第4話 焼き芋
「お腹空かない?」
「空いた」
「だよね」
「うん」
リョウが薄っぺらい会話を始めるとき、その話はとんでもない方向へ転がることがある。
どこへ行き着くのか、見極めは難しい。できないと言ってもいい。だから私には適当な相槌を打つことくらいしか結果を知る術はない。
「焼き芋食べない?」
多少、身のある話が続けられても、油断してはいけない。
どんなふうにカーブがかかるかわからないから。
けれども夜半過ぎ。しかも本気ではないとはいえ一時間ほど泳いできたばかり。夕飯時に摂取したエネルギーなどとうに消え去っている。
つまり私の思考は焼き芋という魅惑のほうへ逸れる。
「……食べる」
「おけ」
始発までの時間を、私たちはたいてい駅前の居酒屋かカラオケ店で過ごす。急行の止まらない住宅街の駅前事情はたかが知れているけれど、焼き芋の美味しい店でも見つけたのだろうか。
そう思ってリョウのあとを追うが、彼が向かうのは駅側とは反対の裏門だ。
「ちょ、どこ行くの」
「芋持ってきたから」
「え」
「川沿いでやろうよ」
「あー……あったねそんなところ」
母校の周囲はほとんどが畑で、でも川沿いに細長い空き地のような公園がある。もとはパターゴルフ場かといった雰囲気のそこはバーベキューも可能なのであった。どうせ誰も来ないからとルールを設けていないようだ。
実際、高校生時代ですら一度しか行かなかったような場所である。
謎に準備のいいリョウが、さつまいもに塩をまぶし、シャワーで濡らしてきたらしい新聞紙で包んでいる。
薪も持ってきたらしい。どれだけバッグに詰め込んできたものか、とにかく私は土に還りかけた細かい葉をよけつつあれこれ拾っていく。忘れられた公園にはよく燃えそうな枝葉がたくさん落ちているものだ。
「最近料理にハマってるんだよね」
ああ、また薄っぺらい話。「へー」とだけ返す。リョウは気にせず続ける。
「でもやっぱさ、火加減て難しくて」
薪を組んで、拾ってきた枝と葉っぱを重ねる。
空気の通り道は塞がないようふんわりと。
手もとに集中するフリをしながら、頭の中で薄っぺらい言葉を反芻する。へえ、料理にハマってるんだ。
想像の音は吸えない。
けれど私は想像する。リョウがキッチンで奏でる音を。食材を洗い、包丁で切り、ガスコンロのツマミを回すところを。
カチ、と着火ライターを握る。
それから扇子で丁寧に風を送る。
火がついた。
私が、つけた。
「ホント火つけるの上手いよね」
「……そう? リョウがやらないだけでしょ」
「そんなことないよ」
噛み合っていない気がする。薄っぺらい話が、あらぬほうへ転がり始めた気がする。
どうしたものか。とりあえず火を大きくしようと無心で扇子をあおぐ。
火の匂いというのは、なにかを燃やした匂いだ。
じわじわ顔に当たる熱が心地よい。身体は思っているより冷えていたらしい。そろそろ屋外プールも厳しくなる季節。
パチパチ爆ぜてどんどん大きくなる。もっと暖まりたい。もっと燃えればいいのに。
「もうそれくらいでいいよ。貸して」
けれどもリョウに火ばさみを取られ、それはあっという間に崩されていった。
静かな火だ。赤い赤い、静かに熱を持ち続ける火。
焼き芋の甘さは湯気と一緒に押し寄せてくる。
実体のある味が押し寄せてくる。不思議だ。環境も、感情も、音の味よりずっと科学的なはずだけれど。
蜜を混ぜたような黄色は落ちてきた月みたいにねっとりとこちらを見上げてきた。甘い。そんな視線は遮ってくれるわとかぶりつく。鮮やかで、やっぱり甘い。
そんな芋との攻防も、少しだけ焦げた皮と一緒に炭の香りを飲み込んでしまえば終わりだ。
「え、まだ食べるの」
が、当然のように二本目に手を出すリョウ。私は思わず口を挟む。
「食べるために焼いたんだけど?」
「持ち帰るのかと思ってた。こんな時間によくそんな食べられるね」
昔はこんな時間に食べるなんてデブの始まりだねなんてずけずけ言ってきた彼が、今は率先してカロリーを摂取している。
男の人はこうやって身も心も丸くなっていくのだなぁなんて妙な感心をしてしまう。
そうやって油断していたのがいけなかった。
「ヒカの音をおかずにしたら深夜でもご飯何杯でもいけるよ」
「え……それけっこう気持ち悪いんだけど」
「ひどーい」
「もしかして酔ってる?」
「ヒカの音にね」
「そういうのいいから」
考えていたより強い口調になってしまった。ごめん、と謝罪が口をついて出る。
リョウは薄く笑った。
プールを上がってから今まで、私は音を吸っていない。
ポケットに入れたストローはそのまま、触れてすらいない。
薄っぺらい、中身をどこまでも減らした言葉を、時々リョウは帰納に使う。そういう彼の音を、私は飲むことができない。
どんな味がしてしまうのか、知りたくないから。
――お腹空かない?
その問いをしてきた時点でもう、リョウは自分の言葉がどこへ着地するのか知っていたのだ。そしてそれは、まだ終わっていない。
本当に、やめてほしい。
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