アオイさんのノート②
「タイムカプセル……それはたぶん"アオイさんのノート"のことっすね」
レイバーン先生が最も怖い話として提示した「ノートの話」が何なのかはすぐにわかった。
放課後、いつものように生徒会室へやってきた蟷螂坂は"アオイさんのタイムカプセル"なる怪談を語り出す。
――今から十数年前、卒業を間近に控えた時期に亡くなった生徒がいるんです。
いえ、これは"壁になった女の子"とは違って実際にあった話です。アタシも以前、当時の新聞で調べたので間違いありません。
たしかフルネームは伊江尾
生前のアオイさんはいつも明るくて、誰からも好かれる人気者でした。ところが死後しばらく経って……アオイさんが実はとてつもない闇を抱えていたって噂が経ったんです。
キッカケは一冊のノート。それはアオイさんが生前使っていたロッカーから出てきたものでした。ノートの大部分はただの日記だったんですが……最後のページだけは不穏なメッセージで埋め尽くされていました。
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……ノートが真っ黒で一部が判別不能になるほどびっしりと。それから、かろうじて読めた最後の一行にはこう書かれていたそうです。「学校なんて大嫌いだ」と。
生前のキャラとは違いすぎる負のメッセージの羅列に、ノートを発見したクラスメイトたちは酷く狼狽したといいます。当然、彼らは不気味がってそのノートを廃棄しようとしました。
でも、できなかったんです。アオイさんのノートは何度捨てても戻ってきたんですから。固く縛ってゴミ収集所に捨てても、いつの間にかノートは教室に置かれていました。
捨てられないならいっそ燃やそうとも試みられたようなのですが……ノートに火をつけようとした生徒は、火が服に燃え移って大ヤケドを負ったそうです。
やがてノートを破ろうとした生徒が骨折したり、ノートを読んだだけの生徒が階段から転落するといった事故も起きました。頻発する不可解な出来事に、残されたクラスメイトたちはそのノートが呪われているのだと確信します。
彼らは一刻も早くノートを処理する方法を探しました。ひと月としないうちに卒業が迫っていたからです。
このままでは呪われたノートを後輩に押しつけていくことになる……というのは建前で、卒業後にアオイさんのノートが自分を追いかけてくるんじゃないか、と恐れていた生徒が多かったようです。
アオイさんが誰に向けて「死ね」と書いたのかはわからなかったので、面識があった生徒はみな「実は自分が恨まれていたのではないか」と疑心暗鬼に陥ってしまったのでしょう。
しかし呪われたノートの騒動は意外な形で幕を閉じました。なんと彼らはその年の卒業記念で埋めたタイムカプセルに、アオイさんのノートを入れてしまったんです。
捨てても燃やしても戻ってくるノートですから、埋めても無駄そうに思えますが……どういうわけか、ノートはそれっきり帰ってきませんでした。
ただ、この話にはもう少しだけ続きがあります。タイムカプセルが埋められた場所は、正門前の中庭。ホラ、今は雑草が生い茂っていて誰も立ち入らないあの謎のエリアですよ。
正門から望む校舎の顔ともいうべき場所なのに、どうしてあの中庭がまったく活用されていないのか知っていますか? ……ここまでの話を聞けばなんとなく想像がつきますよね。そうです。呪いは、まだあの中庭に残っているんですよ。
タイムカプセルが埋められてからというもの、あの中庭で怪我をする生徒が続出しました。一時期は学校側が中庭への立ち入りを禁止していたほどで……草刈りもできないので中庭は荒れ果てて、今では自然と誰も足を踏み入れなくなってるんですが。
知ってる人は、今でも知ってます。あの中庭にはアオイさんのノートが埋まってるから入っちゃいけないんだって。呪いのノートは戻ってきませんでしたが、今も地中から憎悪を向けているんですよ。大嫌いな学校に。自分の上を歩く、大嫌いな人々に。
「ってな感じで"アオイさんのノート"は比較的メジャーな逸話なんで、レイバーン先生が知っててもおかしくは……って、会長?」
"アオイさんのノート"について話し終わり、蟷螂坂がきょとんとした顔でこちらを見ている。
「……ん? どうした?」
「なんかいつもと雰囲気ちがうっすね。あんま怖がってないっていうか……」
「まあな。俺だって成長するのよ」
せっかくなので見栄を張ってみたが、実はちょっと考え事をしていて話半分にしか聞いていなかっただけだ。
レイバーン先生が最も怖がる怪談。十数年前に亡くなった生徒。いくつもの情報が頭の中でぐるぐると回っている。
「蟷螂坂は前に調べたって言ってたな」
「はいっす。たしかスマホに新聞記事の切り抜きが……あ、これっすね」
差し出されたスマホの画面には、2006年2月10日付けの地方紙が映し出されていた。地元の図書館に保管されている当時の新聞を撮影してきたものらしい。
「――10日午前8時過ぎ、椰子木町見上通りの交差点付近にて横転した大型車両が歩行者を巻き込む事故があった。この事故で通学途中だった私立椰子木高等学校の三年生 伊江尾葵さん(18)が全身を強く打ち、搬送先の病院で死亡が確認された……か」
ごく一般的な怪談のご多分に漏れず、百鬼椰行にも人死にが絡む話は珍しくない。人の死は、怖い話に箔をつけるのに都合いいのだろう。しかし"壁になった女の子"がそうであったように、我が校で死者が出たという前提はだいたいがデタラメだ。
ところが"アオイさんのノート"に関しては毛色が違った。呪いだなんだの真偽は一旦置いておくとして、かつて伊江尾 葵という生徒が死亡する事故はたしかに起こっているのである。
「2006年……ってことは、レイバーン先生が椰子木高校にいた時期か」
「え? レイバーン先生ってそんなに昔からウチにいるんすか?」
「前に聞いたんだが、先生は一度姉妹校に移ってから椰子木高校に戻ってきたらしい」
たしかレイバーン先生は2001年に初めて椰子木高校に赴任したと言っていた。それから姉妹校に異動するまで十年は椰子木高校にいたという話だったから時期的にはドンピシャだ。2006年、伊江尾 葵が亡くなった年、レイバーン先生は確実にこの学校にいたことになる。
「ってことはレイバーン先生、もしかして呪いのノートの実物を見てるんすかね」
「噂が本当ならかなりの騒動になったろうし、その可能性はあるな」
「だとしたら"アオイさんのノート"が一番怖いっていうのは……例の呪いの当事者だったから、ってことっすか」
果たしてレイバーン先生は見てしまったのだろうか。伊江尾 葵が残したノートの中身を。ノートに関わった生徒が次々と不幸に見舞われていく様を。
だとしたらレイバーン先生がホラー嫌いになったのは"アオイさんのノート"という正真正銘の怪奇現象を目の当たりにしてしまったから……? なんて、さすがに考えすぎだろうか。
「……まぁ、さしあたっての問題はどうやって"アオイさんのノート"を解決するかだな」
実際に事故死した生徒がいると知って気圧されてしまったが、俺たちがなすべきことは今までと何も変わらない。
オバケなんていない。怪談なんてデタラメだ。決してそのスタンスを崩さず、今回も"アオイさんのノート"という怪談を解き明かしていくだけだ。
「どう解決するかなんて、わかりきっていることじゃあないですか」
生徒会室の地べたに寝転がって話を聞いていた隠神が「んー……!」と唸りつつ伸び上がる。ただでさえデカい隠神が思いきり背伸びをすると、あわや天井に手をぶつけてしまいそうだった。
「なにか考えがあるのか?」
「名探偵・伊予ちゃんにおまかせあれ。謎は解いてみせますよ、和泉ちゃんの名にかけて!」
「勝手に他人の名前をかける名探偵は嫌だなぁ」
「"皮削ぎビリィちゃん"を解決したのが誰だと思ってるんですか? ん? ほら、言ってごらんなさいな。ん?」
「ぐっ……隠神さん、です……」
先日、"皮削ぎビリィちゃん"という百鬼椰行を隠神がアッサリと解いてしまうという事件があった。
俺が解決の糸口すら見つけられずにガタガタ震えている間に、隠神はこの騒動を起こした犯人――蟷螂坂を捕まえてきてしまったのである。
真相を聞いてみれば"皮削ぎビリィちゃん"は俺を騙すためにでっち上げられた怪談ということだったので、俺だけがまんまと騙されたのはある意味順当な結果とも言えるわけだが……
「ふふーーーん。ま、私も本気を出せば謎解きくらい、ちょちょいのポゥですよ」
あれ以来、隠神はこれでもかと調子に乗っていた。とはいえ隠神の活躍がなければ"皮削ぎビリィちゃん"が迷宮入りする可能性があったのも事実。役立たずだった俺は文句も言えやしないのである。
「まぁまぁ伊予ちゃん。あんま会長をイジメちゃダメっすよ」
「あら、えちごっちは優しいですねぇ」
あと、なんか知らんが近頃やけに隠神と蟷螂坂の仲がいい。ついでに赤々熊さんも。俺のいないところで何があったのか詳しくは知らないが、どうも"皮削ぎビリィちゃん"騒動を経て三人の結束が強まったようだった。
ちなみに俺はというと、年頃の女子に恥をかかせた罰としてあのあと散々な目に遭わされた。ビリィちゃん人形で脅かされたり、反省中のプレートを首から下げて数日過ごしたり、蟷螂坂はともかく、なぜか隠神と赤々熊さんにまでアイスを奢らされたり……
しかし蟷螂坂があんな騒動を起こした原因は俺にあったわけで、これに関しても俺は文句ひとつ言えやしないのだが。
「……で? その名探偵・伊予ちゃんさんは"アオイさんのノート"をどう解くおつもりで」
「そんなの簡単ですよ。掘り返せばいいんです」
「は?」
「ですから、タイムカプセルを掘り返して、ノートをブチ破ります」
……少しは成長したと思ったらこれである。百鬼椰行を片っ端からブチ壊すと宣言していた頃から何ひとつ変わっていないではないか。
「ヘイ名探偵。脳ミソって使ったことある?」
「会長ぉ、いくらなんでも女の子に向かってそれはないっすよ」
「だっておかしいだろ。今のどこに謎解きの要素があった?」
「まぁまぁ和泉ちゃん。まずは私の話を聞いてくださいよ」
隠神は行儀悪く長机に腰掛け、"アオイさんのノート"について独自の見解を述べ始めた。
「ようはアオイさんの呪いとやらを否定すればいいわけですよね」
「簡単に言ってくれるが悪魔の証明だぞ」
「実際、簡単なんですよ。私がその呪いのノートとやらを破ってもピンピンしてたらどう思います?」
「あ……そうか。ノートに関わるだけで呪われる、って前提が崩せるな」
呪いのノートを掘り返し、破り捨てる。噂が事実なら間違いなく呪われるであろう暴挙だが、そんなことをしでかした張本人がいつまで経っても安穏としていたら周りはどう思うだろうか。
きっと多くの者が「なんだ、呪いなんてなかったんだ」と勝手に納得するに違いない。呪いや祟りを微塵も信じていない隠神だからこそ実行しようと思える力業だが、それが叶えば"アオイさんのノート"という噂は自然消滅していくだろう。
「あえて条件を満たして、呪いの不発をアピールするわけか」
「です。どうせ呪いなんてあるわけないんですから、実際に掘り返してみせるのが一番の証明になるでしょう?」
「推理のスの字もないのは置いといて、理にかなってはいるかもしれない。けど……」
隠神の言う通りだ。呪いなんて存在しない。だから"アオイさんのノート"を掘り返したところで実害なんて何もない。ない、はずだ。
「けど、なんです?」
「その……あれだ」
「ないとわかっていても怖いものは怖い、ですか?」
俺は無言で頷いた。呪いのノートなんて存在するわけがない、って頭ではわかっている。でも、やっぱり俺はどうしようもないほどに臆病者なのだ。
中庭に立ち入るのが怖い。タイムカプセルを掘り返すのが怖い。アオイさんのノートを開くのが怖い。もし呪いが本物だったらどうしよう。そんな馬鹿げた考えを掻き消せない。
「心配しなくてもいいですよ。私が勝手に掘り返しておきますから、和泉ちゃんはお茶でも飲んで待っててくださいな」
「それは……嫌だ。怖いからってお前だけにリスクを押し付けるのは……なんか、違うだろ。お前がやるなら俺もやるよ」
「非合理的ですねぇ。億万一、呪いが本物だとしても二人まとめて呪われることはないでしょうに」
「人間ってのは非合理的なんだよ。なにしろ在りもしないものを怖がるくらいだからな」
"アオイさんのノート"を掘り出した者が災禍に見舞われるという話が本当なら、わざわざ二人で呪われにいくなんて馬鹿げている。どちらか一人は安全圏から見守って、何かあればすぐに動けるようにしておくほうが絶対にいい。
呪いなどデタラメに過ぎないという場合も、それはそれで「一人で充分だった」という話になるかもしれない。タイムカプセルを掘り出す程度のこと、隠神の体力があれば造作もないだろうし。つまり呪いがあろうとなかろうと、俺がついていくメリットはほとんどない。まさに非合理的だ。
「怖がりなくせに無理しちゃって。和泉ちゃんったら、なんのかんの言って私のこと大好きなんですから」
「はぁ? どうしてそんな話になるんだよ」
「本当は少しでも私と一緒にいたいだけなんでしょう?」
「んなわけあるか。俺が見張ってないと何しでかすかわからんからな、お前」
まぁ、強いて言えばそれが合理的な理由になるか。俺は生徒会会長として、我が副会長の暴走に目を光らせておかねばならないのである。
「はいはい。じゃ、ちゃんと見張っててくださいよ」
隠神はほんの少しだけ口元を緩めてそう言った。
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