生者を笑うモノ③

放課後、俺たちは特殊教室棟の裏手にやってきていた。ニラにトマトにエンドウマメ。園芸部が育てた野菜がみずみずしく畑を彩っている。

英語の授業をサボって行った調査では"生者を笑うモノ"の現象を確認することができたが、結局そのカラクリまでは解き明かせなかった。しかし隠神がなにか閃いたらしく、その日のうちに検証を行うことになったのだ。


「そろそろ詳しい話を聞かせてくれるか、隠神」

「ロボットのように頑強、それでいてスクスクとたくましい子に育つように、スクスクロボマッチョ三世の名を与えました」

「金魚の名前の由来についてではなく。……まさかお前、俺をからかうためにこんなところへ呼び出したんじゃあるまいな」

「ふふふ、そのまさかですよ!」

「そのまさかだとしたら帰らせてもらうが?」

「冗談です。そのまさかじゃないので帰らないでください」


隠神は「本題はこっちです」と人差し指を上に向けた。特殊教室棟を見上げてみると、屋上の端から女子更衣室の屋根が少しだけ覗いていた。


「そういや、この上がちょうどプールになってんだな」

「よくできました。10ポイント差し上げましょう」

「なんだそのポイント。何に使えるんだ」

「1000ポイント貯まったら私と結婚できます」

「ポイントの失効を待つばかりだな」

「あらあら、照れちゃって可愛いですね。990ポイント差し上げます」

「貯まっちゃったよ」


とまぁ馬鹿な話はそれくらいにして。隠神には本題とやらを説明してもらおう。


「私の推理によるとですね。あの笑い声がしたとき、やっぱり屋上には人がいたと思うんですよ」

「だけど屋上への出入口は俺たちが見張ってただろ?」

「そう! つまり犯人は出入口を使わずに屋上から脱出したということ! そしてその方法が……これです!」


ババーン! と効果音が聞こえてきそうなほどオーバーな動きで、隠神は特殊教室棟の壁面をゆびさした。

これといって変哲のない校舎の壁だ。ぽかんとして「……どれ?」と尋ねると、隠神は首を振って「やれやれ……こんな簡単なことに気づかないとは頭脳派が聞いて呆れます。マイナス1000ポイントです」と言った。どうやら婚約は破談になったらしい。


「いいですか和泉ちゃん。犯人はこれを使ったんですよ」


壁面に取り付けられている金属製の排水パイプを、隠神はここん、と叩いてみせた。見れば、ところどころに錆が浮いたその排水パイプは屋上まで一直線に伸びている。


「まさかとは思うがお前、『犯人はこのパイプを伝って一階まで降りたんです!』とか言うなよ」

「ふふふ、そのまさかですよ!」

「そのまさかだとしたら帰らせてもらうが?」

「あれ? 今度は冗談でも何でもなかったんですけど?」


いっそ冗談であってくれよ。我が校のプールは特殊教室棟の屋上、回数にして四階相当の場所にあるのだ。

たしかに排水パイプは屋上から一階まで繋がっているが、命綱もなしにこれを伝って降りてくるなんて正気の沙汰ではない。


「第一、そいつらはどうやってプールに侵入したんだよ。降りるのも命懸けだけど、登るのは輪をかけて難しいだろ」

「え? だからパイプをよじ登って侵入したんですって。行きも帰りもパイプを使えばいいだけじゃないですか」

「いや無理だろ。プールは屋上だぞ。あんなとこまで登れる学生がいるか。チンパンジーじゃねぇんだから」

「いやいやいや、できますって絶対。見ててくださいよ?」


あっけらかんとそう言うと、隠神はひょいと排水パイプに飛びついた。

それから当然のように登っていこうとするものだから、俺は慌てて隠神の腰を抱きとめた。


「待て待て待て! なにやってんだお前! 危ないだろ!!」

「あぁ、うっかりしてました。たしかにスカートのまま登ったら和泉ちゃんにパンツを見られちゃうところですね。危なかった」

「そんな心配はしてないの! 外壁から屋上に登ったら! 危! ない! よ! って言ってんの!!」


渾身の注意を聞いているのかいないのか、隠神は涼しい顔をしてするりと着地した。


「まったく、油断も隙もないんですから」

「こっちのセリフだわ」

「でも私、これくらいなら本当に登れますよ?」

「お前が登れても、普通の人に登れなきゃ意味ないの。それにホラ、見てみろ」


排水パイプを掴んで強めに揺らしてみると、上からパラパラと錆の粉が降ってきた。パイプそのものは頑丈そうだが、留め具が錆びて外れかかっているのだろう。

その上、排水パイプは一部が脱落していた。壁の留め具痕からみて、本来このパイプは地面スレスレの位置まで伸びていたことがわかる。しかし今は下部のパーツが外れてしまっており、地上1メートル程度の位置で途切れてしまっているのだ。


「こんな老朽化したパイプ、体重かけたらすぐぶっ壊れるぞ」

「なるほど……じゃあ登るのはやめたほうが無難ですね」

「残念ながらな」

「お、やっぱり残念でした? 私のパンツが見られなくて」

「そっちじゃねぇ。謎が解けなくて残念だってんだ」

「はー……やれやれ、これだから男子は。男はオオカミとはよく言ったものです」

「壁面登ろうとしたチンパンジーに言われたくねぇよ」


俺たちが壁際で騒いでいると、背後からくすくすと笑い声がした。畑の作物に紛れていて気づかなかったが、どうやら園芸部の生徒たちが一部始終を見ていたらしい。

まったく、生徒会長の威厳もへったくれもない。恥ずかしまぎれに「すいません、騒いで」と頭を下げると、ガーデンフェンスの影から一人の女子生徒が出てきた。彼女は「あ、あいかわらず仲がいいね……」と、俺たちに笑いかける。


「あら、赤々熊ちゃんじゃないですか」


彼女は赤々熊 亜羽あかしゃぐま あわ。俺たちと同学年であり、昨年まで俺や隠神と同じクラスに籍を置いていた女子生徒だ。

入学から二年連続で同じクラスにあたったおかげで、隠神のことを過度に恐れたりしない貴重な人材でもある。


「赤々熊さんって園芸部だったっけ」

「か、掛け持ちだけどね……二人は、生徒会の活動中?」

「実は今、生徒会で百鬼椰行の調査をしててさ……」


ちょうどいいので、赤々熊さんにも"生者を笑うモノ"という怪談の調査中であることを話してみた。

可能性はかなり低そうだが、一応「このパイプをよじ登って遊んでいる生徒を見たことないか?」と尋ねてみる。彼女は「み、みたことないけど……」と即答したし、他の園芸部の生徒たちも「ないです」「しらない」と答えていった。


「ほ……放課後はたいてい園芸部の誰かがここにいるから、誰かがそんな危ないことしてたら、すぐに気づくと思うよ」

「いや、もし登ってる奴がいるとしたら授業中の可能性が高いんだ。つっても、園芸部も授業中まで畑の管理してるわけじゃないよな……」

「そう、だね……さすがに授業中のことはわからないや……ふへへ……」


彼女は「あ、でも」と付け加えて、排水パイプのあたりを指す。


「授業中、ここで遊んでる生徒はいるのかも……」

「遊んでる? こんな場所でか?」


聞けば、ときどき排水パイプの周りに缶ジュースやお菓子のゴミが捨てられているらしい。悪いときはガムが吐き捨てられていたり、タバコの吸い殻が発見されたこともあるそうだ。ここ特殊教室棟の裏手はあまり人通りがないので、おおかた不真面目な生徒のサボリ場となっているのだろう。

風で畑の土はとんでくるわ、小汚い排水パイプの真下だわ、あまり快適な場所とは言えなさそうだが。めぼしい場所は隠神に占領されているため、こんなところでも彼らにとっては安息の地なのかもしれない。なんと涙ぐましい……いや違う、嘆かわしいことだろうか。そうまでしないとサボれないなら、観念して学生の本分を全うしてもらいたいものである。


「さては、ここでサボってる生徒の声が屋上まで届いてるんじゃないですか?」

「それはないだろう。屋上まで届くほどの大声でバカ騒ぎしてたら、さすがに先生が見回りにくるだろうし」


仮にここから屋上まで笑い声が届いたとしても、俺たちが聞いたような響き方にはならないと思う。あのとき、笑い声の発信源は屋上のどこかにあった。少なくとも俺たちはそう感じたのだ。

屋上までずいーっと伸びる排水パイプを目で追う。隠神のようなフィジカルモンスターならともかく、普通の人間がこれを登るのはまず無理だ。そんなことを考えていたとき、ふと「――"人間以外"なら登れるのでは?」という疑問が脳裏をよぎった。

例えば動物。野良猫やカラスなら屋上への侵入も容易だろう。動物の鳴き声を笑い声と誤認していた? ……しかし、それでは俺たちが突入しても笑い声がやまなかったことに説明がつかない。動物なら人間がきた瞬間に逃げ出すだろうし、逃げる動物の姿だって目撃できたはずだ。


「いや、そうか……なにも自ら登る必要はないのか……!」


あの笑い声は、隠神が怒鳴った瞬間にピタリと止んだ。そういえば元の怪談でも、教師が「どこにいるんだ!?」と叫んだ瞬間に笑い声が止まったと言われていたじゃないか。つまり笑い声の主にも、こっちの声が届いていたんだ。だとしたら――


「……隠神、ちょっと屋上に行ってみてくれないか。試したいことがある」

「なにか、わかったんですね?」


俺は頷く。誰もいない屋上プールで響く"生者を笑うモノ"の声。その正体に、ようやくひとつの可能性を見出した。

この想像が正しければ、隠神の推理はそう真実から遠くなかったことになる。実験が上手くいけば、あとは犯人を捕まえるだけだ。

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