鬼の首領 蒼月

 蒼月がまだ本当の子供だった頃。

 十を少しすぎたころ、この城は昔の退魔師によって、父の龍虎王が討たれた。

 そのときの蒼月は城の最奥にいた三歳になる弟のもとにいた。

 退魔師の襲撃に驚いた九尾狐の母が紅陽の部屋へ蒼月を押し込めたからだ。


 その頃の蒼月はこの弟の紅陽に、なんの関心も持っていなかった。

 紅陽の母は人間だ。龍虎王が気まぐれに生ませた、はんぶん人間の血がまざった子。

 その人間は紅陽を産むとすぐに死んだという。


 無垢な三歳児は兄をみとめると、たたたと走ってきて、ぎゅっとその着物の裾を掴んだ。


「兄者、どうしてこんなに騒がしいんですか?」

「……黙って静かにしていろ」


 蒼月と紅陽はことが終わるまでその部屋で膝を抱えて座っていた。

 外では悲鳴が聞こえていた。

 そして、日が傾いたころ、龍虎王の断末魔の叫びが聞こえた。

 城の庭では仲間の屍が焼かれている。


 そこまで見届けて、蒼月は紅陽を連れてひそかに城の裏口から山へと逃げた。

 退魔師に復讐するには、そのときの蒼月にはあらゆる力がなかった。

 龍虎王を倒した退魔師を倒すことなど、出来なかった。


「俺の仲間はお前だけになってしまったよ」


 弟を背に背負い、蒼月は歩く。

 何事が起きたのかよく分らない、しかし、大きなことが起きたのが分かった紅陽は泣いてはいなかった。


「仲間はお前だけ……たった二人きりだ」


 ざくざくと雑草を踏み分けて、蒼月は城から離れて行った。




 幾星霜の時が流れて。

 あの逃げた城を根城にして、いま蒼月は鬼の首領となっていた。

 退魔師が自分を狙っていると知ったのは、つい最近だ。

 だから蒼月は紅陽にどんな奴なのか調べるように命じた。


 紅陽は速やかに蒼月の思うように働いて、調べてきたのだった。

 薬草を煎じながら紅陽が調べてきた退魔師の名前を口にする。

 よりにもよって龍虎王を倒した退魔師の孫だというではないか。


「凱、か……」


 蒼月は煎じた薬を、器に注いだ。

 それを口元へもっていき、少しずつ飲み干す。

 少しずつ力が戻ってくるようで、身体が暖かくなった。




 幾日かたったころ。

 とつぜん城に白い煙が充満していった。

 なにごとかとデンに様子を見に行かせて、デンから蒼月は退魔師の凱が自分の城を攻めてきたことを聞いた。

 また、デンを偵察に行かせたが、今度は帰ってこない。


 蒼月は首領の部屋を出て、周りを見た。

 デンは、蒼月の部屋の前で眠り込んでいる。

 よくみると、目につく範囲にいる鬼たちは、すべて眠っていた。


「紅陽、いるか」


 大きく声を挙げても、答えは返ってこなかった。

 しかし、城の中の大階段の下、広間の方から大声が聞こえた。


「蒼月、出てこい! 人々を襲う化け物が。俺が退治してやる。お前の弟は俺が倒した!」


 嫌な予感がして、蒼月は広間へと向かった。

 そこには紺色の着物に白い数珠を首から下げた男が立っていた。

 俊敏そうなしなやかな若者だった。


 広間へ出て行った蒼月に、男は目を見張った。


「子供。子鬼か。子供でも容赦せんぞ。蒼月はどこだ」


 男は血脂にまみれた短剣を捨てて、長刀の方へ手をかける。

 

「凱……か」

「ああ、そうだ。ここの首領、蒼月はどこだ」

「ここにいる。よくも弟を殺してくれたな」

「……お前が? 子供ではないか」


 嘲笑った凱に蒼月は久しく使ってなかった腰の刀を抜く。

 凱の足元には、血まみれの紅陽が横たわっていた。

 ぎりっと歯噛みして、蒼月は素早く凱へ切りかかる。


 がきん、と刃がこすれ合った。

 

 蒼月の刃から炎が上がる。その炎に顔を焼かれ、凱は蒼月から距離を取った。

 蒼月の後ろに紅陽の身体が隠れるようになった。


「紅陽は返してもらう」

「ふっ。兄弟愛というやつか? 鬼にもあるのか、そういうものが」

「そんなものは知らない」


 蒼月は片手をあげると、凱へ向けて開いた。

 凱はとっさにその場からしりぞく。

 とたん、ぼっと蒼い火柱が上がった。


 火柱は天井まで達し、あれに捕まったら丸焼きになっていた、と凱は思う。


 用心して蒼月を見据えると、彼は薄く笑う。


「逃げられないよ。凱、お前は弟を殺した。お前の祖父は俺の父や母、そして仲間を殺した。今ここでそれを償え」


 もう一度、蒼月は手を挙げてひらいた。炎は凱を容赦なく襲い、ついでに氷の刃が腹を直撃する。

 腹から赤い血がぼたぼたと落ちて、凱は血を吐いた。


「かあ……」

「簡単だね。もう終わりだなんて。人間はもろい」


 とどめに心臓を狙った氷柱は、しかし、凱の元まではたどり着かなかった。

 中途半端に宙で停まった氷を凱は刀で砕き、蒼月にニヤリと笑う。


「香が効いてきたみたいだな」

「……香?」


 眉をあげて蒼月は凱を見た。


「お前たちの父をたおした時に使った香だ。詳細はいるまい。もう、俺の勝ちだ」


 凱は懐から呪符を出し、経を唱えながら蒼月に放つ。

 偵察に行ったデンが言っていた攻撃方法だ。 

 蒼月は防御のための妖力を使ったが、それも発動しなかった。

 刃の呪符が蒼月の子供の身体の柔い肉、腕や足、胴をつらぬく。

 凱のときとは比較にならないほどの血がばっと蒼月の周りに散った。


 蒼月が周りを見ると、さっきの白い煙に混じって、紫の煙が薄く漂っている。


 もう一度、氷柱を放ったが、やはり凱までは届かない。

 凱はまた呪符を蒼月に投げた。

 が、


「蒼月様ーー――!」


 凱と蒼月の間に入って、その呪符を一身に受けたものがいた。

 最期の力をふりしぼった鬼のデンだった。


「デン……」


 刃の呪符で血まみれになり、ぐったりと床に横たわったデンを見て、蒼月は言いようのない思いに捕らわれる。


「紅陽さまを連れて逃げてください……。首を取られてはいけません。そして、きっとどこかに生きる地があるはずです……」


 人間は鬼の首をとると、さらし者にする。

 それを避けるために逃げろ、と。

 最期の力を振り絞ってデンは蒼月に言った。

 ただのコマ、ただの小鬼。そう思っていたデンに最期で助けられた。

 言いようのない感情に胸が焼けるように痛んだ。


「くっ」


 蒼月も最期の力を振り絞って、今度は天井へと衝撃派を打つ。

 城の天井が崩れて、大きな瓦礫が凱と蒼月の間に山となった。


「逃げるか、蒼月……!」


 凱の声が聞こえるが、蒼月はそれを無視した。

 血まみれの蒼月はやはり血にまみれた紅陽をその小さな背に背負い、昔を思い出して歩いた。


 あのときも、こうして紅陽を背負って逃げたのだと。

 先など全く見えない暗闇で、生き延びられるかも分からなかった。

 

 でも、今回はもう本当に――

 背中の紅陽は、もうすでに冷たくなっている。

 蒼月は昔逃げたときと同じ城の裏手から、紅陽を背負い逃げた。

 血の跡が白い石の廊下にべったりと続いていた。




 凱は腹の傷をさらしで巻くと、城の眠っている鬼たちを一人一人殺していった。

 総勢二十人といったところか。

 そして、妻のトキが作った握り飯をたべて休むと、祖父がしたように鬼たちを葬った。


 家に帰ればトキが待っている。

 これでトキも人間も、平和に暮らせる。

 凱はこれでいいのだ、と自分に言い聞かせて山を下りた。




 最期の力を振り絞って、紅陽を背負い歩く蒼月は、山の裏手で力尽きた。

 もともと身体が弱く、体力のない蒼月には、逃げ切る力などなかったのだ。


「すまん、紅陽……もう、俺も駄目みたいだ。何度も狩られ、すでにもう俺たちの住める鬼の世界はこの世には無いのだろう。ならば共にこの山で眠ろう。この山には仲間がたくさん眠っているのだから寂しくはないだろう」

 

 蒼月は背に背負う紅陽を降ろして、自分もその横に横たわった。




 それから暫くして、蒼月と紅陽の亡骸を苗床に、そこには小さな二本の木が生えた。

 静かな山に生える、小さな木に。

 その木は長い間で木漏れ日を落とす大樹になった。


 もう、誰も彼らを害するものはいない。

 彼らが害することもない。

 蒼月と紅陽は、静かな自然の一部になった。 







 おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る