既往不咎
三鹿ショート
既往不咎
仕事が長続きせず、これまで多くの会社を辞めてきた。
その理由のほとんどは人間関係であり、それならば他者と接する機会が無いような仕事を選ぶべきだと考えてはいるものの、そのような職場に巡り会うことはできないていなかった。
このまま延々と転職を続けるのだろうかと思っていた中で、私は自身が望んでいるような職場とようやく出会うことができた。
これまでに無いほどに尽力した結果、私はその会社に雇われることになり、思わず小躍りしてしまった。
だが、私は彼女の存在を知らなかった。
知っていれば、この職場を選ぶことはなかっただろう。
何故なら、上司である彼女は、私がかつて虐げていた人間だったからだ。
***
幾ら若かったとはいえ、私の行為はあまりにも愚かだった。
尊厳を奪うような行為を繰り返していたために、今にして思えば、彼女が自らの意志でこの世を去ったとしても、不思議ではないほどだった。
しかし、彼女は生き続け、私の眼前に立っている。
それに加えて、私に笑顔を見せながら、丁寧に仕事を教えてくれた。
私のことを忘れているのではないかと思ったが、それを確認することはなかった。
もしも彼女が忘れていたとすれば、辛い記憶を思い出させてしまうことになるからだ。
本来ならば彼女に謝罪するべきなのだろうが、彼女が何の不自由も無く生きていることができているのならば、それを邪魔してはならないだろう。
これは、私の保身のためではなく、彼女のためなのである。
過去よりも前を見ている方が、生きる上では大事なのだ。
***
彼女が私との過去について触れることがないとはいえ、彼女と顔を合わせる度に、私の心は痛んでいた。
かつての私は姿を消し、今では真面目に生きているために、謝罪するべきだと思いながらもその行為に及ぶことができないことが、歯痒かった。
そのような思いを抱きながら仕事を続け、私もまた教育をする側の人間と化した頃、彼女から食事に誘われた。
其処で告げられたのは、彼女が私に対して、恋愛感情を抱いているということだった。
私に指導をしているうちに、そのような感情を抱いたということだったが、喜ぶことはできなかった。
彼女が想っている相手は、かつて彼女を苦しめた人間であるからだ。
虐げられることに対して興奮を覚える人間ならば受け入れていたことだろうが、彼女はそのような人間ではない。
ゆえに、正直に彼女との過去を話すことで、考え直す時間を与えるべきなのだ。
だが、私は臆病者だった。
仕事や彼女を失うことを恐れたために、真実を話すことができなかったのである。
事情を知る人間が私の態度を目にすれば、揃って責めることだろう。
しかし、見方を変えれば、これは彼女に罪滅ぼしをすることが出来る、良い機会なのではないか。
彼女をこれ以上は無いほどに幸福にさせることで、彼女に対する私のかつての行為を水に流すことができるのではないか。
そのように考えると、私は彼女の愛の告白を受け入れるということを伝えた。
彼女は笑みを浮かべながら私に抱きついてきたが、私が喜ぶことはできなかった。
***
子どもが出来たために退職した彼女の分まで、私は必死に働いた。
勿論、家族との時間を忘れることはなかった。
そのような行為を続けていたためか、我が家は常に笑顔で満ち、会社においても私は順調に出世した。
この生活を続けていれば、私の過去の罪も消えることだろうと考えながら帰宅した。
だが、家の中には何も無かった。
家具だけではなく、食事に使っていた箸までもが消えていたのである。
何事かと思い、彼女に連絡しようとしたが、彼女の声を聞くことはできなかった。
仕方が無いために、私は近所の宿泊施設へと向かった。
何故彼女と子どもが姿を消したのかを考えているうちに、夜が明けていた。
寝不足のまま会社に向かったところ、社員が揃って、私に対して汚物を見るような目を向けてきた。
どういうことかと首を傾げていると、社員の机の全てに、一葉の写真が置いてあることに気が付いた。
其処には、女性用の下着を身に付けて幸福そうな笑みを浮かべている私の姿が写っていた。
血の気が引いていくことを、確かに感じた。
確かに、私にはそのような趣味が存在しているが、彼女にも明かしたことはないはずである。
しかし、写っている場所が我が家であることから、誰かが知っているということは間違いないようだった。
其処で、私は一つの可能性を想像した。
彼女は、私のことを忘れていたわけではないのではないか。
人生の何もかもが上手くいっているときの不意打ちほど、その傷は深いものである。
彼女は己の復讐のためにその瞬間を待ち続け、そして実行したということなのではないか。
私は、その場に崩れ落ちた。
上司が声をかけてきたが、何も聞こえなかった。
既往不咎 三鹿ショート @mijikashort
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