皮削ぎビリィちゃん④
"皮削ぎビリィちゃん"騒動の翌日。七時限目の授業を少しばかり早く抜け出した私は、二年二組の教室前に張り込んでいた。
終業の鐘が鳴るのと同時に、私は「ごめんあそばせ! 蟷螂坂えちごさんはいらっしゃいますでしょうか!?」と教室の扉を開ける。我が圧倒的な美貌に気圧されてか、後輩たちは一斉にざわめいていた。
「い、隠神センパイ!? どうしたんすか急に……」
「いましたね。よし、それじゃあ行きましょう」
「へ? 行くってどこに……?」
「決まっているじゃあないですか。親睦を深めに、ですよ」
蟷螂坂えちごは大層訝しんでいた。それはそうだろう。私と彼女は、和泉ちゃんという共通の知人で繋がっているだけ。友達の友達、という気まずさの象徴のような間柄なのである。
誤解なきように言うが、私はべつに彼女を嫌っているわけではない。彼女に怖がられているのは知っていたが、それは私にとってはよくあることでしかなかったし、今まで気にも留めていなかったのだけれど。
「ま、そう邪険にしないでくださいよ。私はアナタと仲良くなりたいだけなんですから」
「仲良く……っすか?」
「ええ。さしあたってはお茶会でもどうかしら、と思って誘いに来たわけです」
「アタシ、お茶会の作法とかよくわかんないっすけど」
「私も知りません。まぁ麦茶でもグビグビ飲めば、お茶会っぽい雰囲気にはなるんじゃないですか、たぶん」
「野球部の練習後っぽい雰囲気になると思うんすけど?」
蟷螂坂えちごの渾身のツッコミに、教室のそこかしこから笑い声が漏れた。私の登場で張りつめていた空気が一気に和らいだのを感じる。
彼女がどれだけクラスで信頼され、慕われているのかが、このやり取りだけでよくわかった。今まで積極的に関わってはこなかったけれど、本質的に良い子なんだろうな、と思う。
「……いやホント、いきなりどうしたんすか。アタシと仲良くなりたいだなんて」
ちゃちゃっと荷物をまとめて教室を出てきた蟷螂坂えちごと並んで廊下を歩く。彼女はひとまず観念して着いてきてくれたが、まだ戸惑いを隠しきれずにいた。
「私もそろそろ、和泉ちゃん以外のお友達を増やそうと思いましてね」
「はぁ。つまりアタシをお友達候補にしてくれたってわけっすか。それは……光栄っすけど」
「そうです、蟷螂坂えちごさん――いえ、お友達というからには、もっと砕けた呼び方をしたほうがいいでしょうか」
「まぁ、好きに呼んでくださって結構っすよ」
「じゃあ『えちごっち』と『えちごザウルス』、どっちがいいですか?」
「巨大トカゲ扱いはちょっと……じゃあ、えちごっちで」
ふむ、えちごっちか。自分で提案しておいてなんだけれど、ちょっと口慣れないな。それでも言い続けていれば、いつかは馴染んでくるだろうか。
「では、えちごっち。ここで一発ガールズトークでもブチかましておきますか。えちごっちは好きな人とかいるんですか?」
「距離の詰め方えぐいっすね。いや、まぁ……アタシだってそりゃあ、好きな人くらい」
「ほう。相手の名前は? 年齢は? 年収は?」
「ちょ、掘り下げ方がキュレーションサイトすぎる」
難しいな、ガールズトーク。
せっかく赤々熊ちゃんにやり方をレクチャーしてもらったのに、私がやるとどうにも尋問みたいになってしまう。
「……っていうか隠神センパイこそ、会長のことが好きなんじゃないんすか?」
蟷螂坂えちご――ああ違う、"えちごっち"が唇を尖らせて、そう聞いてきた。
ちょうどガールズトークの進め方に苦心していたところだから、彼女のほうから話題を振ってくれるのは非常に助かる。
「私は和泉ちゃんのこと大好きですよ。焼きそばパンと同程度には」
「いや比較対象……せめて『友達として好き』とかじゃダメだったんすか」
「もちろん友達として好きですよ。和泉ちゃんも、焼きそばパンも」
「焼きそばパンも!?」
これは照れ隠しでもなんでもなく、私の本心である。私は和泉ちゃんが大好きだが、それは異性に向ける好意とは違う。
「私、馬鹿みたいなものが好きなんですよ。ほら、焼きそばパンってなんか、カロリーとか食べ合わせとか無視して好きなもの詰め込みました、みたいな馬鹿っぽさがあるじゃないですか」
「べつに焼きそばパンが好きな理由はどうでもいいんすけど……第一、その理論だと会長のことも『馬鹿だから好き』ってことになっちゃいません?」
「合ってますよ。和泉ちゃんって、すっごい馬鹿じゃないですか。だから大好きなんです」
「会長、入学以来ぜんぶのテストで学年一位だって聞いてるっすけど」
「ふふふ、そんな点数がとれるのに椰子木高校なんかに入学しちゃってる時点で進路間違えてるじゃないですか。ここの偏差値、私が入学できる程度ですよ?」
「うわ、正論だぁ」
そう、和泉ちゃんは馬鹿なのだ。成績の良さは関係ない。馬鹿真面目で、馬鹿正直で、馬鹿みたいに優しい。それが白蔵和泉という男だ。
中学時代から彼のそばにいる私が太鼓判を押そう。和泉ちゃんは空前絶後の馬鹿だ。すさまじくものすごくとんでもない大馬鹿だ。彼のうんざりするほどの馬鹿さ加減に、私はどれだけ救われてきたことか。
「……ちょっと、和泉ちゃんのお馬鹿エピソードをお話しましょうか」
それがガールズトークに相応しい内容なのかはわからなかったけれど。私は和泉ちゃんのことを、彼女に知っておいてほしかった。
――中学一年生の頃の話だ。当時の私はすでに身長180センチを超えていて、生まれつき栗色の髪はどういうわけか年々と明るさを増していた。
身長が高いというだけで、上級生は「生意気だ」と私を罵った。髪色が明るいというだけで、教師は私を「不真面目だ」と決めつけた。そんな彼らの期待に応えるように、私はやさぐれていった。
子供の頃から変な輩に絡まれることは多かったが、中学に上がると厄介事に巻き込まれる頻度はますます高まった。
すれ違っただけの上級性に「自分を見下したから」という理由で喧嘩を売られたことがあった。見下したというか、見下ろしただけなのだが。そっちが小さいんだから、物理的にそうなるのは当たり前なのに。
威勢の良さだけが取り柄のような男に「歩く姿が偉そうだった」と呼び出されたこともあった。私は普通に歩いていただけだ。偉そうに見えたのなら敬えばいいものを、どうして喧嘩を売ろうと思うのだろう。
よくわからない理由で絡まれて、よくわからないままに不条理を受け入れるのは嫌だった。
どの道、大人は私を悪者にする。黙って虐げられていても、向けられた敵意に抗っても、私が悪者であるという結論は揺るがない。
だから私は抵抗した。売られた喧嘩からは逃げなかった。抵抗して、抵抗して、気がつけば私の周りには敵しかいなくなっていた。
あるとき、私は大勢の上級性に囲まれた。二十人くらいはいただろうか。みな、過去に返り討ちにしてやったチビ助どもだった。
こっちが手加減してやったのを都合よく解釈し、人数さえ集めれば私に勝てると盛大な勘違いをしていたようだった。子兎が何匹集まったって、ライオンに敵うわけがないのに。実際、彼らをまとめてブチのめすのに大した時間はかからなかった。
最後に残った一人は、慌てふためいてポケットからナイフを取り出した。といってもそれは、銃刀法にも引っかからないようなしょぼい十徳ナイフだった。そもそも彼は威嚇のつもりで出しただけで、本気で人を刺す覚悟なんかなかっただろうと思う。
それでも、刃物を向けられて冷静でいられるほど私は利口ではなかった。頭に血がのぼって、少々やりすぎてしまった。私は彼からナイフを取り上げ、手加減もせずに彼を殴り倒した。血まみれで転がる上級生たちと、ナイフを持って立ち尽くす私。傍から見て、どちらが加害者かは一目瞭然だった。
駆けつけた教師たちは、問答無用で私を取り押さえた。まぁ、当然だろう。そのころにはいくらか正気を取り戻していたが、逃げるつもりも、抵抗する気もなかった。弁解したって無駄なのは知っていた。私は教師というものに、信じてもらえた経験がなかったから。
そのまま"悪者"として連れていかれそうになったとき、突然現れた謎のチビ助が叫んだ。「悪いのはその人じゃない!」と。それが和泉ちゃんとの出会いだった。
校舎三階から中庭を見下ろしていた彼は、私が上級生グループから呼び出しを受けている場面を目撃したらしい。女子生徒がガラの悪い男たちに囲まれているという状況だけをみて、和泉ちゃんは見ず知らずの私を助けにきたのだった。
弱っちいくせに、どう助けるつもりだったのかは知らないけれど。その後先考えずに動いてしまう馬鹿さ加減が、和泉ちゃんの和泉ちゃんたる所以でもある。
しかし彼が現場に到着したとき、すでに喧嘩は始まっていた。というより、終わりかけだった。和泉ちゃんの助けを借りるまでもなく、私はほとんど上級性をのし終えていた。
相手の男がナイフを取り出し、私がそれを奪ったところも、和泉ちゃんはしっかり目撃していた。彼が必死になって弁解してくれたから、私への処分は大幅に軽くなった。無罪放免とはいかなかったけれど、和泉ちゃんがいたから私の正当性はギリギリのところで保たれた。
和泉ちゃんが私につきまとうようになったのはそれからだ。いわく、「隠神は勘違いされやすいから」と。また濡れ衣を着せられそうになったときには、自分がちゃんと証言してやると息巻いて。
最初は普通に鬱陶しかった。やれ学校にちゃんと来い、やれ言葉遣いを改めろと、いちいち小言ばかり言うものだから。しかし彼と過ごしているうちに――私の心境にも少なからず変化が起きていった。
なにかといえば暴力に頼る癖はなかなか抜けないし、他人を信じる気にもなれない。それでも言葉遣いを直して、服装を正して、普通の学生に擬態しようと思えるくらいにはなった。
人間、そう簡単には変われないけれど。こんな私を信じてくれる馬鹿な友人を、なるべく失望させないように。
「……それじゃあ会長がこの学校を選んだのって……」
「私に着いてきたんですよ。県内で私が受かりそうな高校はここしかなかったので」
和泉ちゃんの学力なら、ここよりずっと偏差値が高くて、オバケの噂なんか一切ない高校にも進学できた。それなのに彼は椰子木高校を選んだのだ。子供の頃から憧れていたという、キラキラした青春とはおおよそ無縁なこの学校を。
「馬鹿でしょう? だから私は和泉ちゃんが大好きなんですよ。焼きそばパンと同じくらい」
「そこまでしてようやく焼きそばパンと同格なのもどうかと思うっすけど……」
「これでも恩は感じているんですよ? 和泉ちゃんにも、焼きそばパンにも」
「焼きそばパンにも!?」
私は和泉ちゃんの馬鹿なところが好きだ。馬鹿真面目で、馬鹿正直で、馬鹿みたいに優しいところが好きだ。
けれど私は知っている。正直者は馬鹿をみる、ということを。そんなふざけた理屈で降りかかる火の粉から、私はあの愛すべき馬鹿を守ってやりたかった。
「と、昔話をしていたら着きましたね」
「え……? ここって……」
到着したのは手芸部室。昨日、"皮削ぎビリィちゃん"の騒動があった現場である。
「ちょうど私がカギを預かっていましたからね。ゆっくりお話するにはうってつけでしょう」
「いや、でもアタシは……」
彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
昨日の今日でこんな場所に来たくない、というのは正常な反応だろう。
「怖がらなくてもいいですよ。"皮削ぎビリィちゃん"の件なら、私がとっくに見抜きましたから」
「……え?」
ここはひとつ、彼女を落ち着かせておくべきだろう。手芸部室を開けながら、私はあらかじめ考えておいた"皮削ぎビリィちゃん"にまつわる推理を披露する。
「結論から言いましょう。ビリィちゃん人形の正体は、未来から来たサイボーグだったんです……!」
「…………へ?」
えちごっちが目を点にしている。それはそうだ。突然こんなことを言われて、はいそうですかと信じるほうがおかしい。
しかし反論の隙は与えない。私は淡々と"皮削ぎビリィちゃん"のサイボーグ説を展開していく。
「二十二世紀からタイムマシンでやってきた呪いの人形型サイボーグ・ビリィえもん。それが"皮削ぎビリィちゃん"の真相だったというわけです」
「え、いや、待ってください。ぜんぜん理解が追いついてないっす。どういうわけっすか、それは」
「普通の人形が歩くわけないじゃないですか。なら、ビリィちゃん人形には何らかの仕掛けがあるはず。ここまではOKですか?」
「まぁ……それはそうかもしれないっすけど……」
「ならもう、未来からやってきたサイボーグ人形としか考えられないじゃないですか」
「いや、その理屈はおかしいっす」
全然納得してくれない。そりゃ信じるほうが異常だとは思うけれど、信じるフリくらいしてくれたっていいのに。
「……すいません。やっぱりアタシ、この部屋には居たくないっす。お茶会なら、他の部屋でしませんか」
「あら、そうですか? 仕方ないですねぇ」
彼女は張りつめたように踵を返し、さっさと手芸部室から出ていこうとした。ところが彼女が押し開こうとしたドアは、ぎっ、と耳障りな音を立てて半開きのまま固まった。
床に落ちていた物がドアに引っかかってしまったのだ。「あれ?」としゃがんだところまでは普段通りだった彼女の声色が、ドアを止めている物体を確認すると同時に「なに……これ……」と震えだす。
「カッター……ナイフ……?」
手芸部室のドアに引っかかっていたのは、赤錆びたカッターナイフだった。彼女は「あれ……? うそ、なんで……?」と後ずさりし、私のそばに戻ってくる。直後、ダァン! と大きな音と共に手芸部室のドアが閉まった。
ダン、ダンダン、ダンダンダンダンダンダンダンダン!! 手芸部室のドアが激しくノックされている。えちごっちは胸のあたりをきゅっと握り、声も出せずにドアを見つめていた。得体の知れない何かがドアをノックしているのだ。そりゃ怖いだろう。それでも真っすぐに前を見据えて立っていられるだけ立派なものだ。
ここにいたのが和泉ちゃんなら、今ごろ泡を吹いて倒れていたかもしれないな。そんなことを考えているうちにノック音は止み、手芸部室に静寂が戻ってきた。激しく叩かれたドアは、余波でびりびりと揺れている。
恐怖で固まっているえちごっちをそのままに、私は外の様子を伺った。……人の気配はない。
隙間に引っかかっているカッターナイフを拾い上げたら、ドアはすんなりと開いた。廊下をきょろきょろと見回してから「誰もいないですね」と報告する。えちごっちは顔を青くして、ただ茫然としているだけだった。
それから彼女は後ずさりをして、何かに足を取られて尻もちをついた。反射的に足元を見て、彼女は甲高く悲鳴を上げる。
「い、いやぁぁああぁあぁあぁぁああ!!」
えちごっちはスーパーボールみたいに跳ね上がり、私の足元にしがみついてきた。
彼女の足元にあったのは、腫れぼったい目をしていて、だらしなく開いた口からはリアルな歯が覗く、いやに不気味な造形物。
それは、行方不明になっていたはずのビリィちゃん人形だった。
「な、なんで!? なんでビリィちゃんが……!?」
「なんだ、あるじゃないですか。ビリィちゃん人形」
「そ、そ、そんなわけ……だって、だってその人形は……!」
混乱する彼女にすっと顔を近づけ、少しだけ凄んでみせる。
「だって『ちゃんと隠しておいたはずなのに』、ですか?」
彼女はびくりと肩を揺らして黙り込んだ。
頭の良い彼女のことだ。きっと私がなにを言わんとしているのか、今の一言だけですべて理解したのだろう。
「……和泉ちゃんみたいに理詰めはできませんから、ストレートに聞きます。"皮削ぎビリィちゃん"は、すべてあなたの自作自演ですよね」
彼女は答えなかった。私の足元でうなだれたまま、ただ小さく震えている。
"皮削ぎビリィちゃん"のカラクリは今までで一番単純だった。えちごっち――蟷螂坂えちごによる自作自演。それが答えだ。
そもそも私たちに"皮削ぎビリィちゃん"の案件を持ち込んだのが彼女である。嘘の怪奇現象を起こそうと思えば、いくらでもチャンスはあった。
手芸部室の調査に同行する際、彼女は生徒会室に荷物を置きっぱなしにしていた。リュックサックに突き立てられていたカッターナイフは、おそらく部屋を出る時点で自ら刺しておいたのだろう。あたかも無人の生徒会室にビリィちゃん人形が入り込んだかのように見せかける演出だ。
そして手芸部室での調査が不発に終わると、「窓の戸締りを確認する」などと言い訳をして一番最後に部屋を出る。私と和泉ちゃんが先に部屋を出たのを見計らって、彼女はビリィちゃん人形を適当な段ボール箱に隠したのだ。乱雑に荷物が積まれているこの部屋には、いくらでも隠し場所があった。
彼女がやったのはたったこれだけ。あとは生徒会室に戻ってリュックサックに突き立てられたカッターナイフを私たちに発見させ、怖がる演技をしながら手芸部室に戻ってみるとビリィちゃん人形が消えたように見えるというわけである。こんな単純なトリックに、和泉ちゃんはまんまと騙されていたのだ。
「こんなことだろうと思って私がカギを預かっていたんですよ。で、今朝のうちにビリィちゃん人形を見つけておいたんです」
私たちが目を離した数秒で物を隠せる範囲なんてたかが知れている。最初から彼女の自作自演を疑っていた私には、隠し場所の察しもついていた。事実、ビリィちゃん人形は手近な段ボール箱に押し込まれていただけだった。
では何故すぐにビリィちゃん人形の在り処を言い当てなかったのかといえば、蟷螂坂えちごが隠したという証拠がなかったからだ。いや本来、私でも和泉ちゃんでもないなら、犯人は彼女でしかあり得ないのだけれど。
その場で隠し場所を言い当てても、自分は人形に触っていないと主張されたら元の木阿弥だ。かわいい後輩が涙ながらにそう訴えてきたら、馬鹿な和泉ちゃんはコロッと騙されてしまうだろう。
"オバケのせい"にできる状況を作り上げた時点で、彼女の計画は成功していた。隠し場所が見つかろうと、見つかるまいと、彼女にとってはどちらでもよかったのだ。隠す瞬間さえ見られなければ、「ビリィちゃんが勝手に動いた」という主張は崩しようがなかったのだから。
「ふ、ふへ……ど、どうかな、怖かった……?」
「ええ。なかなかの迫力でしたよ、赤々熊ちゃん」
ドアを軽く開けて覗き込んできたのは赤々熊ちゃんだ。何を隠そう、この茶番劇を提案してきたのが彼女だった。ドアの前にカッターナイフを置いたのも、部屋のドアを激しくノックしたのも、赤々熊ちゃんの仕業だ。
ちなみに、蟷螂坂えちごの足元にこっそりビリィちゃん人形をセットしたのは私である。ノックのおかげで彼女の視線はドアに釘付けだったので、隙をつくのは簡単だった。
「そう怖がらなくて大丈夫ですよ。今のは私と赤々熊ちゃんのイタズラですから。昨日、アナタがしたのと同じようにね」
蟷螂坂えちごは答えない。へたり込んだまま、押し黙っている。
「……どうして和泉ちゃんがこんなに稚拙なトリックを見抜けなかったか、わかりますか?」
彼女は俯いたまま、ゆっくり首を振った。
「アナタに裏切られるなんて、あの人は毛ほども考えていなかったからですよ」
「…………ッ」
密室から人形が消えたとなれば、まずは誰かのイタズラを疑うのが定石だろう。けれど和泉ちゃんはそれをしなかった。いや、むしろ脳内からその可能性を真っ先に排除してしまったのかもしれない。
なにしろあれは友人を庇うために進路を変えてしまうほどのお馬鹿ちゃんだ。身内に裏切られている可能性なんて、真面目に考えもしなかったのだろう。自分を慕う後輩を信頼していたからこそ、彼女を容疑者には含めなかったのだ。
「さて、そろそろ教えてくれませんか。どんな道理があって"皮削ぎビリィちゃん"なんて騒動を起こしたのか――アイツの善意につけこんで、何をするつもりだったのかをよ」
口に出してみて初めて気づいた。どうやら自分で思っていた以上に、私はこの事件にイラついていたらしい。
つい語気が荒くなってしまい、赤々熊ちゃんに「隠神さん、しゃべりかた」と諭されてハッとした。「あー……こほん。すいません」と一呼吸置いて、なるべく冷静に努める。
ただのイタズラなら、そう目角を立てることでもないだろう。節度を保ってさえいれば、仲のいい先輩にじゃれつく後輩を微笑ましく見ていられもした。
しかし彼女が起こした騒動は、生徒会が推進する「百鬼椰行の解明」の明確な妨害行為でもあった。あまつさえ被害者ぶって和泉ちゃんの優しさにつけ込もうというのなら、私は決して彼女を許せない。
彼女はへたり込んだまま、しばらく口を開かなかった。けれども少しして。ぐす、ぐす、と彼女がすすり泣く音が聞こえ出した。
「だ、だっで……だって会長が……うあああ゛ーーーん!」
しまった、泣かせてしまった。ほんのちょっと脅かそうとしただけで、泣かせるつもりまではなかったのに。
私がわかりやすく狼狽えていると、赤々熊ちゃんが彼女を抱き寄せて「ごめんねぇ。怖かったねぇ」と落ち着かせてくれた。
「ご、ごべんなさい……アタシ、会長に……ひぐっ……仕返し、したくて……」
「……仕返し? 和泉ちゃんに何かされたんですか?」
「う゛っ……たぶん、会長は……気づいてもいない、っすけど……ひっく」
彼女は泣きじゃくりながら、たしかに「仕返し」と言った。私と赤々熊ちゃんは思わず顔を見合わせる。
和泉ちゃんは馬鹿だが、人に恨まれるようなタイプでもない。だから私にとっても、彼女の動機が「仕返し」だというのは寝耳に水だったのだ。
「……あの、先輩方は……"屋上のキューピッド様"って噂を知ってるっすか?」
私はまったく知らなかったが、赤々熊ちゃんは「あ、知ってる、かも」と手を挙げた。いわく、女子生徒の間で"屋上のキューピッド様"はかなり有名な百鬼椰行らしい。
なんでも椰子木高校の屋上には「キューピッド様」とやらが住んでいて、そいつに気に入られたカップルは永遠に幸せになれるといわれているそうだ。私はこの手の噂を信じるタイプではないが、百鬼椰行にしてはポジティブな内容で好感がもてる。
気になる異性と二人きりで屋上に行き、そこで告白してOKをもらうことがキューピッド様に気に入られる条件なのだという。なんのことはない。日本全国の学校に似た話がありそうな、怪談というよりはジンクスに近い類の話だった。
「どうしてその話が和泉ちゃんへの仕返しに繋がるんですか?」
「……隠神センパイ、こないだ"生者を笑うモノ"の調査してたっすよね」
「えぇ。アナタも一緒だったじゃないですか。私が一階でたむろしている連中を片づけている間に、和泉ちゃんと一緒にプールで待機してい……て……」
あ。察してしまった。
彼女はぷるぷると震え、顔を真っ赤にして叫んだ。
「そうっすよ! 授業中に! クラスメイト全員の前で! "屋上"のプールに呼び出されて! 会長と二人きりで! 待機してたんすよ!」
「あー……告白、されました?」
「されてないっすよぉ!」
それはそれは……なんというか、不憫すぎる。
例の一件のあと、彼女がクラスメイトから鬼のような質問攻めを喰らったことは想像に難くなかった。色めきたつ友人たちに「勘違いだった」と弁明しなければならなかった彼女の心情を思うと、あまりにやるせない。
和泉ちゃんはそんなジンクスなんて知らなかったろうし、悪意なんてこれっぽっちもなかったはずだ。しかし思春期の女子にこれだけの大恥をかかせておいて「知りませんでした」で済ませてよいものだろうか。
「つまり……恥をかかされたから仕返しをしたと」
「そういうことっす。……大人げないことして、すいませんでした」
秘めた想いを吐き出して冷静になれたのか、彼女はすっくと立ちあがって頭を下げてきた。これだけ素直に謝られてしまうと、こちらも溜飲を下げざるを得ない。
というか事情を聞いてしまうと、大人げなかったのは私のほうなのではないかという気がしてきた。
「あの、こちらこそごめんなさい。私も熱くなりすぎてしまって……」
「わ、わたしも、ごめんねぇ。おどかしすぎちゃったねぇ」
「いえ……お二人はなにも悪くないっすよ、ぜんぶアタシが……」
和泉ちゃんの善意につけこもうという輩は容赦なく排除してやる、と私は心に決めていた。が、今回はその想いが空回ってしまったようだ。
えちごっちは「イタズラ」の範疇から大きく逸脱するほどの悪意はもっていなかった。きっと私が余計なことをしなくたって、彼女は早晩ネタばらしをするつもりだったのだろう。
「あの……会長って、まだ生徒会室にいるっすか?」
「いるはずですよ。全部終わってから報告するつもりだったので、待っててもらってます。一緒に謝りにいきますか?」
「はい……お願いします」
緊張が解けたのか、えちごっちは再びぽろぽろと泣き出してしまった。理由はどうあれ、後輩を泣かせてしまうのはバツが悪い。
今回の件。彼女にも悪いところはあったし、私の解決法も褒められたものではなかった。しかし事の発端はやっぱり――
「あのデリカシー皆無男に、もうちょっとだけ仕返ししておきましょうか。生徒会室の窓からビリィちゃん人形を覗かせてビビらせましょうよ」
「へ!? いや、でも……もう充分……」
「あ、じゃ、じゃあわたし、またドアを叩く役やりたいです、ふへへ……」
せっかくだから、謝る前にもう少しだけ懲らしめておこう。なんだか楽しくなってきたが、これは決して、決して、私のイタズラ心がうずくといった私的な理由ではなく。
年下の乙女に恥をかかせた報いということで。大切な友人の過ちを正すのもまた、友人の務めなのだから。
えちごっちの手を引き、ビリィちゃん人形を連れて、私たちは生徒会室へと駆けだしたのだった。
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