生者を笑うモノ②

「レイバーン先生。オバケ退治をするので、次の授業を欠席させてください」

「……えーと、白蔵? ナニを言ってるのか全然わからないんだけどォ?」


真白さんから相談を受けた翌日。俺は"生者を笑うモノ"のメカニズム解明に必要な「授業中の調査」を行う準備を進めていた。

結局、隠神に倣って授業をサボることにしたのである。とはいえ無断欠席で余計な心配をかけるわけにもいかないと思い、俺は馬鹿正直にサボリの事前申告をしにきていた。


「オバケ退治ってさァ、もしかしてこないだ言ってたヤツ?」

「はい。生徒会で推進している百鬼椰行の撲滅運動です。今回は、授業中にしか起こらない怪奇現象の調査を行いたくて」


抜けることにしたのは、本日三時限目の英語の授業。教科担当はレイバーン先生だった。もちろん英語の授業を軽んじているわけではない。真白さんがプールで笑い声を聞いた時間帯に合わせての考慮である。

まずは納得してもらえるよう、レイバーン先生にも"生者を笑うモノ"の話を伝える。ジャパニーズホラーが苦手だという彼は「ぐえー、聞きたくないよ」と言って舌を出していたが、なんとなくの事情は理解してくれたようだった。


「ようはオバケの笑い声を聞くために、張り込みしたいってコトね?」

「そうなります。授業を休むことになってしまうのは申し訳ないんですが……」

「あー、いいよいいよ。白蔵は成績いいしね。一回や二回休んだくらいで問題ないデショ」


生徒会の活動という名目があるとはいえ、それなりに苦言を呈されるだろうと覚悟していたのだが。なんだかアッサリ許可が下りてしまった。


「さすがに公欠ってわけにはいかないケド、お咎めナシにはしといてあげる」

「ありがとうございます。ちなみに隠神も参加させたいんですが……」

「彼女は……成績も出席日数もヤバいから授業に出てほしいなァ」

「あはは……そうですよね……」


できるなら隠神の分も許可を取っておいてあげたかったのだが、それは普通に却下された。悲しきかな、これが日頃の行いの差というやつである。

しかしレイバーン先生は「でもまぁ、あの子は止めたってキミについてくだろうしねェ。今のは聞かなかったコトにしようかな」と、教師という立場における最大限の譲歩をみせてくれた。


「そういえばレイバーン先生、放送部の顧問なんですね」

「ん? もしかして隠神に聞いたァ?」

「ええ。DJユウレイの件で何度かお話を伺っているとか」

「ホントになんにも知らないんだケドさァ、なかなかあきらめてくれなくてねェ……困っちゃうよ」


隠神から聞いていた通りだ。レイバーン先生は、DJユウレイについて何も知らないというスタンスを押し通そうとしている。そんなはずはないと思うのだが……まぁ、無策で問い詰めたところで出てくる情報もないだろう。


「レイバーン先生は怪談がお嫌いでしたもんね」

「そーなんだよ。だからオレ、こないだ隠神に言ったんだ。『オレは怖がりだから百鬼椰行のハナシなんてしないでくれ』って。そしたら彼女、なんて言ったと思う? 『オバケなんて存在しないってことを、私が証明してあげます』だってさ。この学校から、百鬼椰行をぜんぶ消すって言うんだよォ」


それを聞いて、ひとつ腑に落ちたことがあった。ユウレイラジオの汚名返上に固執している隠神が、なぜ"放送室の幽霊部員"以外の百鬼椰行まで解決しようとしているのか、だ。

あいつは"放送室の幽霊部員"の調査を後回しにされても何ひとつ文句を言わなかった。それもそのはず、百鬼椰行の撲滅はレイバーン先生との約束でもあったのだ。隠神ははじめから、すべての百鬼椰行を破壊対象としていたのだろう。


「オバケが存在しないと証明できたらDJユウレイについて教えろ、って詰め寄られてさァ。そんなの不可能だって思ったから、ついOKしちゃったんだケド……まさか白蔵が協力してるとはね。ハッハッハ、もっと考えて返事をするべきだったかなァ」


レイバーン先生は冗談めかして笑っていたが、その表情には困惑の色が滲んでいるように見えた。

きっと先生は、俺たちが百鬼椰行を全滅させられるとは考えていないだろう。しかし一方で、本気で達成されたら困る、という立場でもあるのだ。DJユウレイの正体を知らないというのが本当だとしても、その言葉の裏に何かを隠しているのだとしても。


「おっと、そろそろ休み時間も終わりだねェ。キミらは体調不良ってコトにしといてあげるから、調査がんばってきな」


なんだかんだ、隠神のサボリも容認してくれるらしい。そろそろ三時限目のチャイムが鳴るという頃、レイバーン先生は教室棟に向かっていった。

俺はその足で"生者を笑うモノ"の調査に向かう。プールがあるのは「特別教室棟」とも呼ばれるC棟の屋上。水泳の授業がなければ入り口は施錠されているので、念のため真白さんからプールのカギも借りてきた。これでもしプールの中から笑い声が聞こえても、すぐに飛び込んで犯人を捕らえられるという寸法だ。


「こら。二分遅刻ですよ、和泉ちゃん」

「サボリで遅刻を咎められることってあるんだ」


先んじてスタンバイしていた隠神は屋上入り口の階段でふんぞり返り、小型機でゲームなどしつつ、お菓子を広げて食べていた。

禁止物の持ち込みに買い食い、あと態度。そもそもがサボリ。こうも不真面目のコンプリートセットを見せつけられると、注意する気を通り越してちょっとウケてしまった。まぁ、今日は俺もサボリなのだから注意する立場にはないか。


「ほら、和泉ちゃんも座って。ほらほら、遠慮なく」

「ここはお前のナワバリじゃないんだけどなぁ」

「ナワバリみたいなものですよ。この場所に不良が寄り付かないのは、私のおかげなんですから」


プールの授業でもないのにここへ来たのは初めてだが、屋上入り口は想像していた以上に落ち着くスペースだった。人通りがなく静かで、すりガラスから差し込む日光が穏やかに空間を照らしている。

授業をサボるのに、こんなに居心地の良い場所もそうないだろう。しかし我が校の不良生徒の間で、ここは隠神伊予の出現ポイントとして認知されていた。ブレイクタイムに虎の巣穴へ飛び込む馬鹿はいない。ゆえに不真面目な生徒ほど、用もないのに屋上に来たりはしないらしい。

好き勝手やっているように見える不良の世界にも上下のしがらみがあるものだ。同情するのもおかしな話だが、彼らは一体どこでサボればいいのだろう。表から見えにくい場所は隠神に占領され、見えやすい場所でサボればレイバーン先生あたりにしょっぴかれるのだから。肩身の狭い話である。


「必要悪、というやつですよ」

「当の本人が言うことではないな。それにお前は、言うほど悪人じゃない」

「……悪人ですけどね、普通に」

「自分でそんなこと言ってるから誤解されるんだぞ。もっと周りにアピールしなさいよ、『ボク わるい いぬがみ じゃないよ!』ってさ」

「表面だけ取り繕っても、中身が伴ってなければ、アピールするだけ無駄でしょう」

「中身が表面に引っ張られることだってあるさ。形から入るタイプなんだろ?」


そう、隠神は形から入るタイプだ。むやみに丁寧な言葉遣いも、お手本のような制服の着こなしも、形から真面目になろうという決意の表れなのである。

言動や行動が形に伴っているとは、まだまだ褒めてやれないが。本人なりに努力しているのは俺の認めるところだ。ならば俺は生徒会長として、友として、隠神の更生を見守ってやりたい。


「レイバーン先生も心配してたぞ。成績と出席日数がヤバいから授業に出てほしいってさ」

「あの教師が私の心配なんかするわけないじゃないですか」

「なんでトゲのある言い方をするかなぁ。薄々思ってたけど、レイバーン先生と仲悪いのか?」

「逆に聞きますけど、この私が生徒指導の教師と仲良しだとお思いで?」

「なんで自信満々なんだよ」


レイバーン先生はべつに隠神を嫌っているわけではないと思うのだが。むしろ、かなり気を遣ってくれているような気がする。

二人の仲が険悪なのだとすれば、問題は隠神のほうにあるのだろう。DJユウレイの正体をはぐらかされているのも原因ではあるだろうが、隠神はもともと"教師不信"なところがあるから。


「そりゃ、すべての教師が聖人君子だとは言わないけどさ。悪い先生もいれば、良い先生だっているんだぞ」

「ふん。教師なんてどれも同じようなものですよ、どーせ」

「相手のことを知ろうともせずにレッテルを貼るのは、ユウレイラジオを悪く言う生徒と同じなんじゃないか?」

「う゛……痛いところを突きますね」

「それに、お前にいろいろ押し付けてくる奴らともな」

「……か弱い女子に正論パンチとは。和泉ちゃんの暴力亭主め」

「誰がか弱くて、誰が亭主だって?」


隠神は床に広げたスナック菓子をつまんで口に放り込み、バツが悪そうに目を逸らした。俺も勝手にひとつ食う。

「生徒会長が買い食いしていいんですか?」と聞かれたので、「これは買い食いじゃない。盗み食いだ」と返した。


「教師にいい思い出がないんですよ。昔から、怒られてばっかりです」

「悪いことをしたならちゃんと怒られろ。不当に怒られたなら、俺に言え。一緒に抗議してやる」

「私なんかに味方するから、ヘンテコな学校で青春を潰す羽目になるんですよ」

「うるせぇ。俺が決めたことだ。あと、私なんかとか言うな。自信を持てといつも言ってるだろ」

「……でしたね。自信を持たねば。私は全人類の超越者にして、やがては神々さえも超える器。美の女神も泡を吹いて卒倒する完全無欠のアルティメット美少女、隠神伊予なのですから。ひれ伏せ」

「まぁ、うん。自信つっても、限度はあるけどな。お前の中にちょうどいいラインって存在しないの?」


隠神はやることなすこと無茶苦茶だし、品行方正とは真逆の生き方をしてもいる。けれど、いいところだってたくさんある。

話してみれば存外、面白いヤツでもあるのだ。当人がもっと素直に人と関われるようになれば、理解者もあっという間に増えると思うのだが。


「それにほら、レイバーン先生と仲良くなればユウレイラジオのことも何か教えてくれるかもしれないぞ」

「む……それはたしかに。でも、教師と仲良くなるにはどうしたらいいんでしょう……」

「真面目に授業を受けるのが一番だろ」

「却下。他には?」

「却下すな。他って言われてもな……あ、そうだ。超絶スーパー面白ギャグで笑わせるってのはどうだ?」

「ほう。超絶スーパー面白ギャグですか。気になりますね、お手本を見せてください」

「しまった。最悪のカウンターを喰らった」


想定していた「先生の前でギャグなんてしたくない」→「じゃあ真面目に授業を受けるしかないな」という会話の流れにはならず。

隠神は「おーもしろ! それ、おーもしろ!」と嫌すぎるコールでギャグを催促してくる。約束された地獄への道。ここでどんなギャグを披露しようともスベる未来は決まっていた。

かといって、日和って逃げたと思われるのも癪である。俺はこれで負けず嫌いなのだ。どちらを選んでもバッドエンドが確定しているなら……ここはいっそ、勢い任せのギャグで一発逆転を狙う!!

俺はおもむろに階段を駆けおり、踊り場で「ピィーーーーー!!」と奇声を上げながら暴れ狂った。さぁ聞け隠神。これが今の俺にできる精一杯のギャグだ!!


「ダイナミックに動く点P!!」


刹那、静まり返る空間。それは俺の人生のなかで最も長い数秒間だった。まるで地球上から人類が消え去ってしまったかのような……いや、むしろ人類なんて消え去ってしまえばいいのにと思えるような、無限の静けさが肌に染み込んだ。


「あはははは……」


止まりかけた時を動かしたのは、ほんのわずかな笑い声だった。

俺は縋るような気持ちで顔を上げ、「ど、どうだ隠神! 面白かったか!」と尋ねた。しかし隠神は、すんとしたまま「いえ、ぜんぜん」と無慈悲に言い放った。


「え? でもお前、今笑って……」

「……私、笑ってないですよ?」


ほとんど二人同時に、屋上の扉に目を向けた。カギは閉まっている。向こうに誰かがいるはずはない。けれどたしかに、それは扉の向こう側から聞こえてきた。


「「「はは、はははは……ぎゃははははははははははははははははははははははははは!!」」」


いる。扉の向こうに、確実に何かが。それも一人や二人じゃない、無数の何かが。

ドア下部についた銀色の換気口から漏れ聞こえてくる醜悪な笑い声。俺は思わず硬直してしまった。怖いのはもちろんだが、予想外のタイミングに思考が停止してしまったのだ。


「和泉ちゃん! カギ!!」


隠神の声でハッと我に返り、慌ててポケットから屋上のカギを取り出す。急いで扉を開けようとした……が、手が震えてしまって上手くカギを挿し込めない。


「なにやってるんですか! 早く開けてくださいよ!」

「ちょちょちょ待っ、急かさないでくれ。手ぇめっちゃ震えてて……見てほら俺の手、マナーモードみたいになってる」

「そんなクソの役にも立たないマナーモード、さっさと解除してくださいよ!」


「あぁもう! 貸してください!」と隠神はカギをひったくり、さっさと解錠してくれた。無骨なアルミ製の扉が開き、初夏のむっとしたコンクリートの匂いが流れ込んでくる。

青い空と入道雲。水面に照り付ける太陽の光。およそ怪異などとは無縁そうな夏めいた空間に、奇妙な笑い声は今もこだまし続けていた。


「「「ぎゃはははは、ひひ、ひひひひひ……!」」」


すぐ近くで笑い声がするのに、人の姿はどこにも見当たらない。建物に反響するせいで声の出どころがわからないのも厄介だった。

屋上の設備は25メートルプールが一面。それから壁付けのシャワーと、ビート板などの用具入れ。あとは女子更衣室と水泳部の部室を兼ねたプレハブ小屋がひとつ建っているだけだ。

ここから目視できないのはプレハブ小屋の内部くらいで、その他はだいたい一目で見渡すことができた。けれど、いくら探そうとも笑い声の主が見つからない。


「笑っているのは誰ですか!? ただちに姿を現しなさい!」


無人の屋上プールに隠神が吠える。その瞬間、あれだけ不気味に響いていた笑い声がピタリとやんだ。

隠神はプールサイドをぐるりと一周し、どこかに誰かが隠れていないかを入念にチェックする。しかし当然、なにひとつ見つけられずに隠神は入り口まで戻ってきた。


「あっちに人が隠れられる場所はなさそうです」

「あ、あぁ。そうだな。あと、隠れられそうな場所といえば……」


まだちゃんと調べていないのは、プレハブ小屋の内部くらいだった。隠神はなんとなく声を小さくして「あの中で誰かがたむろしているんでしょうか」と言った。どうやって侵入したのかはともかく、今はその可能性が一番高いと俺も思う。


「じゃあ悪いが隠神、女子更衣室に人が隠れていないか確認してきてくれるか」

「え? 和泉ちゃんは見にいかないんですか?」

「バカお前っ……それは……アレだろ。俺が女子更衣室を覗くわけにはいかないだろ」

「プールの授業中じゃないんですから問題ないでしょう。たぶん、不良がたむろってるだけですよ」

「いやいやいや……不良の皆さんがお着換え中だったらどうすんだ。女性の不良の皆さんが」

「そんなこと言って、本当は『オバケがいるかも』とか思ってるんじゃないですか?」

「だとしても、女性のオバケが着替え中だったら大変だろ。だからホラ、確認してきてくださいお願いします」


隠神は「まぁべつにいいんですけどね……」と呆れつつも一人でプレハブ小屋に向かっていった。さすがの貫禄、頼りにになる女である。

そもそも屋上の入り口自体が施錠されているためか、プレハブ小屋のカギは開けっ放しになっていた。隠神がドアノブを回すと、ぎぃぃ……と滑りの悪い音を立てながらプレハブ小屋が開く。隠神はすたすたと躊躇なく中に入り、ほんの数秒で外に出てきた。


「……ダメです。誰もいません」


ぞわ、と鳥肌が立つ。隠神に促されてプレハブ小屋を覗き込んでみるが、本当に誰もいなかった。不良生徒のグループがここでたむろしていてくれたら、それで一件落着だったのに。不良に「いてくれ」と願ったのは初めてだ。

女子更衣室兼、水泳部部室。その内部には一クラスの人数分のオープンロッカーと、おそらくは水泳部が起きっぱなしにしている雑多な荷物だけがあった。三面それぞれに窓があるが、ハメ殺しになっているから開きもしない。もちろん裏口などもない。平たく言えば、ここは密室状態だった。


「更衣室の中に誰か隠れているのかと思ったんですが、私たちに気づかれずに脱出するのは無理そうですね」

「難しそう、というか不可能だな。透明人間でもない限りは」

「あ、まさか犯人は透明人間……!? だとしたらすべての辻褄が合います!」

「そうだな。すべての常識も崩壊するしな」


隠神のアホな推理を聞いていたら、ちょっとは気持ちが落ち着いてきた。冷静に考えよう。考えればきっとわかる。だって、オバケなんていないんだから。


「……さっきのが生きた人間の笑い声なら、犯人は俺たちに見つかる前に逃げ出したことになる。でも、ひとつしかない出入口には俺たちが張っていた。つまり『はじめから屋上に人はいなかった』と考えるのが妥当だろう」

「でも、たしかに笑い声は扉の向こう側から聞こえましたよ? 私がこの声を聞いたのは、今回に限った話じゃないですし」

「それは俺も同意見だ。でも……そうだな、例えば『あらかじめ録音した笑い声』が流れていた可能性はないか?」


笑い声を録音したスマホを屋上のどこかに仕込んでおいて、誰かが近づいてきた頃合いを見計らってリモートで再生する。それができれば"生者を笑うモノ"の怪談は成立するだろう。


「録音ですか。でもそんなこと、何のために?」

「あるとすればイタズラ目的かな。まぁ、あくまで例えばの話だ。スマホか音楽プレーヤーでも使えばそういうことができる、ってこと」

「じゃあ、とりあえず探してみますか。笑い声を再生できそうな機器がどこかに隠されていないか」


人が隠れる空間がなくても、スマホ一枚仕込む空間くらいはいくらでもあるだろう。そう信じて屋上をくまなく探し回ってみたが、結局それらしきものは見つけられなかった。


「あっ、和泉ちゃん! これ見てください!」

「どうした!? なにかあったか!?」

「金魚いますよ! 金魚!」

「生き物じゃなくて録音機器を探してもらっていいかな」


得体の知れない藻が茂ったプールの水の中、オレンジ色の小さな金魚が一匹泳ぎまわっていた。水泳部の誰かがイタズラでここに放したのだろうか。

隠神は女子更衣室に放置されていた空のペットボトルを拝借してきて、「捕まえます!」と制服が濡れるのも気にせずプールに入っていった。水深は隠神のひざ下くらいだったが、長いスカートの裾はびっしょりと濡れている。


「捕まえてどうするんだよ」

「生徒会室で飼いましょうよ。ほら待て、スクスクロボマッチョ三世!」

「もう変な名前つけてる」


転んだら制服が汚れるぞ、と声をかけようとして。俺はひとつの違和感に気がついた。


「なんで……プールが汚いんだ……?」


大量の藻が張ったプール。よく見ると金魚の他にも、水中にはヤゴやボウフラが生息しているらしかった。それが"あり得ないこと"だと、俺はどうして今の今まで気がつかなかった?

無事に金魚を捕まえて戻ってきた隠神が「どうしたんです?」と聞いてきた。頭の中にはひとつの可能性が浮かんでいたが、まだ確信は持てなかった。それに、まだ隠神に話すわけにはいかないと思った。


「いや……なんでもないよ。それより本当に捕まえてきたのか、金魚」

「ええ。この子、どこから来たんでしょうね」

「水泳部の誰かが金魚すくいでとったはいいものの、持て余して逃がされたってとこじゃないか?」

「この子が自力で壁を登ってきた可能性は?」

「んなフィジカルの強い金魚がいたらオバケより怖いわ」


そのとき、隠神が「あっ!」と声をあげた。


「私、わかったかもしれません! 笑い声の犯人はきっと、壁を登ったんですよ!」

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