生者を笑うモノ①

――つーことで、現世の皆々様にお聴きいただいておりますユウレイラジオ!

本日も生放送! パーソナリティは引き続きこのオレ、DJユウレイが三途の川からお届けしております!


実は昨日、放課後にプール掃除させられたんだよ。教室に居残ってダラダラしてたら、レイバーン先生に「お、ヒマそうだねェ」つって無理やり手伝わされてさぁ。

「眠いんで無理っす!」って断って逃げようとしたら、あの先生なんて言ったと思う? 「冷た~い腰洗い槽に突き落としたら目が覚めるかなァ?」だってさ。脅迫じゃん! いいんですか!? 教師が生徒を脅迫して!

……とはいえ、放送部の顧問サマに逆らったらユウレイラジオ存続の危機なんでね。結局、オレに選択権なんてないわけ。仕方ないから手伝いに行きましたよ、えぇ。


しっかし、半年以上放置されたプールの汚さには正直ドン引きしたね……ウチ、温水プールじゃないから冬は水泳部も使ってないのよ。だから去年の水が溜まったまま放置されてんの。

で、椰子木高校のプールって屋上にあるじゃん? そのせいで外部からいろんな生物が紛れ込んでくるのね。プールん中、謎の藻が大量発生してるわ、ヤゴやらアメンボが大発生してるわで、ちょっとしたビオトープと化してるわけ。

ここまで汚いと、逆に綺麗なのでは? って錯覚するレベル。だって、プール内で食物連鎖が発生してんだよ? もはやこれ"自然"じゃん。こんなとこ掃除するなんて自然破壊と一緒じゃん。……って主張してみたけど、残念ながら掃除が中止になることはなく。

汚っっったないプールに入って、デッキブラシでゴシゴシ擦ってきましたよ。水がもう、真緑でさぁ……掃除のために膝下くらいまで水抜いたんだけど、大量の藻が張ってるせいで底が見えねぇの。なんか、河童でも出そうな雰囲気。


え? 河童なんて出るわけないだろって? もしかしてみんな、河童のことを空想上の生物だと思ってる?

バッカだなぁ。いるよ、河童は。まー、珍しい動物だから滅多に見かけることはないけどさ。昔はそこらじゅうの川にいたんだけど、今はめっきり数が減って絶滅寸前なんだよ。

どうして絶滅寸前なのかって……そりゃあ、アレだよ。栄養失調。河童の好物はキュウリだって聞いたことない? キュウリって「世界一カロリーの低い果実」ってことでギネスに認定されてる野菜なんだよ。

一日のほとんどを水中で過ごす生物なのに、キュウリで栄養足りるわけないじゃん。もっとカロリー摂んないと。水棲生物のくせにキュウリばっか食べてんだから、そりゃ個体数も減るってもんさ。


あとはまぁ、乱獲だね。かつての日本じゃ、河童は貴重なたんぱく源だったんだよ。しかもキュウリをエサにすれば簡単に釣れたものだから、獲られすぎて数が減ったんだとか。

いやいや本当だって! 河童巻きだって、もともとは河童の肉を巻いてたんだから。最近じゃあ河童が激減しちゃったから、代替品のキュウリを巻いたものを河童巻きって呼ぶようになってるけどね。

そりゃそうでしょ。カレーが入ってるからカレーパン、鮭が入ってるから鮭おにぎり、って相場があるわけだから。そんなら河童巻きには河童が入ってるのが道理でしょうよ。


第一、回転ずしの皿だって、もともとは河童の頭から剥ぎ取ったものだからね? ちなみに白い皿はオスの河童、色付きの皿はメスの河童から取った皿だよ。金色の皿は群れのボス河童の皿ね。

業界最大手の回転ずしチェーンの名前をみればわかるでしょ。河童と寿司は切っても切り離せない関係なんだって。まぁ、回転ずし屋の熾烈な出店合戦のせいで、河童の個体数減少に拍車がかかってしまったわけなんだけどね……


……嘘のくだりが長いって? あれ、バレてたの? ハハハ、さすがに無理があったか。作り話には自信があるんだけどなぁ。この嘘で全校生徒を騙し切ってやろうと思ってたのに。

まぁ、希代の大嘘つきと呼ばれたこのオレも、たまには失敗することくらいあるさ。これが本当の「河童の川流れ」つってね! ガハハ! …………おい、シーンとするな。笑え。


さぁて、半年以上放置されたプールばりに空気が濁ったところで、そろそろお別れの時間となりました! 皆さん、お弁当は食べ終わりましたか?

キュウリを食べた人も、河童巻きを食べた人も、生きてる人も、死んでる人も、午後の授業がんばっていきまっしょう! ちゃんと栄養摂らないと、河童みたいに絶滅する羽目になるぞ!

というわけで三途の川からお届けしましたユウレイラジオ! お相手はこのオレ、DJユウレイでした! また来世でお会いしましょう! うらめしや~!



***



ざざ、ざ……とノイズが入り、ユウレイラジオの放送が終了する。とは言っても、今回のそれは隠神のスマホから流された録音だった。

ユウレイラジオを聴くために学校に来ている、とまで豪語するこの女。最近はお昼になると生徒会室にスマホをセットして、いそいそとユウレイラジオのアーカイブを録っているのだ。

当人は「教室だと他の人の声が入っちゃうので上手くいかなかったんですが、生徒会室だと綺麗に録音できますねぇ」などと言ってホクホクだ。


「聞かせたいものがあるって言うから何かと思えば、結局ユウレイラジオかよ」


隠神が生徒会室に入り浸るようになったので、このところは俺もユウレイラジオを聴くのが日課になっていた。ファンとは言わないまでも、毎日聴いていれば番組への愛着もそれなりに湧いてくる。

ただし今日は(本来は隠神も参加すべき)生徒会の仕事でお昼はバタバタしていたため、久しぶりにユウレイラジオを聞き逃していた。すると放課後、隠神が「聞かせたいものがあります」と本日分のユウレイラジオを再生したのである。


「今の放送を聴いて、思うところはありませんでしたか?」

「キュウリが河童肉の代替品だってことくらいしかわからなかったが」

「もっと聞き逃せないところがあったでしょう」

「……ちゃんと栄養を摂らないと河童みたいに絶滅するぞ、ってところ?」

「不正解です。罰として地獄に落ちてもらいます」

「ペナルティ重ッ。まて、ちゃんと考えるから」

「DJユウレイの正体に迫る大ヒントが隠されていたじゃないですか」

「……あ、もしかしてレイバーン先生のことか?」

「正解です。天国に行くことを許可します」

「死は免れないかぁ」


この放送の中で、DJユウレイは「レイバーン先生にプール掃除を手伝わされた」というエピソードを話していた。それが本当なら、レイバーン先生とDJユウレイには面識があるわけだ。


「あの教師、放送部の顧問なんですよ」


隠神は不機嫌そうにそう言った。『あの教師』という呼び方にトゲを感じる。そういえばレイバーン先生も前に隠神の名前を聞いて気まずそうにしていたが、もしかして仲が悪かったりするんだろうか。

DJユウレイは「放送部の顧問には逆らえない」とも言っていた。蟷螂坂は「放送部はユウレイラジオに一切関与していない」と主張していたが、こうなるとユウレイラジオと放送部が無関係だとはやはり思えない。

放送部はなんらかの事情でDJユウレイの正体を秘匿しているのだろうか。それとも部員は本当に何も知らず、顧問であるレイバーン先生だけがユウレイラジオに関わっている? しかし一体、なんのために?


「一応、レイバーン先生に直接聞いてみるべきか」

「聞いても教えてくれませんよ」

「もしかして、もう掛け合ってみたのか?」

「ええ、何度も。けれど『なにも知らない』って言い張るんですよ」


放送中、DJユウレイはしばしばレイバーン先生の名前を口にするらしい。だから隠神は幾度となく「DJユウレイの正体を教えてほしい」とレイバーン先生に要求してきた。ところが彼は頑なにDJユウレイとの関係を否定し続けているのだという。


「あの教師、絶対なにか知ってるはずなんですけどね。でも、聞き出そうとするといっつもこう言うんです。『オレは臆病だから、百鬼椰行なんてものの話はしたくないんだ』って」


前にレイバーン先生はジャパニーズホラーが大の苦手だと言っていた。DJユウレイの正体は間違いなく"放送室の幽霊部員"の真相に繋がるから、たしかに百鬼椰行の一部。ジャパニーズホラーにまつわる話題だと言えなくもない。

しかし、それは「DJユウレイが本物の幽霊なら」という前提ありきの話だ。本当にDJユウレイと面識があるなら、それがあり得ないのはレイバーン先生自身が一番よくわかっているはずである。つまるところ、レイバーン先生は百鬼椰行を言い訳にして隠神をはぐらかしているだけなのだ。


「レイバーン先生はDJユウレイの正体を隠す手伝いをしている、ってところか?」

「正体を隠すというのがDJユウレイ自身の意思なら、私だって無理に正体を暴こうとはしませんよ」

「どういうことだ?」

「だって変じゃないですか。正体を隠したい人が、自分に繋がる人間の名前をベラベラ喋らないでしょう、普通」


それもそうだ。本気で正体を隠し通すつもりなら、面識のある人間の名前は伏せるべきだろう。レイバーン先生の話題を出すにしても、「R先生」とか適当に仮名をつければ済む話だ。

仮にDJユウレイが「自分の正体を明かさないでくれ」とレイバーン先生に頼んでいるなら尚のこと。徹底的に素性を隠蔽しながら、レイバーン先生というパイプの存在は仄めかす。正体を隠したいのか、誰かに見つけてほしいのか。DJユウレイの行動は実にちぐはぐだ。


「私的には、あの教師がDJユウレイを拉致監禁してると睨んでます。あえて名前を出すのは、聴いている人へのSOSなんですよきっと!」

「そんなわけあるか。第一、自分とこの生徒を拉致してどんなメリットがあるっていうんだよ」

「DJユウレイを独占できるなんて素敵なことじゃないですか。きっとあの教師、DJユウレイに毎晩トークさせてるんですよ。耳元で。うらやま……いえ、許せない」


発想が絶妙に気持ち悪い。いつかDJユウレイの居所が判明したそのとき、本当に彼を拉致監禁するつもりなのはコイツではないかと疑ってしまう。


「ちわーっす! 会長いるっすかー?」


生徒会室の扉がカラリと開いて、蟷螂坂がぴょんと顔を出した。すかさず隠神が「私もいますよ」と返すと、蟷螂坂は「う」と短く唸った。まだまだ隠神への恐怖心は克服されていないらしい。

ふと見ると、蟷螂坂の後ろにはもう一人の女子生徒が控えている。胸の校章から、蟷螂坂と同じ二年生だとわかった。彼女はおずおずと会釈すると、蟷螂坂に促されて生徒会室に入ってきた。


「いらっしゃい。わざわざ生徒会室に来たってことは……なにか、相談事かな?」


そう聞いてみると、大人しそうな女子生徒はこくりと頷いた。我が生徒会室には、しばしば相談事を持ち込む生徒が現れる。

ほとんどが百鬼椰行か隠神にまつわるトラブルの相談なのだが。オカルトマニアの蟷螂坂が連れてきたということは、今回もやはり……


「百鬼椰行の相談なんすけど、いっすか!?」


蟷螂坂は屈託のない笑顔でそう聞いてきた。いっすか!? と言われても、まぁぶっちゃけ何ひとつ良くはないのだが。良くないから帰れ、とも言えないのが生徒会長としてのプライドである。

人を怖がらせるのが趣味と化している蟷螂坂はともかく、わざわざ生徒会室に相談に来るほどの悩みを抱えた女子生徒を無碍に扱うわけにもいかない。俺は精一杯の作り笑顔で「いいとも」と返事をした。


「あの……わたし、二年一組の真白 紀伊ましら きいっていいます。先日、生徒会のお二人が"壁になった女の子"の仕組みをお話されているのを聞きまして……」


ひとまず椅子に座ってもらって、真白さんの話を聞くことにした。どうも彼女は、先日の"壁になった女の子"の解明に居合わせた野次馬の一人だったらしい。

どうも緊張している様子なので、来客用のお茶菓子にと用意しておいた安物のおかきを勧めてみる。彼女が「ありがとうございます」と言い終える前に、隠神が手を伸ばして食いだした。お前のじゃねぇ。


「生徒会のお二人なら、もしかして私の悩みも解決してくださるんじゃないかと思って……」

「そこでこのアタシ! 紀伊っちの一番の大親友である蟷螂坂ちゃんがここに連れてきたってワケっすよ!」


ほめろ、とでも言わんばかりにツヤツヤ顔の蟷螂坂を一旦スルーして。俺は真白さんに「して、悩みというのは?」と尋ねる。


「わたし、水泳部なんですが……先日、幽霊の笑い声を聞いてしまいまして……」

「幽霊の……笑い声?」


蟷螂坂に目配せをする。しかし今しがたスルーされたことに腹を立てたのか、彼女は頬を膨らませたままそっぽを向いていた。

このままでは話が進まない。仕方なく「学年一の美女と名高い蟷螂坂さん」と声をかけると、彼女は「えへへぇ?」と阿呆みたいに頬を緩めて、「しゃーなしっすねぇ。説明してやりますかぁ……」と話し始めた。



――水場には霊魂が寄ってくる、って話を聞いたことがありますか?

例えばトイレ、お風呂場、池や湖……そういった場所にまつわる怪談が多いのは、そこが霊魂のたまり場になっているからなんです。

日本各地の学校に「プールに出る幽霊」の怪談が存在するのも、きっとそういうことなんでしょうね。


えぇ、椰子木高校のプールにも御多分に漏れず怪談が存在しますよ。

"生者を笑うモノ"って呼ばれてる話なんですけどね。


単刀直入に言えば、無人のプールで笑い声が聞こえるんですよ。それも一人や二人じゃない、たくさんの人の笑い声が。

ひひひひひ、うひゃひゃひゃひゃ、って。驚いてあたりを見回しても誰もいません。でも、笑い声はやまないんです。ふふふふ、ぎゃはははは。目に見えない何者かは、それはそれは楽しそうに笑い続けます。声に怯える生者を小馬鹿にするように、げらげら、げらげらと。


教師のなかにも"生者を笑うモノ"の声を聞いてしまった方がいました。その方は当時、椰子木高校に赴任してきたばかりだったそうです。

当然、プールにまつわる不穏な噂なんて知らなかったその先生。笑い声を聞いて、てっきり不真面目な生徒がプールに忍び込んで遊んでいるのだと思ったのだとか。

そこで先生はプールのカギを開け、侵入した生徒をとっちめようと踏み入りました。しかしプールには誰もいません。それなのに、笑い声はいつまで経ってもやまないんです。

ひひひひ、いひゃひゃひゃひゃ……先生は怖くなって、思わず「どこにいるんだ!?」と叫びました。するとその瞬間、笑い声はぴたりと止まったそうです。


先生はどこかに生徒が隠れているはずだと信じて、プールのいたるところを捜索しました。

しかし結局、その時プールにいたのは先生一人だけ。隠れている生徒なんてどこにも存在しませんでした。

というか、始めから隠れようがなかったんです。だって椰子木高校のプールは、屋上にあるんですから……



「……っていうのが"生者を笑うモノ"のお話っすね!」


蟷螂坂がいつもの口調に戻って、にぱっと笑う。怪談を語るときだけ声のトーンを落とすのを本当にやめてほしい。

彼女がその声色のときは怖い話がくると体が覚えてしまって、俺はちかごろ蟷螂坂の低めの声を聞いただけで涙目になる体質になってしまったのだ。ああ情けなき、パブロフの俺。


「ふぅん、誰もいないプールに響く笑い声……ね。今までのに比べると、ちとインパクトに欠けるかな」

「そういうデカい口を叩くなら、せめて隠神センパイの後ろに隠れるのをやめたらどうっすか?」


これは暮らしの豆知識なのだが。恐ろしい怪談が聞こえてきたときは、隠神を盾にすると多少は気持ちが楽になるのである。是非、怖がりな皆さんには真似してもらいたい。

「本物のオバケが出たらブン殴って地獄に送り返す」と豪語する隠神の傍若無人さは、恐怖心を和らげるフィルターとしてこの上ない役割を果たしてくれるのだ。蟷螂坂の不機嫌そうな指摘にも怯まず、俺は隠神の背後に隠れたまま話を続けた。


「それで、真白さんがその笑い声を聞いてしまったと?」

「はい……わたしたち、更衣室を部室として使っているんですが……その日の授業で使う教科書を部室に置き忘れてしまっていて、先生に許可をもらって急いで取りに行ったんです」

「許可をもらって……ってことは、授業中に?」

「そうです。プール開きはまだ先ですし、授業でプールを使っているクラスはいませんでした。だから……プールにはわたししかいなかったはずなんです。でも……」


笑い声が聞こえたんです。真白さんは声を震わせながら、そう絞り出した。


「カギを開けて中に入ったら……どこからともなく、ぎゃはははは、って。わたし、てっきり誰かが隠れてるんだと思って、『誰!?』って叫んだんです。そしたら……笑い声は止みました。しん、となった瞬間に背筋がゾクっとして……わたし、走って教室に戻りました」

「誰かが真白さんを驚かせる目的で隠れていた可能性は? さっき蟷螂坂が話した怪談では『屋上だから隠れ場所がない』ってオチだったけど、ぶっちゃけ数人が隠れるスペースくらいはあるでしょ?」

「……わたし、驚いてすぐに逃げてしまったので、隠れていた人が絶対にいないとは断言できません。だけど、隠れ場所のあるなし以前に、他の人はプールに入れなかったと思います」


それはどうしてかと尋ねると、真白さんはスカートのポケットから黄色いプレートのついたカギを取り出した。プレートには油性マジックで「プール」とだけ書かれている。


「その、屋上にはカギがかかっていますから。プールのカギは職員室に保管されている授業用と、わたしたち水泳部が当番制で持ちまわるこの一本だけだと聞いてます」


無許可でプールを使用する生徒のいないように、屋上は常に施錠されていた。安全上の理由なのでそう簡単にカギの貸出許可も下りない。つまり容易に屋上を出入りできるのは、水泳部のカギを持っている人間だけだ。

聞けば、水泳部は週替わり当番でカギを持ち回りしているらしい。真白さんが笑い声を聞いたのが三週間前の木曜日。彼女はその週の月曜日からカギ当番だったそうだから、その日プールに入れたのは真白さんだけだったことになる。


「カギを使って侵入するのは難しいってことか……」


水泳部の目を盗んで侵入した生徒がいた? それとも入り口を通らず屋上に侵入できる経路がある? あるいは教師も知らない第三のカギが存在していて……?

誰にも見つからずに屋上へ侵入するのは困難だが、現時点では不可能とまでは言い切れない。肝心の侵入方法について頭をひねっていると、黙ってバリボリおかきを食べていた隠神がすっと手を挙げた。


「その"生者を笑うモノ"でしたっけ。たぶん私、何度かその笑い声を聞いたことがあります」

「「は???」」


思わず、蟷螂坂とシンクロしてしまった。


「それ、いつの話だ?」

「えーと、最近だと先週くらいでしたかね。プールの入り口は閉まってるんですけど、扉の向こうから笑い声が聞こえるんですよ。ぎゃははは! 的な」

「わー! まさにそれっすよ! "生者を笑うモノ"の怪!!」


オカルトマニアの蟷螂坂は、意外な人物から飛び出した心霊証言にテンションがブチ上がっていた。一方、俺はテンションだだ下がりである。

ああ隠神よ。お前だけは味方でいてくれるんじゃなかったのか。お前まで幽霊を見たとか聞いたとか言いだしたら、俺はこの先どうやって恐怖心と戦えばいいのだ。


「それで、なにか霊的なものを感じたりはしました!? 鳥肌が立ったとか、些細なことでいいので!」

「いえ、特には。私、普通にドアの向こうに誰かいるものだと思ってましたから」

「背中がぞわっとしたとか、誰かに見られているような気がしたとか、なんでもいいから感じなかったんすか?」

「うーん……強いて言うなら、ですが。ときどき『フジツボって生きてて楽しいのかな?』と感じることはありますね」

「感じたことなんでもいいとは言ったっすけど、そこまでフリーダムな所見は求めてないっす」


にわかにテンションが上がり、苦手意識を忘れて隠神を質問攻めする蟷螂坂。ところが当の隠神がアホな返答しかしないので、蟷螂坂がクールダウンしていくのが目に見えた。


「フジツボって貝じゃなくてカニに近い生物らしいですよ。なにを思ってあんなバッドエンド進化を遂げたんでしょうね」

「いつまでフジツボの話してるんすか。それ、プールの笑い声と全然関係ないじゃないっすか」

「まぁ、あの場所で変な笑い声を聞いたことがあるのは事実ですよ。毎回ってわけじゃないですけど、屋上に行くとけっこうな頻度で聞こえますね」

「むー……そこが不思議なんすよね。実はアタシも一度聞いてみたくて待ち伏せしてみたことがあるんすけど、結局一度も聞けなかったんすよ」


蟷螂坂は面白くなさげな様子で「やっぱアタシって霊感ないんすかねぇ」と呟いた。

隠神と真白さんには聞こえて、蟷螂坂には聞こえなかった謎の笑い声。しかしオカルトそのものを否定する立場の俺としては、そこに「霊感」なんて不確定な要素が関わっているとは思いたくない。そんな曖昧な判断基準に頼るより先に、確認しておくべき事項もあるわけだから。


「隠神、お前がその笑い声を聞いたのって、もしかして授業中か?」

「そうです。プールの授業がない日は、教師もなかなか屋上まで上がってはきませんから」

「……じゃあ、霊感は関係ないな」

「ないでしょうね」


真面目な下級生の二人は、このやり取りを聞いて頭に「?」を浮かべている。この純粋な後輩たちに我が副会長の不真面目さを露呈するのも気が引けるが、説明しておかないわけにもいくまい。


「つまり隠神はよく屋上でサボってるから、聞ける確率が高いってだけだ」


足しげく屋上に通っているなら、そりゃ屋上で発生するという怪奇現象にも遭遇しやすくはなるだろう。霊感も運もない。単に頻度の問題だ。

根本的に授業をサボるという発想をもたない下級生の二人は、ひきつった笑顔で「なるほど……?」と取り繕っている。


「隠神への注意は一旦置いておいて、だ。真白さんがその笑い声を聞いたのも授業中だったんだよね?」

「は、はい……現国の教科書を部室に置き忘れていて……三限が始まってすぐだったので、十一時ごろだったと思います」

「蟷螂坂が屋上で待ち伏せしたのは放課後?」

「そうっすね。あと、何回か休憩時間にも試してみたけど何も出なかったっす」

「基本、授業中に発生する現象ってことか……一応、なにかしらの法則性はありそうだな」


それを聞くと、真白さんの顔が少し明るくなった。彼女は遠慮がちに「解明、できそうですか……?」と聞いてくる。


「まだわからないけど、現場を調べればきっとなにかわかるはずだよ」

「そうですか……あの、わたし、実はあの気持ち悪い笑い声が耳から離れなくて、それで……あれは幽霊の声なんかじゃない、って、安心したくて……」


"生者を笑うモノ"の調査依頼が生徒会室に持ち込まれた理由は、実にシンプルだった。

屋上で響く笑い声のメカニズムを解明し、あの恐怖体験のトラウマを和らげてほしい。それが真白さんの依頼だ。誰よりも臆病な俺にとって、これほどまでに共感できる依頼動機もない。

恐怖に怯える生徒を救うことこそ、椰子木高校が生徒会長としての務め! 俺は真白さんに少しでも安心してもらおうと、彼女の目を見て穏やかに語り掛けた。


「安心して。そんな怪談、デタラメだから。それは、きっと俺たちが証明してみせる」

「は……はい、よろしくおねがいします……!」

「万が一にも本物だったら隠神に押し付けるから、真白さんは何も心配しないで」

「え……はあ、よろしくおねがいします……?」

「なーんで余計な一言をつけ足すんすかね、この人は」


日頃から隠神や蟷螂坂のような変わり者に囲まれていると、さも俺だけが臆病者のように見えてしまうが。まっとうに百鬼椰行を恐れている生徒は、俺の他にいくらでもいる。

真白さんもそのうちの一人だ。オカルトをオカルトとして楽しむ者を否定するつもりはないが、オカルトに虐げられる青春などあっていいはずがない。こんなものに学校生活を蝕まれている生徒がいる限り、俺は立ち止まるわけにはいかないのだ。


「しかし授業中だけ現れる怪異か。問題はどうやって調査するかだな……」

「なにが問題なんです? いつも通り、授業をサボって屋上に行けばいいだけじゃないですか」

「うん、あのね隠神。授業をサボるのが『いつも通り』なのはお前だけなんだよ? 知ってた? 授業中って、授業を受ける時間なんだよ?」

「わかってないですね、和泉ちゃん。『授業をサボる』というのは授業中にしかできない行為なんですよ? つまり授業をサボる私たちこそ、誰よりも授業を満喫している生徒なのです」

「女装は男にしかできないから最も男らしい行為、みたいな理論をやめろ」


真白さんがくすくすと笑っていた。こんな馬鹿馬鹿しい会話でも、後輩の緊張をほぐすのに役立ったなら何よりである。

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