壁になった女の子③
――もう何十年も昔、椰子木高校の女子生徒が行方不明になるという事件が起きました。
彼女が最後に目撃された場所は体育館。いえ、正確に言えば「体育館の建設現場」でした。当時、我が校の体育館は建て替え工事の真っ最中だったんです。
そんなある日の放課後でした。女子生徒はほんの興味本位から、友人グループと連れ立って建設現場に忍び込みました。うまく侵入できて調子に乗った学生たちは、建設現場でかくれんぼをして遊んでいたのだといいます。
すぐ大人に見つかって、こっぴどく叱られてしまったみたいですけどね。でも……学生たちが追い出されたとき、一人だけ建設現場から出てこなかった生徒がいました。
そう、それが件の女子生徒です。しかし仲間たちは当初、そのことを深刻に捉えてはいませんでした。おそらく女子生徒は叱られるのが嫌で、建設現場に隠れて逃げるチャンスを伺っているのだろうと思われていたからです。
もしかすると仲間が叱られている間に、隙をみて脱出したのではないかという意見もありました。事実、いくら待っても彼女は戻ってこなかったので、仲間たちも「きっと先に帰ったのだろう」と納得せざるを得なかったのでしょう。
ところがその夜、女子生徒のご家族から捜索願いが出されました。結局、彼女は家にも帰っていなかったのです。
翌日、翌々日、どれだけ時間が経過しても女子生徒は戻ってきません。建設現場でのかくれんぼ中に目撃されたのを最後に、彼女は忽然と姿を消してしまったのです。
もちろん仲間たちの証言により、建設現場でも徹底的な捜索活動が行われました。しかし警察による捜査でも手がかりひとつ見つからず……女子生徒がどこに行ってしまったのかは、事件から数十年経った今でもわかっていません。
ただ、この事件にはこんな闇深い噂があるんです。いなくなった女子生徒は体育館の壁の中に埋められてしまったんじゃないか、って。
学生たちが侵入を決行した日、建設現場ではちょうどコンクリートの流し込み作業をしていたそうなんですよ。何も知らずに隠れる場所を探していた女子生徒は、まだ固まっていないコンクリートに誤って転落してしまったのかもしれません。
重くて粘り気のあるコンクリートの沼に一度嵌れば、か弱い女子生徒の力では到底抜け出せないでしょう。ずぶ、ずぶ、ずぶ……ともがくほどに沈み、彼女は体育館の壁の一部になってしまったんです。
どうして見てきたようなことが言えるのかって? 簡単な話ですよ。完成した体育館の壁には、苦悶の表情を浮かべた女子生徒の顔が浮かび上がるんですから。
暗くて冷たいコンクリートの壁の中から、彼女はじーっとこちらを見ているんです。まるで助けを求めるみたいに、苦しそうな顔で……
だから、一人で体育館のそばを通るときは必ず目を伏せてくださいね?
"壁になった女の子"と目が合ったら、アナタも壁の中に引きずり込まれてしまいますから。
***
「……っていうのが"壁になった女の子"っていう怪談なんすけどね! どうすか!? 怖かったっすか!?」
放課後の椰子木高校生徒会室。いつもは元気ハツラツな蟷螂坂だが、怖い話のときだけ声色と口調を変えてくるのが非常にズルい。
俺はとっておきのポーカーフェイスで「いや、全然コワクナイ」と言ってやったが、蟷螂坂に「足震えてんじゃないすか」と言い返された。
「よくもまぁ、そんなにガクブルで幽霊が怖くないだなんて言えるっすねぇ」
「いや待て、蟷螂坂。そもそも俺は"放送室の幽霊部員"について教えてくれと頼んだはずだが。どうして急に、まったく無関係な百鬼椰行を話したんだ。泣かす気か」
「泣く可能性まであったんすね」
今日ここへ蟷螂坂を呼んだのは、放送部部長の肩書きをもつ彼女に"放送室の幽霊部員"について聞くためだった。放送部員はユウレイラジオに一切関与していないという話だったが、念のための聞き取り調査である。
DJユウレイの正体こそ知らなかったとしても、我が校屈指のオカルトマニアである彼女なら、真相の解明に繋がるヒントをくれるのではないかと期待していた……のだが。
「"放送室の幽霊部員"かぁ……あれ、あんまり怖くないからアタシ的にはイマイチなんすよねぇ……」
どういうわけだか、彼女は"放送室の幽霊部員"の情報提供に非協力的だった。聞いてもいない怪談はいくらでも語ってくれるくせに、珍しくこちらから頼むとこの態度である。
「そもそも放送部は、本当にユウレイラジオに関わってないんすよ。なので当然"DJユウレイ"の正体も知らないんす」
蟷螂坂は「前にも隠神センパイに脅さ……聞かれたことがあったんすけどね」と付け加え、気まずそうに隠神に視線をやった。当の隠神は、こちらの会話など意にも介さず、並べたパイプ椅子の上で寝こけている。
どうやら以前、隠神がDJユウレイの正体を調べるために放送部に乗り込んだ際には蟷螂坂が対応してくれたようだ。隠神に脅す意図はなかったのだろうが、なにしろアイツは圧が強い。"椰子木の怪物"に詰め寄られ、蟷螂坂のほうは軽くトラウマを抱えてしまったらしい。
「そーゆーわけなんで"放送室の幽霊部員"に関してアタシから協力できることはないっすね。申し訳ないっすけど」
「まぁ、その件については承知した。して、それと"壁になった女の子"とかいう怪談を俺に聞かせたのには何の関係があるんだ」
「生徒会が百鬼椰行の調査を始めるって聞いたもんで、せっかくなら情報提供にご協力しておこうかと。今後は"放送室の幽霊部員"以外の調査もするんすよね?」
そう。隠神との約束を機に、我が生徒会はこの春から新たなる公約を掲げることとした。それはずばり「百鬼椰行の撲滅」である。
百鬼椰行の存在に怒りを覚えているのは隠神だけではない。誰あろうこの俺も、百鬼椰行を嫌悪する者の一人だった。数多の怪談に浸食されたこの学校では、幼いころからの憧れだったドラマのような青春時代が送れないからだ。
俺は、人生でたった一度の青春を蝕む百鬼椰行が憎い。隠神は、大好きなユウレイラジオの風評被害をふりまく百鬼椰行が憎い。何から何まで真逆な俺と隠神だが、オバケが嫌い、百鬼椰行を潰したい、という目的だけはピッタリと一致していた。
ゆえに俺たちはタッグを組み、憎き百鬼椰行に立ち向かっていくことに決めたのだ。卒業までに残された時間は一年足らず。それまでに俺は、必ずや我が校から百鬼椰行を消し去ってやろうと野望を燃やしていた。今さら始めたって、かつて夢見た青春時代を送るには時間が足りないかもしれない。けれど俺は生徒会長として、後輩たちが明るく過ごせるオバケのいない学園づくりを進めていく! それが俺なりの母校への恩返しであり、俺たちの青春を食い潰してくれた百鬼椰行への仕返しなのだ。
「ぜーんぶ解決するつもりなら、百鬼椰行の情報をたっくさん集めなきゃっすよね? そこで不肖、オカルトマニアのこのアタシが情報提供を買って出ようってワケっす! 堂々と会長に怖い話を聞かせられるチャンスですし!」
「本音」
ともあれ、百鬼椰行の調査を行う上で蟷螂坂の協力が得られるのは心強い。この後輩は臆病者に怪談を聞かせてハァハァ言うのが趣味の変態ではあるが、オカルトの知識だけは誰よりも豊富なのだ。
百鬼椰行は気が遠くなるほどに多く、俺たちの卒業までに残された時間は少ない。自力で聞き込み調査なんかしていたら、貴重な高校生活のラストがオバケ図鑑の作成だけで潰れてしまう。その点、歩くオカルト図鑑の蟷螂坂がいれば、情報収集の手間はまるっと省けるのだ。
「……しかし最初は"放送室の幽霊部員"から調査しようと思ってたんだが、蟷螂坂が何も知らないんじゃ取っ掛かりがないな」
「そう思って、べつの怪談を持ってきたんすよ。肩慣らしってワケでもないっすけど、そっちから解決してみるのはどうすか? ね?」
「"壁になった女の子"だっけ? やけにその怪談を推してくるな」
そう聞いてみると、蟷螂坂は「実は……」と事情を語り出した。
「アタシの友達が最近、見ちゃったらしいんすよ。体育館の壁に浮かび上がる、苦しそうな女の子の顔を。その友達、すっかり怯えきっちゃって……体育館に近づくのが怖いからって、部活にも行けなくなっちゃったんすよ」
「つまり"壁になった女の子"を解明して、その子の不安を取り除いてほしいってことか?」
蟷螂坂は「ですです」と頷いた。仲の良いクラスメイトが"壁になった女の子"に怯えて学校生活にも支障をきたし出し、どうしたものかと悩んでいたところに、生徒会の「百鬼椰行の撲滅」の話が飛び込んできたらしい。
後輩のために百鬼椰行を解決する、というのは生徒会長として望むところだ。どうせ百鬼椰行は片っ端から解決していくつもりなのだし、俺としては多少順番が前後しても問題はないが……
「隠神、"放送室の幽霊部員"は後回しになっても構わないか?」
もとはと言えば、これは隠神の要望から始まった計画だ。事の発端である"放送室の幽霊部員"を保留してよいかどうかは、隠神の了承を得ておく必要もあるだろう。
並べたパイプ椅子の上で器用に爆睡していた隠神は、俺に声をかけられて「んあ?」と間抜けな声を出した。袖口でじゅるりと涎を拭き、清楚さの欠片もない顔でこちらに瞳を向けてくる。
「……ごめんなさい、うたた寝してました」
「そうまでガッツリ寝ておいて『うたた寝』とは厚かましいな。お前の寝方はヒグマの冬眠のそれに近いぞ」
「それより私に何か聞きました? 『隠神、結婚してくれ』の部分までは聞こえたんですが」
「存在しないセリフパートを聞き取るな」
蟷螂坂が"放送室の幽霊部員"の情報を持っていないことや、部活に出られなくて困っている後輩のために"壁になった女の子"の解明を優先したい旨などを、あらためて隠神に説明する。二度手間である。
隠神はうつらうつらしながら聞いていたが、事情を話し終えると「構いませんよ」とあっけなく了承してくれた。
「順番がどうあれ、百鬼椰行は全部ブッ飛ばすつもりでしたし。その"壁サーの女の子"? とやらもね」
「売れっ子作家さんをブッ飛ばそうとしないで。"壁になった女の子"な」
「私の役目はその女の子の霊をブン殴って昇天させること、ですね」
「ううん。全然違うよ。話聞いてた?」
隠神にはじめから事情を説明し直す。三度手間である。なんでもかんでも暴力でカタをつけようとする性格をそろそろ直してほしい。
「俺が百鬼椰行を解明するなら備品の破壊はやめるって話じゃなかったか?」と聞いてみたら、「幽霊って備品なんですか?」と聞き返された。きっと備品とは違うけど、備品以上に殴っちゃいけないものなのはたしかだと思う。
「どうしてお前の除霊手段は"暴行"一択なんだよ。もうちょっと頭を使ってくれ、頼むから」
「まぁいいでしょう。頭突きは得意とするところです」
「外側を使うな。頭の中身を使え」
そもそも隠神と一緒に百鬼椰行の調査をしようという計画が無謀だった気がしてきた。
このクソデカ脳筋クリーチャー、どれだけ説明してもオバケを力づくで屈服させようとしてくる。暴力の妖精か?
「第一、相手は壁に埋まってるオバケらしいぞ。コンクリートまで殴り壊すつもりかお前は」
「和泉ちゃん……私のことをなんだと思ってるんですか。さすがに素手でコンクリートの壁は壊せませんよ」
「そりゃそうだろうが、怪力バカのお前ならやりかねんのが怖いところだよ」
「バカにしないでください。私だって、壁を破壊するならハンマーくらい使います」
「やぁいバカ。怪力バカじゃなくてシンプルバカだお前は」
そんなやり取りをする俺たちを、蟷螂坂がじとーっと睨んでいた。本当に解決する気があるのかコイツら、とでも言いたげな目である。せっかくの情報提供も、こちらがこのザマでは甲斐があるまい。後輩の信頼を失ってしまう前に、生徒会長として襟元を正さねば。
「はぁ、とりあえず体育館を調べに行ってみるか」
「了解です。あっ、ハンマー持ちます?」
「常識を持て」
生徒会室を出て、体育館に向かう。正直、"壁になった女の子"の怪談はけっこう怖かったし、現地に行くのは億劫だった。
しかしまぁ……バカみたいな会話をしていると、怖がるのもバカバカしくなってくる。これから数多の心霊スポットを巡るというプレッシャーを紛らわすには案外、こういう雰囲気がちょうどいいのかもしれなかった。
"壁になった女の子"は体育館裏に出ると言われていた。事実、蟷螂坂のクラスメイトがそれを目撃したのも体育館裏だったらしい。
我が校の北側には標高100メートルちょっとの小山があり、体育館がちょうど山を背にするような形をとっている。ゆえに体育館裏とは、まさに体育館と山の境目にあたる場所なのだ。とはいえ山側には堆く擁壁が積まれているから、すぐ真裏が山だという実感はあまりない。ただ両側をコンクリートに挟まれているだけの細長い通路、という印象だ。
「壁に浮かび上がるったって、けっこう範囲が広いな」
件の体育館裏に到着して、"壁になった女の子"の苦悶の表情が浮かび上がるという壁面をチェックする。
あらたまってみると、体育館裏の壁面はかなり広く感じた。大部分は打ちっぱなしのコンクリートに覆われているだけ。壁の向こう側は体育館の舞台にあたることもあり、山側には窓のひとつも設置されていないのである。
「女の子の顔が浮かび上がるっていう、正確な位置はわかるか」
「アタシも見たことないんで、伝聞っすけど……だいたいこのあたりらしいっす」
蟷螂坂が外壁をゆびさす。やはりというか、そこには打ちっぱなしのコンクリートだけがあった。壁面は黒ずんだ苔のようなもので多少汚れてはいるが、これといっておかしな点も見当たらない。
「ああいう壁の汚れを空目した可能性は?」
「さすがにあり得ないと思うっすけど。だって、どう見たってただの汚れじゃないっすか」
「ただの汚れが人の顔に見えることもあるんだよ。パレイドリア効果って聞いたことないか?」
パレイドリア効果とは、視覚や聴覚で得た情報を既知のパターンに当てはめて認識してしまう心理効果のことである。ようは、なんでもない模様が人の顔に見える、というアレだ。
自動車のフロントが人の顔に見えるとか、雲が天使の羽に見えるとか、猫が「ごはん」と鳴いたように聞こえたとか。あとはウサギが月で餅つきをしている、なんてのも有名なパレイドリアだ。
「和泉ちゃん。私もその、パイルドライバーとやらが怪しいと思います」
「パレイドリアな。きっとその子は"壁になった女の子"の噂を知ってたんだろ。だからただのシミが人の顔に見えた。ようは、恐怖心が生み出した幻影だな」
肝心の壁になんの異変も見られないのだから、そう解釈するより他にない。
念のため、見る角度を変えてみたり、近づいてみたり、離れてみたり。思いつく限りさまざまな方法で体育館裏を眺めてはみたが、やっぱり壁にオバケの顔が浮かび上がるようなことはなかった。
しかし蟷螂坂は、この結論に納得がいかない様子だった。
「そりゃ、アタシたちも『きっと見間違いだよ』って慰めたんすよ。けど、その子『絶対に違う! あれは見間違いなんかじゃない!』って……変なウソをつく子じゃないし、さすがに心配なんすよね」
人に怪談を聞かせて怖がらせるのが趣味の蟷螂坂がフォローに回るくらいだから、そのクラスメイトの子の怯えようは相当なものなのだろう。
しかし困った。当人が「見間違えではない」と意固地になっているなら、パレイドリア効果がどうのこうの~……と講釈を垂れても残念ながら問題は解決しない。少なくとも「"壁になった女の子"を見た」というのがその子にとっての真実である以上、無理に説き伏せようとするのは逆効果だ。嘘つき呼ばわりされた、本当に見たのに、とでも受け取られてしまったら、向こうは余計に意固地になるだろう。その子を納得させるには"壁になった女の子"が霊的な現象ではないことを示す決定的な証拠が必要だ。
「つっても現象が観測できないんじゃ、解明もなにもないよなぁ」
「あら、オバケに出てほしかったんですか和泉ちゃん?」
「バカいえ。出てたら今ごろ退学届を出しにいってるところだ」
「いくらなんでも潔すぎません?」
「この人、もう臆病なの隠す気もないんすね」
体育館裏の壁面に不気味な顔が浮かび上がるという百鬼椰行、"壁になった女の子"。なにも出なくてよかったという安堵と、なにも出なけりゃどうやって解決するんだという歯痒さとが、半々だった。
「とりあえず今日は解散しよう。この件については俺のほうで調べておくから」
二人にはそう伝えて、現地調査は一旦おひらきということになった。みんなでじっと壁を見つめていたって怪奇現象は起こらないだろうから、ここに留まっていたって仕方がない。
それならば過去の新聞記事でも漁ってみるほうが建設的だろう。うちの図書室にも新聞は置かれているし、たしか椰子木高校に関連した情報が載っている新聞については過去数十年分がキッチリ保管されていたはずだ。
"壁になった女の子"の逸話がすべて事実なら、我が校の女子生徒が行方不明になったというニュースも新聞に掲載されているはずである。噂が正しければ事件は体育館の建て替え時期に発生したはずだから、時期もおおよそ見当がつく。
失踪事件の記事が見つかれば"壁になった女の子"の怪談が成立した経緯を知る手助けになるだろう。見つからなければ、はじめから"壁になった女の子"などいなかったのだと主張する根拠がひとつ手に入る。いずれにせよ、解決に一歩近づけるはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます