるつもりがなかったみたいですけど、俺は違う」


 何も知らないふりをして、デベロッパーの言い値で売っ払うのが一番楽だ。だがそのあとに何か良からぬことが起これば、責任が前地主の俺に遡求してしまう。

 俺はここ数年で、これまでの幸福を残らず台無しにするくらいの不幸に見舞われているんだ。望まない変化は最小にしたいし、そのためにできることはあるはず。


 豊島さんが、ぎょろっと目を剥いた。


「信ちゃん、何か手伝うかい?」

「豊島さんが、ここについてご存知のことがあれば知りたいです」

「わたしゃ何も知らないよ。徳さんも何も言わんかったし。ただ、わたしゃこの辺りに住んでた農家さんの続きと縁がある。噂でいいから聞かせてくれって頼めば、何かわかるかもしれない」

「助かります!」


 俺がちょくちょく来ると言ったことに気をよくしたんだろう。豊島さんが今日初めて笑った。


「はっはっは! 陽ちゃんも連れといで」

「話をしときます」

「今度はもうちょい陽気のいい日においでよ。寒くてかなわないわ」


 冬将軍をぶちのめす勢いで杖をぶんぶん振り回した豊島さんは、よろめくように坂を降りていった。


「さて。俺も引き上げるとしよう。豊島さんの言う通りだな。考え事をするには寒すぎる」


 野原に背を向け、振り返ってちょっとだけ手を振った。


「また。会いに来るからな」



【第一話 会いに行く 了】

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