強くてもろい蒼の月

龍虎山の鬼の城

※このお話はむかし「魅惑の悪人企画」という企画で書きました。しかし、思ったよりも残酷で壮絶なおはなしになりました。自己責任でお読みください。







 赤い太陽が、鬼たちの城の奥へと沈む夕刻。

 彼は首領だけのための中庭にいた。

 揺り椅子に腰かけ、彼は本を読んでいる。 

 鮮やかな竜胆りんどうが描かれた薄青色の着物のそでが、夕日で赤紫色に染まっていた。

 傍らにおいてある薬湯の入った碗を持ち、口元にあてて腕をあげる。

 彼が薬湯を少しずつ飲み干すと、腕からさらりと着物が滑りおちた。

 そこから覗く白い腕は、人間で言うとちょうど成長期あたりの少年のものだ。

 碗を無造作に卓に置いて、目をつむる。

 赤い四連の珠がついた耳飾りを煩そうにはらって、彼は本を閉じた。


 ――強くありたい


 蒼月の、名前の通りの蒼白い顔に、薬湯のおかげで赤みがさしてくる。

 すっと身体が楽になったのを感じると、ふふっと口元に笑みが浮かんだ。


 (今回の薬湯はよく効くな……この本も役に立つ)




 彼は、昔むかしこの近辺で名をはせた鬼の首領、龍虎王の遺児であった。

 龍虎王は、その絶大な力で人間たちを恐怖に陥れていた。

 だから、賢しい人間の退魔師に討たれたのだ。


 龍虎王には二人の子があり、一人が蒼月、もう一人はまだ小さな子供の紅陽(こうよう)という、半分人間の血が雑ざった子だった。


 蒼月、彼は飛びぬけて強い妖力と引き換えるように、身体が弱い。

 成長も、少年の姿ですでに止まってしまったようだった。

 その欠点を埋めるために、彼は自身で本を見て薬湯をつくり、それを毎日飲んでいた。

 今回は新作を試してみたが、とびきりいい出来で、良く身体に効いた。


 彼はあらゆる本に精通していた。

 薬草の本はもちろん、戦闘の本や、人間の『教え』の本なども。

 知識は力になり、武器になる。

 そのことを、蒼月は知っていた。


「兄者! お仕事は終わりましたか? もうすぐ夕めしですよ」


 声を掛けられて、蒼月は振り向いた。

 緑が赤く染まる中庭の入口には、紅陽と、その守役の女鬼サヤが立っていた。


「紅陽か。そうか、もうそんな時間か」

「はい。だから、広場へ行きましょう、兄者」


 紅陽は、たたた、と蒼月に近づくと小さな子供の手で彼の竜胆の着物を引く。

 この首領のための庭に入ることが許されているのは、この弟とその守役のサヤだけだ。

 

「分かった、分かった。行こうか」


 蒼月は口元を緩めて、まだ子供の弟の手を取った。


 蒼月たちが向かった場所は、この山、龍虎山の鬼の城にある広場。

 この城で一番大きな庭だ。

 鬼たちが集まって何かするときには、ここを使う。


 鬼たちは毎日食べ物を食べなくても、幾日かに一度食べれば命を繋ぐことができた。

 だから、幾日かに一度、人間の里から食物を奪う。

 鬼は作物を作るということをせず、人里から力で奪うのが楽だと知っている。


 今日は人間達の里に降りる、狩りの日だった。

 人間から食料や家畜を奪い取ってきて、食べるのだ。

 鬼たちは狩りの日にまとめて食べて、数日はゆっくりとすごす。


 蒼月たちは中央の二階建ての城から出ると、幾棟か建物を抜けて、広場へと向かう。


 この山を遠くから見晴るかすと、龍虎山の中腹は、中央の大きな二階建ての城と、黒瓦と白い石壁の平屋で覆われている。

 それはみな鬼のすみか。

 すべてが今の首領である蒼月と、その配下の鬼たちの城なのであった。




 紅陽の手を引きながら広場を見やる。

 宙に妖力で灯された橙色の鬼火が、いたるところに浮かんでいる。

 それがもう陽も落ちかけた赤褐色に色づく広場に、光を投げかけていた。

 すでに料理された沢山のごちそうが小卓の上に並んでいる。男鬼たちはその前にあぐらで座り、それを貪るように食べ、女鬼は中央で楽しそうに踊っていた。

 料理を作って、いま酒を給仕しているのは、人里からさらってきた人間の女たちだ。


「今日はまた一段と豪勢な」


 宴会のようなその光景をみて、蒼月の口もとがゆるんだ。

 そして、自分の席――首領の座を見ると、そこにはすでに一人の大きな鬼が座っている。

 蒼月の眉がきりっと上がった。

 座っているのは、厚い筋肉に覆われた、人間で言うと四十を少しすぎた風貌の鬼だった。

 髭が濃く、それを濡らしながら奪ってきた酒を豪快に飲み干している。


 蒼月は、身の程を知らぬその鬼に怒りを覚えた。

 首領の席に座るとは、何様のつもりなのだと。


牙常がじょう。そこは俺の席だ。どけ」


 静かに、凛とした響きで蒼月は牙常の前に立ち、彼を睥睨へいげいして命令する。

 それと同時に、牙常の前に置いてある小卓を食物ごと足で踏み潰した。

 がしゃん、と大きな音をたてて小卓は壊れる。

 賑やかだった広場は、一瞬でしんと静まり返った。


 胡坐で座っていた牙常が、杯をもったまま蒼月を睨んだ。

 その場に張られた一触即発の緊張感に、みな息をのむ。


「……」

「何か文句があるか」

「……いえ、蒼月さま。気がつかずに座ってしまっていたようです。儂はすぐにどきますから、どうぞこの席に」

「わかればいい」


 首領の席に気がつかずに座る、なんてことはあり得ない。

 しかし、蒼月はこれ以上騒ぎを大きくしたくなくて、その場は堪えた。


 牙常が席をどくと、蒼月は首領の席にどかりと座り、堂々と引き下がる彼を眺めやる。

 気に食わない。

 牙常は使える鬼だが、その態度の端々に、蒼月を見下しているふしがあった。


 鬼たちを一望できるこの席につくと、彼は片膝をたてた胡坐あぐらですわり、声を張り上げた。


「新しい料理を持ってこい。そして、みな、食え。舞え、歌え。楽の音も絶やすなよ」


 蒼月の声に、あたりはまたざわめきを取り戻した。

 緊張感が薄れ、その場はまたお祭りのような盛り上がりを見せ始める。

 その喧騒のなか、蒼月は紅陽の守役であるサヤの方へ向いた。


「今日の狩りの指揮をとったのは、誰だ」

「はい、牙常です」

「……ふん、だから図に乗って首領の席に座ったか」


 新しく運ばれてきた小卓に載った酒を、蒼月は一気にあおる。

 

「愚かなやつ。しょせん、俺に敵いはしないのに」

「兄者……」

「なんだ、紅陽」


 隣に座る弟、紅陽が蒼月を見上げる。

 誇らしげに頬を朱色に染めていた。


「兄者はやっぱり強いですね」

「ああ。強く無ければ鬼の首領などやっていられない」


 自身の体がとても脆弱なことは隠し、蒼月は弟に笑んだ。


「お前も、かの龍虎王の子だ。大人になれば強くなるだろう」

「はい! 強くなって兄者の力になりたいです」

「そうか」


 蒼月の弟、紅陽は半分人間の血が雑ざった子。

 だから、鬼たちは紅陽を執拗にいじめていた。

 少し目を離すと殺されそうになる。

 そんな弟を守るべく蒼月は、絶大な力と支配力で、鬼たちを統べる首領の座についていた。


 今日の牙常の行動。

 それは蒼月に反旗を翻すような行為だった。

 しかし、蒼月は思う。

 

 力がすべての鬼の社会。

 その中でどうあがいても、自分に勝てる鬼などいないのだ、と。


 負ける、それは蒼月と紅陽の死を意味する。


 だから蒼月は負けられない。

 強く、強くありつづけ、鬼たちの頂点に君臨する。

 たとえ子供の身体、脆弱な身体であっても。

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