皮削ぎビリィちゃん②
「……というわけで会長! こちらがその"皮削ぎビリィちゃん"の現物っす!」
「ちょっおおおい!? あんまり俺に近づけないでくれる!?」
放課後。私たち生徒会は蟷螂坂えちごと合流し、部室棟三階の手芸部室にやってきていた。件の"皮削ぎビリィちゃん"を調査するためである。
どうも人を怖がらせることに生きがいを見出しているらしい蟷螂坂えちごは、鷲掴みにしたその人形を和泉ちゃんに押しつけてご満悦だ。和泉ちゃんが半泣きなのは、アレルギー反応だろうか。
「しかし実際、なかなか不気味な造形ではありますねぇ」
あまり虐めすぎると和泉ちゃんが登校拒否を起こしてしまいそうなので、私は蟷螂坂えちごの手から人形を取り上げた。
ビリィちゃん人形は、お世辞にも「かわいい」と言えるようなデザインではなかった。目は殴られたかのように腫れぼったく、割けるほど吊り上がった口からはリアルな歯が覗いている。生々しい目や口の造形に反して、鼻や耳があるべき部分はつるんとしていて何もない。
左右の手の長さが違っていたり、足の生える位置がおかしかったりと、全体的には幼い子供が描いた絵を思わせるシルエットだった。それでいて部分部分は人間そっくりに作られているものだから、あたかも人間と人形が合成された物体を見ているような薄気味悪さがある。
「ほら、隠神センパイは普通に持ってるっすよ? 会長もせめてちゃんと見てくださいよ」
「見てる見てる」
「めちゃくちゃ薄目じゃないっすか」
「直視したら目が焼けるかもしれないからな」
「太陽じゃないんすから」
和泉ちゃんが怯えきっているのはいつものこととして。たしかに見た目は強烈だが、実際に持ってみると「普通の人形」以上の感想はない。布と、綿と、プラスチック部品の感触。どう考えたって、こんなものが自力で歩き回るわけがなかった。
ちぎれない程度に引っ張ったり、軽く叩いてみたり。私がビリィちゃん人形をいじくりまわしていると、不審そうな目の和泉ちゃんに「壊すなよ」と警告された。べつに壊すつもりはなかったが、ふと気になったので聞いてみる。
「これに関しては壊したほうが手っ取り早くないですか?」
"血涙のヴィーナス"のときは、ヴィーナス像は学校の備品だから壊すなという理屈だった。"壁になった女の子"や"生者を笑うモノ"は建物や設備に原因があったから、破壊するなというのも理解できる。
けれど今回はどうだ? おそらくビリィちゃん人形はかつての手芸部員が手作りした作品で、今となっては持ち主不明の忘れ物でしかない。我が校の備品でも設備でもないから、破壊したところで困る人間はいないはずだ。
これまでの私が考えナシであったことは否定しないが、今回ばかりは我ながら的を射た意見だと思った。ところが和泉ちゃんはビリィちゃん人形を破壊する案に難色を示した。
「……正直、俺はこの人形を心底気持ち悪いと思う。持ち主に放置されているのは事実だし、壊したって誰も困らないっていうのは実際その通りだと思うよ。けどさ……」
和泉ちゃんは下唇を噛み、私にしっかりと目を合わせてから言った。
「だから壊していい、っていうのは違うと俺は思う。この人形だってきっと誰かが好きで作ったものなんだ。自分には理解できないから、持ち主がわからないから……そんな理由で、誰かの好きなものを無碍には扱いたくない」
ハッとした。作り手の想いも努力も踏みつけにして、ただの"怪談"として処理してしまう。それって結局、ユウレイラジオにあることないこと言ってる奴らと同じじゃないか。
自分が好きなものを否定されるのは許せないのに、興味のないものはぞんざいに扱う。私が提案したのは、そういう恥知らずな選択だった。この人形を破壊して……誰かの"好き"を否定してしまったとき、私は胸を張ってユウレイラジオのファンを名乗れるだろうか。
「……全身の毛穴という毛穴からウロコが落ちました」
「表現が気持ち悪い、せめて目から落とせ。まぁ、わかってくれたならいい」
それから和泉ちゃんは「もっと現実的な問題もある」と話を続けた。
「壊すべきは"皮削ぎビリィちゃん"という怪談であって、人形じゃない。物理的に人形を破壊したところで、"皮削ぎビリィちゃん"の噂が消失するとは限らないんだ」
「人形そのものがなくなったら、人形が歩き回るという怪談は成り立たないのでは?」
「怪談はいとも簡単に変質するからな。現行の噂に『ビリィちゃんは破壊された恨みを晴らすために今も校内のどこかに潜んでいる』なんて尾ひれがついたとしたらどうだ?」
あ、なるほど。人形そのものを廃棄しても、怪談のほうが都合よく捻じ曲げられる恐れがあるのか。
人形はあくまで"皮削ぎビリィちゃん"という怪談の媒体に過ぎず、本質は"情報"にある。人形の存在を覚えている人がいる限り、"皮削ぎビリィちゃん"はどうにでも内容を変えて語り継がれるかもしれない。
「じゃあいつも通り、原因を地道に調べていく感じですか」
「それしかなさそうだが……今回のはちょっと厄介だな」
「なにがです?」
「解明しようにも、現象が起こりそうにない」
これまでに解決してきた百鬼椰行では、曲がりなりにも不可解な現象が起こっていた。ヴィーナス像が血の涙を流す。壁に女の子の顔が浮かび上がる。無人のプールで笑い声がする。そういう現象が実際に起こっていたからこそ、その原因を突き止められたのだ。
仮にビリィちゃん人形が私たちの目の前で歩き出しでもすれば、きっと和泉ちゃんがメカニズムを説明してくれるのだろうけれど……いくらなんでも人形が自力で動くとは思えなかった。さすがの和泉ちゃんも、起こってもいない怪奇現象を解明することなどできない。
「一応、ビリィちゃんを動かす条件は『人形に恨まれるようなことをする』って話でしたよね」
「殴ったり罵倒したり、ってやつか……そんなことをして動くとは到底思えないけどな」
「言っときますけど私はやりませんよ。もう人の好きなものを無碍に扱わないと誓ったので。さっき」
「え!? 言っとくけど俺も絶対に嫌だからな!? 『呪いの人形に恨まれるようなことだけはするな』って祖父の遺言があるから!」
私も和泉ちゃんもやりたくないなら、残りは一人しかいない。二人そろって蟷螂坂えちごをじーっと眺めると、彼女は「ええ!? アタシっすか!?」と困惑した様子だった。
「この流れでやるのは嫌っすよ! 人の好きなものを無碍に扱わない…とか言ってるお二人の前でビリィちゃんを殴ったりしたら、アタシだけメチャクチャ悪者みたいじゃないっすか!」
「いやいやいや……まぁ……ね? これもビリィちゃんの濡れ衣を晴らすためだから。ここは蟷螂坂にいっちょ頑張ってもらいたいっていうか」
先輩としての頼り甲斐も、生徒会長としての誇らしさもなく、和泉ちゃんはへすへす笑って蟷螂坂えちごを実験台にしようとしている。
それなりに付き合いの長い私にはそれが彼の悪ふざけだとわかるが、蟷螂坂えちごの目には普通に最悪の先輩として映っていないだろうかと心配になる。
「真面目な話、人形に復讐されるなんてことはあり得ないからさ。軽く罵声を浴びせるだけでも頼むよ」
「えぇ~……? じゃ、じゃあ……えっと、ビリィちゃんのバーカ。アーホ。お前の母ちゃんデーベソ」
「……悪口の語彙が小学生すぎるな。果たしてそんなんでビリィちゃんは反応するんだろうか」
「だっ、だってアタシ悪口とか苦手なんすもん! どう言ったらいいかわかんないっすよ!」
「どうやらお手本が必要みたいだな。よし隠神、ちょっと俺に悪口を言ってみてくれ」
「妖怪アルティメット意気地なし豆チビ王国ムッツリスケベ担当大臣」
「よーしそこまでだ。俺への悪口はスラッスラ出てきやがんなコイツ」
私たちは結局、蟷螂坂えちごの「バーカ。アーホ。お前の母ちゃんデーベソ」で、ビリィちゃんに恨まれるという条件は満たしたということにした。
というか、ただの人形を相手に恨みを買うだの危害を加えるだのと真剣に考えるのがあほらしくなってしまったのだ。"皮削ぎビリィちゃん"は今までの百鬼椰行とは違って実害を受けた生徒もいないらしかったので、それなら他の調査を優先しようという話になったのである。
「にしても……この部屋の汚さはどうにかならんもんか。埃っぽいし、ガラクタだらけで足の踏み場もないし」
「手芸部が廃部になったのは五年以上も前らしいっすからね。この部屋も今じゃすっかり倉庫扱いっすよ」
椰子木高校はわりあい部活動の盛んな校風で、運動部・文化部を合わせて四十種類ほどの部が活動している。これでもかなり減ったほうで、十数年前の最盛期には六十を超える部が存在したらしい。
ところが生徒数の減少や顧問不足といった要因が重なり、廃部もしくは活動休止に追い込まれる部活が後を絶たない。手芸部もそのひとつだ。五年ほど前に最後の部員が卒業してからは事実上の廃部となっており、その部室は物置同然の扱いを受けている。
「三連覇おめでとう」と印刷された垂れ幕や、「必勝」と書かれた大量のハチマキ。何が入っているかも判然としない段ボール箱の山。再利用の機会がなかなか訪れなさそうな備品の数々が、手芸部室のそこかしこに眠っている。
ここは我が校の「捨てるには忍びないもの」が集積する場所だった。あるいはビリィちゃん人形も、そうしてここに残されていったのかもしれない。
「そんじゃ、ビリィちゃんはここに戻しとくっすよ」
蟷螂坂えちごがビリィちゃん人形を元の位置に戻す。白く埃をかぶった本棚の一角、日に焼けた本と本の隙間がビリィちゃん人形の定位置だった。
十年近く前に刊行された週刊漫画雑誌から、いま使っているものとはデザインが異なる教科書まで、本棚にはバラエティに富んだ蔵書がギチギチに収納されている。今にも崩れ落ちてきそうでいて、噛み合った本同士は化石のごとく固まっていた。
この本棚からスムーズに出し入れできる物体は唯一、ビリィちゃん人形くらいのものだった。数冊のハードカバーが鳥居のように組み合わさって辞書数冊分の隙間を空けており、その貴重なスペースがビリィちゃん人形の置き場になっているのだ。
「せっかく来たのに収穫ナシでしたね」
「こんな日もあるさ。仕方ない、今日は生徒会室に戻って事務仕事でもこなすか」
「事務仕事(意味深)ですか」
「カッコ意味深とか言うな。変なニュアンスになるだろ」
「エッチな本を読むことの隠語じゃないんですか?」
「違うわ。生徒会室でそんなもん読むか!」
「ほう。生 徒 会 室 で は 読まないんですね」
「含みを持たせるな」
和泉ちゃんで遊んでいたら、蟷螂坂えちごが「ハイハイ、馬鹿なハナシしてないで帰るっすよ」と手芸部室からの退室を促してきた。
彼女が窓の戸締りを確認している間に、私たちは先に廊下へ出る。放課後は"皮削ぎビリィちゃん"の調査で忙しくなると見積もっていたのに、ほんの三十分ほどでやることがなくなってしまった。
「こんなことならバイトでも入れておけばよかったですかねぇ」
「お前バイトなんかしてたのか」
「ええ。ピザにパイナップルを乗せたり乗せなかったりする仕事です」
「ちっちゃい戦争屋じゃん」
蟷螂坂えちごが「OKっす」と部屋から出てきて、和泉ちゃんが手芸部室のカギを閉めた。
手芸部室に用のある人は滅多にいないので、この調査が終わるまでカギは借りっぱなしでよいと教師から許可をもらっているそうだ。
「俺は生徒会室に戻るけど、二人はどうする?」
「アタシ生徒会室にカバン置いてきたんで、もう一回お邪魔していいっすか」
「じゃあ一緒に行こう。隠神は?」
「私はヒマなので生徒会室で和泉ちゃんの仕事のお邪魔をしていいですか」
「よしお前は帰れ」
帰れと言われたら帰りたくない。どうせこの後の予定もなかったし、結局私も生徒会室についていくことにした。
「和泉ちゃん、事務仕事ってなにするんです?」
「今日は卒業壁画復活の嘆願書を仕上げようかと思ってな」
「ああ、"壁になった女の子"の」
体育館裏の壁面に出現する"壁になった女の子"の怪。その再発防止策として卒業壁画を復活させてみてはどうかという私の軽口を、和泉ちゃんはわりと本気で実現しようとしていた。
教師陣への根回しもそこそこ上手くいっているようで、うまくいけば私たちの卒業時には立派な壁画を残せるかもしれなかった。和泉ちゃんは百鬼椰行の調査解明という面倒事を押し付けられつつ、こういう生徒会長らしい仕事もちゃんとこなしているのだ。
「卒業壁画の案……通るといいですねぇ」
「だな。ここがふんばりどころだ」
部室棟から教室棟に移動し、三階までのぼって生徒会室の扉をスライドする。和泉ちゃんの仕事が終わるまで、ユウレイラジオの録音でも聴いて待っていよう。
そんなことをぼーっと考えていたとき、異変が起きた。生徒会室に入るなり、和泉ちゃんが「え?」と不可解そうな声をあげた。それから一歩遅れて入ってきた蟷螂坂えちごが固まって、「なんすか……これ……」と震える声で言う。
二人の視線は生徒会室の長机に注がれていた。そこに置かれた蟷螂坂えちごのリュックサックには――錆びたカッターナイフが突き立てられていた。
「こ、これ……もしかして……?」
蟷螂坂えちごが不安そうにあたりを見回している。和泉ちゃんがごくりと息を呑み、それから小さく「そんな馬鹿な……」と呟いた。
もしかして? そんな馬鹿な? 二人が何に怯えているのか、最初はよくわからなかった。ちょっと首を傾げてみて、ふいに"皮削ぎビリィちゃん"の逸話を思い出す。
――カッターナイフを床に引き摺る音が聞こえたら、ビリィちゃんが近づいてきた合図。恨みを買った人間は、決してビリィちゃんに見つかってはいけない。
「ああ、そういえばビリィちゃん人形はカッターナイフを持っていませんでしたね」
怯えさせるつもりはなかったが、私がそう言うと二人ともびくりと肩を震わせた。
たしかに"皮削ぎビリィちゃん"の怪談にはカッターナイフが登場していた。けれど手芸部室のビリィちゃん人形はカッターナイフなんて持っていなかったから、今の今まですっかり失念していた。
「じゃあこれ……ビリィちゃんがアタシに復讐しに来たってことっすか……!? そんな……やだ……」
「落ち着け蟷螂坂! そんなことはあり得ないから! そんなこと……!」
あり得ない、と口では言いつつも、和泉ちゃんは明らかに動揺していた。
「和泉ちゃんも落ち着いてくださいよ。普通に考えて、人形が動くわけないじゃないですか。なんだったらもう一度、手芸部室を確認しに行きますか?」
「あ、ああ、隠神の言う通りだ! よし、手芸部室に戻るぞ! ビリィちゃん人形が同じ場所にあれば、このカッターナイフはビリィちゃんとは無関係ってことになる!」
蟷螂坂えちごは俯いたまま「はい……」と答えた。彼女は大層なオカルトマニアだと聞いているが、そういう人種でも実際に怪奇現象に遭うとこうもしおらしくなるものなのか。
……いや、これに関しては心霊うんぬんとは無関係に身の危険を感じているだけなのかもしれない。カバンにカッターナイフが突き立てられていたという事実は、自分に悪意を向ける"何者か"の存在を仄めかしている。
犯人がオバケだというならまだマシだ。刃物を使って明確な敵意を向けてくる"生きた人間"が身近にいるというほうが、オバケなんかよりよっぽど恐ろしいではないか。
「蟷螂坂、大丈夫、大丈夫だから。ビリィちゃんの呪いなんか存在しないって俺が証明してやるからな」
早足で手芸部室に戻る道中、和泉ちゃんは必死で蟷螂坂えちごを慰めていた。本気で彼女を心配しているのはわかるが、慰め方の方向性がちょっとズレている。
カッターナイフを刺した犯人が人間だと証明されたら余計に怖いと思うのだけど。軽くパニックを起こしている和泉ちゃんはまだそのことに気づいていなさそうだった。
部室棟三階に到着して、和泉ちゃんが手芸部室のカギを開ける。さっきこの部屋を出てから十数分でとんぼ返りだ。
キィ……と小さく音を立てて手芸部室の扉が開く。和泉ちゃんと蟷螂坂えちごは入室に二の足を踏んでいたので、私はとっとと中に入った。こういうとき、盾になるのが私の役目だ。
私たちが何度も出入りしたせいか、手芸部室には埃が舞っていた。多少空気が悪くなったことを除けば、別段おかしな様子はないように思える。無論、カッターナイフを持った人形が襲い掛かってくるなんてこともない。
ただしひとつだけ、先ほどとは決定的に違う点があった。段ボール箱の山の奥、大量の本がパズルのように積まれた棚の一角。そこに――ビリィちゃん人形は、いなかった。
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