むかしむかしの思い出

 蒼月が朝起きると、隣に寝ているはずの紅陽がいなかった。

 いぶかしく思い、彼は上半身を起こし、周りを見る。

 蒼月の部屋である畳の部屋は、こざっぱりとしていつものように綺麗に片付いていた。

 紅陽は幼すぎるゆえに、蒼月の庇護が絶対に必要だった。

 蒼月が寝ているときでさえ、目を離すと殺されてしまうかもしれない。

 そんな思いから、蒼月はいつも紅陽と一緒に寝台に入り、弟から目を離さなかった。


 何か仕事があるときは、守役の女鬼サヤが面倒を見ている。

 サヤは蒼月がここに鬼たちと来たときから共にいた鬼だ。

 古株なのと、やはり妖力が強いことで一目置かれていた。


「サヤ、紅陽はどうした」


 大きく声をあげるが、いつも近くに控えているサヤの返事が聞こえない。

 何故だといぶかしく思いながら、また周囲を見回すと、蒼月の枕元に一通の書簡が置かれていた。


 白いその紙を開くと、汚い文字で牙常が紅陽を連れ去ったことが書かれている。


 広場で待っているから、返してほしければ牙常自身と戦って弟を取り戻せ、負けたら首領の座を降りてここから去れと。


 蒼月は怒りに眉を吊り上げた。

 

「牙常……!」


 自分に決闘を申し込むのはいい。いくらでも叩きのめしてやる。

 しかし、その為にまだ子供である弟の紅陽を攫っていくとは、許せない。

 蒼月は手紙をぐしゃりと丸め、地面に落とすと、足の下へと踏みつけた。




 昔むかし、父の龍虎王が退魔師に討たれたとき。

 蒼月は退魔師の目をぬすみ、まだ幼児だった紅陽を背負って龍虎山の裏手から逃げた。


 そう、今の蒼月の城が、龍虎王の城だったのだ。

 城の裏手から出ると、雲を呼んでそれに乗って遠い山へと移動した。

 しかし、蒼月の体力が続かず、移動した先の山で彼は歩けなくなった。

 紅陽を雲から降ろすなり、地面へと倒れ込んでしまう。


 もう一歩も動けないと、蒼月は思った。

 山の中でこのまま寝たら、獣の餌食になるかもしれないのに。


 (まあ、それでもいいか。もう動けないし)


 体力の限界と、父と共に仲間が討たれたことも手伝って、蒼月は生きる目的を失っていた。

 駄目だと思いつつも、彼は眠り込んでしまったのだった。




「兄者……」

 

 声を掛けられて蒼月が目を覚ますと、赤い陽が昇ってくるところだった。

 特別寒い季節でもなかったので、凍えることもなく、一晩すごせたのが幸いだ。

 そして、蒼月を『兄者』と呼ぶのは、一人しかいない。

 

「紅陽……」


 思えば、もうあの城にいた鬼は自分とこの紅葉の二人だけになってしまったのだ。

 いままで感じたことのない想いを蒼月は感じた。

 心もとなくて、足場がないような感覚。

 

「兄者、木の実が生っていました、あと、水も汲んできました」


 紅陽の小さな手の中を見ると、そこには木イチゴだろうものが沢山あった。

 水はどこから汲んできたのか、革袋一杯に入っている。


「おれの分はいいですから、食べてください。兄者の方がいっぱい働いたんですから」


 紅陽の手足は泥で汚れて、しかも転んだのであろう、膝もすりむいて血が出ていた。

 

「俺が寝ている間に、俺のために集めてきたというのか……」


 殺伐とした鬼社会しか知らない蒼月は、この紅陽の行動に目を見張った。

 まだいとけない幼児であるのに、夜に寝ている兄を気遣って、食物を集めて。

 きっと、獣が来ても蒼月を起こせるように番もしていたのだろう。


 蒼月は無言で紅陽の血の流れた膝に手を当てると、さっとそこを撫でた。

 すると、怪我はたちまち良くなり、傷は消えた。


「すごい、兄者、もう痛くありません」

「そうか」


 蒼月は紅陽の手から木イチゴを半分取って、一つずつ口へと入れていく。


「半分はお前が食え。採ってきたのはお前だ」

「はい」


 そうやって、鬼の兄弟は父を失った最初の朝をすごした。


 いままで人間の血が雑じったこの弟を、蒼月はあまり気に留めていなかったけれど。 

 この朝、蒼月は心に決めた。


 紅陽は俺が守る。

 

 と。


 


 あれから蒼月は盗賊と同じように人間から食物を奪って、それを紅陽と分けてすごした。

 そうしているうちに、力の強い蒼月のもとに仲間があつまってくるようになった。

 おこぼれにあやかりたい鬼たちだ。


 だんだんと蒼月を中心に仲間が多くなって行く。

 仲間が増えてしばらくたってから、蒼月は考えた。

 この大所帯が住める場所は、昔住んでいた龍虎山の城がちょうどいいのではないか、と。

 あの退魔師のことを配下の鬼に調べさせると、退魔師はすでに病気で死んでいるという。

 その息子も退魔師だったが、力はあまりないようだった。

 なにもかもが、ちょうどいい。

 

 城へ仲間を連れて龍虎山に戻った蒼月は、また以前の龍虎王のように絶大な力をもってこの近辺を支配した。


 鬼たちは、龍虎王よりもいっそう強い妖力を放つようになった蒼月の周りに、一人、また一人と集まった。

 こうして、鬼の一族は大きくなって行ったのだった。

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