龍虎王の子 紅陽

 紅陽の古い記憶の中で、一番覚えているのは、ある集落の人間に石を投げられて、痛くて泣いている子供時代のものだった。

 泣いている理由は、いつも人間にも鬼たちにも入って行けない寂しさと悲しさが原因だった。鬼の子にも石を投げられて、泣いて人里にきた紅陽は人間にもよそ者だ、出ていけと硬くて大きな石を投げられた。


 退魔師に討たれた父の龍虎山に戻ってきて、そのときちょうど三か月がたっていた。

 兄の蒼月を首領にして、また紅陽は龍虎山の城へと戻った。

 龍虎王が討たれてから四年の月日が経っていた。


 しかし、紅陽はまだ七歳ほどの子供だった。

 蒼月は、四年の間にあの退魔師(凱の祖父)が、歳と病気で死んだと配下の鬼に報告を受けていた。

 その息子はまだ半人前で、力も弱い退魔師だった。

 仲間も増えて、戻って来るにはちょうどよかった。


 人間と鬼の間に生まれた紅陽は、両方に疎まれた。

 石があたったことよりも、石を投げられた行為がこころに痛い。

 小さな紅陽は泣き喚いた。


 そんな自分を心配して迎えに来てくれたのが、兄の蒼月だった。

 紅陽には、このころの蒼月がとても大きく見えた。兄の蒼月は紅陽よりも十も年上だったので、七歳の紅陽には大人に見えた。


 蒼月の妖力の強さは、並みの鬼の比ではなかった。

 蒼月は紅陽に石を投げた人間の子供たちの前にたち、手をひとひねりした。すると、大きな風が足元の砂を巻き上げて、その子供たちの目に口にと、砂をぶちまけた。

 子供たちは泣き喚いて家へと帰って行く。

 紅陽を泣かせた子供にはちょうどいい罰だった。


「こんなやつらに、泣き顔など見せるものではないよ」


 蒼月はそう言って紅陽の頭を撫で、背に背負って龍虎山の城へと雲に乗って飛んだのだった。

 龍虎山に戻った紅陽は、また泣いた。


「ここにいても鬼たちにいじめられる」

「ならば俺が守ってやる。俺もお前もかの有名な龍虎王の子だ。お前だってそのうち強くなって鬼たちが一目おくようになるさ。それまでは俺が守ってやる」

「ほんと?」

「ああ。約束する」


 蒼月は紅陽の小さな頭を撫でながら、そう約束した。

 その約束は本当で、蒼月は紅陽が成長するまで、一人にすることはほとんどなかった。

 蒼月がいなければ、紅陽は鬼にいたぶられ、死んでいただろう。


 蒼月と紅陽はおなじ『龍虎王』を父に持つが、蒼月は正妻である九尾狐の子で、紅陽はさらってきた人間の女に生ませた子だった。純血のあやかしである蒼月は鬼の間では疎まれなかったが、人間の血が半分入っている紅陽はいじめられた。

 それをいつも助けてくれたのが、蒼月だった。


 いつかもっと大きくなったら、いつも助けてくれる兄者の役に立ちたい。

 

 そんな想いを小さな紅陽は抱きつつ、兄に守られてすごした。

 その歳月は、紅陽にとって、とても楽しいひと時だった。

 あれから何十年もたったいま。

 紅陽は立派な体格の漢に成長し、腕力も胆力も敵う者がいなくなった。

 紅陽はいまでも兄の蒼月を尊敬し、崇拝している。




 龍虎山の中腹にある城、それは蒼月が住む二階建ての古い石造建築の建物と、幾棟かの平屋で出来ている。黒い瓦、しろい石の壁、その造りは古くとも威厳と荘厳さを兼ね備えた、立派なものだった。それが龍虎山の中腹を覆っており、そこで鬼たちは寝起きしていた。まさに根城であり、まるで村のようだった。


 そこの広場に雲に乗ってついた紅陽は、緑色の鬼――デンとともに雲を降り、広場へ降りた。

 デンを広場へ放り出すように投げると、くるりと宙返りして着地する。


「兄者にあの退魔師のことを報告しに行こう」

「へい、紅陽さま」


 デンは紅陽とともに蒼月のいる二階建ての城の奥の宮へ向かった。切り取られた腕を反対側の手で覆い、痛みをこらえながら。


 白い石壁に、濃い茶色の重厚な扉があった。そこを開くと、この城の玉座に座っている蒼月の姿が見えた。彼らは蒼月から少し距離をおいたところでひざまずくと、一礼した。


 玉座に座るのは、青い豪華な竜胆の柄の入った着物を肩にかけた、少年だった。

 金鎖につながれた赤い四連の珠の耳飾りをした、十代半ばほどの外見で。

 純血の鬼である蒼月は、歳の取り方が紅陽とは異なっていた。

 細い若木のようにしなやかな身体を椅子に凭れかけさせて、その年齢からは似合わない、けだるく鋭い目で紅陽とデンを見る。


「どうだった?」


 蒼い冷たい光をたたえた眼を向け、優し気な声音で蒼月は紅陽にきく。

 彼から冷気が漂ってきているように、その場の空気の温度が少し下がった気がした。


「名を凱(がい)という退魔師だ。兄者、あの退魔師はいかん。はやく始末しておかないと、のちのち俺たちが危ない」

「へえ。どうしてそう思う?」

「あいつは、俺たちの父である龍虎王を倒したやつの孫だそうだ」

「……そうか。それでデンの腕もその凱というやつに切り取られたのかい?」


 穏やかな声で蒼月は目を細めた。デンの切られた腕に視線を移す。

 デンは慌てて蒼月に退魔師のことを語った。「あの退魔師のことはわっしが調べたんですぜ。それに、力も少し調べてきました」

「へえ、力、ね。どんな力を使った?」

「すごい刀をもってます。あれはきっと名のある名刀ですぜ。もう少しで切られそうなところを紅陽さまに救ってもらったんです。呪符を使った強い術でわっしの腕は切り取られてしまうし」

「そう、お前は腕を切り取られて、負けたまま帰ってきたのだね?」


 蒼月の少年独特の高い声がやけに部屋に響いた。


「鬼たちの名折れだね」


 蒼月は立ち上がり、デンの下へとゆっくり歩いてくる。強い冷気の塊が近づいてくるようだった。

 殺される……。そう思ったデンは身体を後ろへのけぞらし、少しでも蒼月と距離を取ろうする。


 蒼月はその小さな子供の手でデンの顎を取ると、自分の方へと顔を向けた。

 デンの目に蒼月の口元の小さな牙が光って見えた。


「い、命は助けて下せえ……! わっしは退魔師の情報を持ってきたんですぜ……!」


「ああ、分かっているよ。そのいのちは、今後も我ら一族、鬼のために燃やしてくれ。一族のため。そのときこそがお前の死ぬときだ。こんなところで死ぬことはない。あの退魔師をたおし、ここの城の鬼一族を守るのが、お前の使命だ」


「はい……」


「そのための俺の盾となり、刀となれ」


 蒼月の顎を掴む手が離れ、デンの失った腕に触れると、そこから新しい緑色の腕が生えてくる。


「……ああっ……」


 痛みが消え、新しく生えた腕を不思議そうに動かしながら、デンは蒼月を眩しいものを見る目で眺めた。腕が再生した悦びでいっぱいになる。


「分かったか」

「はい、わっしのいのちは蒼月さまのものです」


 デンの声は、震える声から気力と闘志に満ちた声に変わって行った。


「そうか、ではもう行っていいよ」

「はい」


 デンは蒼月に深く頭を下げ、そして紅陽を一度見て会釈すると、首領の部屋から出て行った。

 紅陽は椅子に戻って座る蒼月を眺めながら、口を開く。


「相変らず兄者は頭が回る。あの鬼……デンから強い崇拝を得ましたな」

「自分のコマを増やしておくのは、あとあと都合がいいからね。それよりも今日の薬草はどうした?」


 蒼月は大儀そうに椅子に腰をかけて、ふっと息をついた。

 その様子は外見の溌剌とした子供の仕種ではない。

 まるで年老いた人間のようだった。


「ああ、あとで持ってきます。今は帰ったばかりだったので。少しでも早く兄者に情報を届けたかったもんですから」

「そうか。急いではいないから、いいけれど。なるべく早く持ってきてくれ」

「はい。では俺もこれで」


 紅陽は蒼月の部屋をあとにした。


 蒼月は有り余る妖力の代わりのように、身体が弱かった。

 毎日薬草を煎じて飲まなければいけないほどに。

 そして、薬を飲んでいてさえ、無理をすると寝込むことが多々あった。

 その蒼月の薬草をとってくるのは、今は紅陽の仕事なのだ。


 他のものには任せられない、重要な仕事だ。

 紅陽は蒼月のために自分がしてあげられることがあって、嬉しく思っている。

 兄者の役に立ちたい。

 その想いは、昔から紅陽が抱いていた蒼月への恩返しの心だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る