壁になった女の子②

――つーことで、現世の皆々様にお聴きいただいておりますユウレイラジオ!

本日も生放送! パーソナリティは引き続きこのオレ、DJユウレイが三途の川からお届けしております!


あ、そういや聞いてよ。昨日、ゆでたまご食べようとしたらさぁ……塩を切らしてたんだよ。

仕方ないからマヨネーズかけて食べてみたんだけど、やっぱなんか違うんだよなぁ。オレ、ゆでたまごはダンゼン塩派でさぁ。他の調味料はイマイチなんだよね。


だから母さんに「塩ないのー?」って聞いたわけ。そしたら母さんが出してきたのが、まさかの「お清めの塩」。いやいやいや……息子を成仏させる気か? つって。

てか、お清めの塩って食べても大丈夫なもんなの? 食べた瞬間にオレの体がすーっ……と薄くなって消えたりしない? そう聞いたら母さん「お清め塩でも、食卓塩でも、成仏する奴はする」って言うわけ。


……たしかに。いや考えたこともなかったけどさ、塩ってどのご家庭にも常備されてるお手軽除霊アイテムなわけじゃん。べつに「お清めの塩」じゃなくても、除霊効果はあるはずなんだよね。

じゃあさ、例えばクレイジーソルトでも除霊ってできんのかな。もし自分が悪霊になったとしてさ、どうせ消されるならクレイジーソルトで除霊されたほうがなんだかカッコイイと思わない?

フツーの食卓塩をさ、こう……パッパッと適量ふりかけられて成仏すんのは負けた気になるじゃん。でもクレイジーソルトを豪快にぶっかけられたら「ぐわあああぁぁぁ!! おのれ人類!!」とか叫びながら気持ちよく逝けるよこっちも。ハーブの香りを纏いながらさ。あの世でも「オレ、クレイジーソルトで祓われたんすよ」って自慢できそうだしね。

……いや、待てよ? もしかしてあの世でも「どんな塩で祓われたのかマウント」みたいな文化があったりすんのかなぁ。幽霊界隈の学歴マウント的なさ。

お金持ちの悪霊に「アテクシはおフランス産の最高級岩塩で祓われたんザマスのよ?」とか自慢されたらどうしよ。うわー、最悪。「っすー……オレは……クレイジーソルト……っすねー……」ってなっちゃう。庶民の味方のクレイジーソルトじゃ太刀打ちできないよ。やだやだ。死んでまでそんな醜い争いに参加したくないね。


あ、そうだ。塩味の美味しい食べ物で祓ってもらうってのはどうだろう。塩ラーメンとかさ。

不躾に塩のカタマリを投げつけられるより、塩ラーメンを供えてもらったほうが、こっちとしちゃあ気分いいよねぇ。半透明のカラダで塩ラーメンをずずっとすすって、ぐいっとスープを飲み干して、その塩分で成仏すんのさ。

「ごちそうさま」から「成仏」までがワンステップ! いいじゃん! オバケにとってこれ以上の幕引きはないんじゃない!? よく、人生最後に食べるなら何がいい? って質問があるけどさ、これぞ究極の「人生最後の一食」なのかも。


え? 「塩ラーメンで除霊は無理じゃないか」って? いやいや、そんなことはないでしょ。

スープにたんまり塩が入ってるんだから。幽霊どころか、世のおじさま方の腎臓にまで物理ダメージを与えるほどの攻撃力なんだぞ。塩ラーメンは。

エクソシストが悪魔祓いに使う「聖水」だって、たしか塩が溶け込んだ水だよね。塩ラーメンのスープだって塩が溶け込んだ水なんだから、広ーーーい意味では似たようなものじゃん。だから絶対、塩ラーメンにも除霊効果あるって。


あれ? でも待って。塩分濃度の高い水で除霊ができるなら、海水にだって除霊効果があるはずだよね。じゃあ「舟幽霊」って何者?

海の中から柄杓を持った無数の手が出てきて舟を沈めようとするっていう……あいつら、ガッツリ塩水に浸かってない? もはやオバケの塩漬けじゃん。なんで成仏してないの?

よくよく考えたら、舟幽霊の他にも海に出る幽霊ってけっこういるよね。海坊主とか、人魚とか。え、もしかして海の幽霊には塩って効かないの? ズルじゃん。まさかの無敵モードじゃん。


それとも塩って、思ってるほど除霊効果は高くないのかなぁ……まぁ、ただの塩で除霊できるならゴーストバスターはいりませんって話か。

弱い霊には効果あっても、強い霊には効かないのかもね。国産カブトムシの霊までなら食卓塩でOK。ヘラクレスオオカブトより大きな霊を祓うには、お近くの神社にてお清め塩をお求めください。とか、たぶんそんな感じなんじゃない?

どっちかっつうと生きてる人間のほうが塩に耐性ないよね。だって人間、塩気があるものばっか食べてたら早死にするじゃん。塩ラーメンで霊は祓えないかもしれないけど、人間は塩ラーメンで昇天できるんだよな。天にも昇る美味さっつってね。マジで。


だけどカラダに悪いってわかってても、塩気が強いものって美味いんだよなぁ。塩ラーメン、塩焼きそば、塩むすび……頭に塩ってつく食べ物はだいたい美味い!

まぁ、焼き鳥はタレ派なんだけどね。というか、タレか塩かの二択なら完全にタレ。異論は認めない。「塩のほうが素材の味を~」とか言い出す奴は通ぶってるだけだと思ってる。無理すんなって、タレを食え。

え? 「塩焼き鳥のうまさがわからないなんて人生半分損してるよ」って? うるせェ! 誰か、塩まいといて! 塩!


……おっと、グルメな人々に悪態をついていたらこんな時間だ。さてさてお昼休みも終了間近。皆さん、お弁当は食べ終わりましたか? 

食べた人も、食べてない人も、生きてる人も、死んでる人も、午後の授業がんばっていきましょう! 勉強しないと将来ロクなオバケになれないぞ!

というわけで三途の川からお届けしましたユウレイラジオ! お相手はこのオレ、DJユウレイでした! また来世でお会いしましょう! うらめしや~!



***



ざざっ、ざっ。耳障りな雑音がひとつふたつ入って、校内放送がぶつりと切れた。

ユウレイラジオ。なんとなく存在は知っていたが、意識して耳を傾けたのは初めてだった。こんな感じの放送だったのか、と在学三年目にして今さらながらに認識する。


「ふう……! 今日も面白かったです……!」


隠神はというと、なにやら実に満足げな表情をしていた。彼女があまりに集中してユウレイラジオに聴き入っていたので、放送中はまったく会話ができなかった。

はじめに投げかけた「どうして怖くもないのにオバケが嫌いなのか」という問いへの答えは、まだ返ってきていない。


「どうでした和泉ちゃん! ユウレイラジオ、面白かったでしょう!?」

「面白かったというか、なんというか」

「は? 和泉ちゃん、もしかしてユウレイラジオのアンチですか? 耳たぶを引きちぎりますよ」

「やめとけ。行き過ぎたファンはアンチより嫌われるぞ」


面白い面白くないという評価の前に、あんまり校内放送っぽくない番組だな、というのが率直な感想だった。

中学のころに流れていた校内放送は、良くも悪くも型にハマっていた印象がある。「今週はあいさつ強化週間です」といった広報や、「○○部が大会で優秀な成績を~」といった表彰。生徒から寄せられたリクエスト曲を流すくらいが希少なアソビで、それ以外は極めて事務的な番組だった。他の学校がどうだか知らないが、きっとお昼休みの校内放送なんてどこも似たりよったりだと思う。

ところが我が校のユウレイラジオは、"DJユウレイ"を名乗る男子生徒の一人喋りで進んでいく。いわばゴリゴリのトーク番組なのだ。そりゃプロのラジオパーソナリティには遠く及ばないだろうが、DJユウレイはごく平凡な学生とは思えないほど軽快なトークスキルを有していた。ラジオ番組というものを聴いた経験はあまりないが、学生の自主製作番組でこれだけ喋れれば立派なものだということは俺にもわかる。


「お前がユウレイラジオを好きなのはわかったが、そろそろ俺の質問にも答えてくれるか」

「質問……ああ、私がどのようにしてこの美貌を保っているのか、その美しさの秘訣を教えてほしい……という話でしたね」

「全然違う。どうしてお前はオバケが嫌いなのか、って話だ」

「そうでしたっけ。ちなみに私の美貌の秘訣は"溢れんばかりの自信"です」

「聞いてない」


自分の美しさを自分で認めてあげることが美貌の第一歩なんですよ、と実にどうでもいい美へのこだわりを語ったあと、隠神はウフフと鬱陶しい笑いを浮かべた。だから、そんなことは聞いていない。


「はぁ……真面目に話す気がないならもう聞かん」

「あら。心に余裕がないですねぇ和泉ちゃん。カリカリしてたらお肌に悪いですよ?」

「誰のせいだ誰の」

「でも、まぁ、そうですね。和泉ちゃんにはちゃんとお話しておきましょうか」


ほんの少し。隠神は声のトーンを落とした。たったそれだけで、空気がピリつくような威圧感がある。

隠神がおふざけなしで話すことなんか滅多にない。特に、近頃の"キャラづくり"で塗り固められた隠神がこんな気迫を滲ませるのは珍しいことだった。


「……和泉ちゃんは、ユウレイラジオのパーソナリティが"本物の幽霊"だと思いますか?」


隠神の四白眼がじぃっとこちらを睨んでいる。

「ユウレイラジオのパーソナリティ――"DJユウレイ"を名乗る男子生徒は本物の幽霊か」

あまりに突拍子のない問いに、俺は間髪入れず「そんなわけないだろ」と答えた。たしかにユウレイラジオの放送中、さもパーソナリティが本物の幽霊であるかのような演出はあった。しかしDJユウレイの「三途の川からお届けしている」という言葉を真に受ける者などいないだろう。普通に聴けば、それが単なるお約束のセリフに過ぎないということは誰にでもわかる。


「さすがは和泉ちゃん、ご名答です。ユウレイラジオのパーソナリティが本物の幽霊だなんて、どう考えてもあり得ません」

「じゃあどうして、そんな当たり前のことを聞いてきたんだ?」

「どうしてもなにも。そんな当たり前のことすらわからない人間がこの学校には多すぎるからですよ」


長い脚を組み直しつつ、隠神は「"放送室の幽霊部員"という話を知っていますか?」と尋ねてきた。百鬼椰行の類であろうことは想像がつくが、俺はまだその怪談を知らなかった。


「"放送室の幽霊部員"は、ユウレイラジオのパーソナリティが本物の幽霊だっていう怪談です」

「つまり……DJユウレイは生きた人間じゃないと?」

「ええ。地縛霊がお昼の放送室を占拠して放送してるんですって。信じられます?」


そんなの信じられるわけがない。というか、あり得ない。いくらなんでも非現実的すぎて、俺にしては珍しく「怖い」という感情さえわかない怪談だった。

毎日毎日、真っ昼間から全校に向けてゴキゲンなトーク番組をお送りする地縛霊? そんなファンキーなオバケがいてたまるものか。


「普通、そんなことはあり得ないってすぐにわかりそうなものじゃないですか。でも、"放送室の幽霊部員"を本気で怖がる生徒は多いんです」


隠神いわく。"放送室の幽霊部員"は数ある百鬼椰行の中でも、わりあい知名度の高い怪談なのだそうだ。ゆえに、この怪談を恐れている生徒の数も知名度に比例して多い。

人から人へと渡る過程で噂には尾ひれはひれがついてしまうもので。"放送室の幽霊部員"にも「ユウレイラジオを三分以上聴いたら死ぬ」だとか、「オンエア中の放送室に近づくと呪われる」だのといったバリエーションが生まれているらしい。


「おかげでユウレイラジオの聴取率は最低最悪です。クラスに一人でも"放送室の幽霊部員"を信じる子がいたら、スピーカーの電源が切られちゃいますからね」


その話で得心がいった。今まで俺はユウレイラジオをちゃんと聴いたことがない。生徒会室でお昼をすませる日はともかく、教室でもユウレイラジオを聴いた覚えがほとんどなかったのだ。

しかし隠神の言う通りなら、おそらく俺のクラスにも"放送室の幽霊部員"の噂を信じた者がいたのだろう。教室のスピーカーは誰かに電源が落とされているか、音量が絞られているため、意図せずユウレイラジオを聴くということがないのだ。

ユウレイラジオを聴くには、体育館やエントランスホールなど、個人の裁量でスピーカーをオフにできない場所で過ごす必要がある。かくいう俺も、そういう場所を通りがかったときくらいしかユウレイラジオを耳にした覚えがない。


「地縛霊が校内放送のパーソナリティを担当してるなんて噂、ちょっと考えればデタラメだってわかりそうなものだけどな」

「まったくの同感です。けれど……この噂には、実際に不可解な点があるんです」


隠神が顔を曇らせる。「不可解?」と聞き返すと、隠神はこくりと頷いた。


「"DJユウレイ"の正体をだれも知らないんですよ」


百鬼椰行がひとつ"放送室の幽霊部員"。その最大の謎はユウレイラジオのパーソナリティ"DJユウレイ"の正体にあるのだという。

マイクネーム"DJユウレイ"。本名不明・学年不明・学級不明。その人物が男子生徒であろうことは声質やトークの内容から予想できるが、彼の素性についてそれ以上のことはわかっていない。

お昼の校内放送を担当している人物が一体どこの誰なのか、全校生徒の誰も把握していないというのである。


「全校生徒の誰もって……んな無茶な。正体不明ったって、放送部の生徒だろ?」

「ところがここ数年、放送部には女子生徒しかいないようでして。DJユウレイは放送部員じゃないみたいなんです」

「じゃあ他部の生徒がお昼の番組にだけ参加してるってところか。それにしたって、放送部員は正体を知っているはずじゃないのか?」

「もちろんそう思って放送部の子たちにも聞いてみたんですが、みんな『知らない』の一点張りなんです」


以前、隠神は放送部に「DJユウレイの正体を知りたい」とかけあってみたことがあるのだという。

放送部の回答はこうだ。「自分たちはお昼の放送に関わっていない」「ユウレイラジオは放送部とは無関係な人物が担当している」と。あくまで隠神の所見だが、放送部員たちが嘘をついている素振りはなかったそうだ。

ユウレイラジオに放送部が関与していないのだとすると、DJユウレイはたった一人でお昼の放送を回しているか、あるいは放送部とは別のサポートチームを独自に結成しているということになるだろう。


「徹底してるな。覆面レスラーならぬ、覆面パーソナリティってわけか」

「ええ。それで私、放送室前で出待ちしてみたことがあるんですよ」

「おいおい、本人が正体を隠してるなら何か事情があるんだろう。そこは深追いすべきじゃないと俺は思うぞ」

「正体を暴いてどうこうしたかったわけじゃなくて……ただ、どうしても確かめたいことがあったんです」


ある日のユウレイラジオ放送終了後、隠神は放送室からDJユウレイが出てくるのを待ち伏せていた。

DJユウレイだって椰子木高校の生徒には違いないはずだ。番組が終われば、午後の授業に出席するために必ず放送室を出なければならない。だから隠神はほんの数分、放送室の入り口で待っていればDJユウレイに会えると踏んでいた。


「……ですが、会えませんでした」

「すれ違いになったのか?」

「あり得ません。その日は放送室前に設置されたスピーカーでユウレイラジオを聴いていたんですから。それなのに……放送が終わっても、五時限目のチャイムが鳴っても、放送室からは誰も出てこなかったんです」


どれだけ待っても回らない放送室のドアノブ。やがて隠神は、DJユウレイの身に何かあったのではないかと心配になってきたのだそうだ。例えば放送終了の直後、体調に異変をきたして身動きが取れなくなっているのではないかと。

放送室には鍵がかかっていた。しかしネガティブな想像にいても立ってもいられなくなり、隠神はその腕力で無理やり放送室の扉をこじ開けた! 人命救助のためとはいえ鍵まで壊して放送室に入った隠神は、そこで意外な光景を目にする。


「放送室は、もぬけの殻でしたよ。まるで始めから誰もいなかったみたいに」


ユウレイラジオのオンエア中から、隠神はずっと放送室を見張っていた。放送室の出入り口は一ヵ所しかなく、出てきた人間をうっかり見逃すなどということはあり得ない。

厳密にいうと、ラジオブースの前室には窓があるので完全な密室ではないのだが……我が校の放送室は三階にある。壁の配管を伝えば一階まで降りられないこともないが、放送室の出入りにそんなリスクを冒す高校生はいないだろう。

事実上、DJユウレイが隠神に見つからずに放送室を出ることは不可能に近かったといえる。隠神からすれば青天の霹靂だったろう。放送室にいるはずの人間が、忽然と消えてしまったのだから。


「あとから知ったんですが、私と同じようにDJユウレイの正体を確かめようする生徒はときどきいるみたいなんです」

「……でも、誰もDJユウレイの正体を掴めなかった?」

「はい。職員室からカギをくすねて放送室に入った生徒もいたようですが、結果は同じ。やっぱりDJユウレイは消えてしまったそうです」


どうもそれが「ユウレイラジオは地縛霊が放送している」なんてブッ飛んだ噂の発端らしかった。

今の今まで放送室にいたはずの人間が神隠しのように消えてしまった。いや、本当ははじめから放送室には誰もいなかったんじゃないのか。じゃあ今まで聞こえていた校内放送は一体誰が……?

その謎に説明をつけるべく生まれたのが、地縛霊が放送するラジオ番組――"放送室の幽霊部員"だったのだろう。


「私はDJユウレイが本物の幽霊だなんて微塵も思っていませんが、放送室から人が消えたのをたしかに見てしまっているんです。この現象、和泉ちゃんはどう思いますか?」

「待て待て隠神。認識が歪んでる。お前は『放送室から人が消えた瞬間』を見たわけじゃないだろ? あくまで『放送室に人がいなかった』のを確認しただけ。そうだな?」


隠神は少し考えて「そうです」と言ったが、その違いにピンときてはいない様子だった。しかしこれは非常に重要な確認作業である。

人が消えた瞬間を目の当たりにしたのと、人がいると思っていた部屋に誰もいなかったのとじゃ、雲泥の差だ。その大前提を間違えてしまったら解ける謎も解けない。


「いま聞いた話からの推測でしかないが……この場合、放送室には初めから誰もいなかったと考えるのが妥当だろうな。無論、地縛霊の仕業でもなんでもない。ユウレイラジオは単に『放送室以外の場所』から放送されているんだろう」


ユウレイラジオは全校に向けての校内放送。最も機材の充実した放送室からオンエアされているという先入観に囚われるのも無理はない。

しかし校内には、他にも放送用の設備が数箇所に存在する。例えば職員室や体育館、たしか旧視聴覚室にも放送用の機材があるはずだ。それらは放送室に比べれば簡素な設備だが、ユウレイラジオのようなトーク主体の番組を流すのには充分な配信環境だといえる。


「『消えた』んじゃなくて、はじめから『いなかった』?」

「人の気配を察知して放送室のどこかに隠れてたとか、窓や天井裏から外に出たって可能性もゼロではないが……まぁ、最初からいなかったと考えるのが妥当だろうな」

「それじゃあ、職員室や体育館を調べればDJユウレイに会えるってことでしょうか」

「……さっきも言ったが、本人が隠そうとしている正体を暴くのはいい趣味とは言えないぞ。どうしてそこまでDJユウレイの正体にこだわるんだ」


隠神はぽつりと「私、ユウレイラジオが好きなんですよ」と呟いた。


「好きだから、悔しいんです。"放送室の幽霊部員"なんてデタラメな噂でユウレイラジオが貶められていることが。大好きなものを馬鹿にされているみたいで、許せないんです」


淡々と話しているが、言葉の節々には怒りが滲んでいた。

ユウレイラジオの数少ないファンである隠神にとって"放送室の幽霊部員"は最も忌むべき百鬼椰行だった。その噂によって、ユウレイラジオは番組として正当な評価を得られなくなっているからだ。

俺も含めて、ほとんどの生徒はユウレイラジオを聴こうともしない。地縛霊が放送している、聴いたら死ぬ、放送室に近づいたら呪われる……"放送室の幽霊部員"から派生した風評の数々は、ユウレイラジオの聴取率に大打撃を与えていた。


「和泉ちゃんって、たしかチョコミント好きでしたよね」

「なんだ急に。まぁ好きだけれども」

「チョコミントって歯磨き粉の味がして不味くないですか?」

「なんだテメェ」

「それです、その気持ち」


隠神は「好きなものを他人に馬鹿にされるのって、気分が悪いじゃないですか」と言って、机からひょいと飛び降りた。どうやらそれが隠神がオバケを嫌う理由らしい。

"放送室の幽霊部員"などという怪談が出回っているせいで、まともに番組を聴いたこともない生徒たちがユウレイラジオを悪く言う。外野から好き勝手に言われるのは、好きでユウレイラジオを聴いている隠神にとって我慢ならないことだった。隠神はいわれのない中傷から、自分が好きなものを守りたかったのだ。


「だからDJユウレイの正体を気にしてたのか?」

「そうです。DJユウレイは地縛霊なんかじゃなく、生きた人間だってことを証明したくて……」

「それで出待ちをしてみたら、地縛霊説を後押しするような結果が出てしまったと」


隠神は「残念ながら」と言ってため息をついた。


「百鬼椰行にまつわるものを片っ端から破壊する、っていうのは何故?」

「どれだけ罰当たりなことをしてもピンピンしている私を見れば、呪いなんて存在しないってみんなに理解してもらえるでしょう? それで"放送室の幽霊部員"の噂も廃れるかと」

「ならどうして最初に"放送室の幽霊部員"じゃなく、"血涙のヴィーナス"を狙ったんだ?」

「壊しやすそうだったからです。さすがの私も、見えない地縛霊は殴れませんから」


隠神が本当に消し去りたかった噂は"放送室の幽霊部員"だが、この怪談には破壊すべきオブジェクトが存在しない。なにしろ形のない"音"の怪談なのだから。

そこで隠神はまず、物理的に破壊しやすそうな"血涙のヴィーナス"に目をつけたらしい。百鬼椰行にまつわるものを片っ端から破壊していけば、いずれ人々の怪談への興味が廃れるのではないかと考えたのだそうだ。実に気が遠くなる作戦である。

隠神のとった策が間違いなのは言うまでもないが、こちらとしては放送室を丸ごと破壊されなかっただけ幸いと思うことにしよう。


「……是非はともかく、お前が百鬼椰行を壊したい理由はわかった。ようはユウレイラジオの汚名を返上したいんだな?」

「そうです。和泉ちゃんが頭を使って解決してくれるなら、私は学校の備品を破壊しないと約束しましょう」

「備品を人質に取られてるみたいで気が進まないが……まぁいい。より良い学園づくりのため、百鬼椰行をなんとかしたいのは俺も同じだからな」

「さすがは和泉ちゃん。"放送室の幽霊部員"の嘘を暴いてくれたらお礼はしますよ、拳で」

「え? 俺、ボコボコにされんの?」

「間違えました。『お礼はしますよ、体で』でした」

「お前が言うと、その文脈でもボコボコにされそうで怖いな」


ユウレイラジオの放送終了から五分。午後の授業開始が迫っていることを告げる予鈴が鳴った。

俺は「礼なんかいらん。その代わり、俺のボディーガードとしてキリキリ働いてくれたまえ」と伝えて席を立つ。そのまま教室に戻ろうとしたのだが、隠神に「あぁ、ちょっと待ってください」と引き留められた。


「なんだ。授業に遅れるだろ」

「忘れるところでした。ちょっと目を閉じて口を開けてください」

「……毒物を放り込むなよ」


隠神に力で敵うわけもなし、下手に逆らうと授業に遅れそうだったので素直に従うことにした。ごそごそ、かさかさ、隠神がなにかを弄っている音がする。

それからすぐに、まぬけに開け放たれた俺の口にひんやりした固形物が放り込まれた。本当に毒物ではあるまいな、と警戒しつつ、舌でそれを探ってみる。ふわ、とミントの風味が鼻を抜けていった。


「……歯磨き粉の味がして不味い、って言ってなかったか?」

「あれは例え話です。私もチョコミントは好きですよ」


目を開けると、隠神がニンマリと笑みを浮かべていた。左手にはターコイズカラーのチョコレートの包み紙がつままれている。

甘ったるいチョコミントを口で溶かしながら「礼はいらないんだってば」と言うと、隠神は「これはお礼じゃなくて、お詫びですよ」と返した。


「好きなものを馬鹿にされるのって、気分が悪いじゃないですか」

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