壁になった女の子①

我が校の生徒会は、会長と副会長の二名のみで構成されている。ゆえに俺と隠神で生徒会のフルメンバーということになるのだ。

書記や会計が存在しない原因は、隠神にあった。実は俺の会長就任が決まった時点では役員志望の生徒が数名いたのだが、副会長が隠神だとわかるやいなや一人残らず辞退してしまったのである。

真面目な生徒たちはみな"椰子木の怪物"と呼ばれる隠神に怯えきっているのだ。……まぁ隠神を副会長に指名したのは俺なので、こんな寂しい生徒会が生まれた真の原因は俺ということになるのだけれども。


"学校一の問題児"として悪名高い隠神を生徒会副会長に指名したのには、いくつかの狙いがあった。

最大のメリットは、俺自身が隠神を近くで監視できるということだ。ちょっと目を離すと常軌を逸した行動をとる隠神だが、あれで意外と話の通じる奴ではある。だから俺が近くで見守ってさえいれば、取り返しがつかない問題を起こす前に止められると思ったのだ。

そしてもうひとつの狙いは、隠神伊予という人間のイメージを改善すること。隠神は紛れもなく問題児だが、決して悪人ではない。少なくとも俺はそう思っている。しかし周囲が必要以上に恐れているせいで、隠神の悪評はどんどん増長している節があった。やれ実家が極道だの、やれ少年院を脱獄しただの、やれ暴走イノシシを素手で止めただの……あ、暴走イノシシは実際にあった出来事だったか。まぁそれはともかく。

副会長としてより良い学園づくりのために汗を流せば、隠神にまつわる風評被害も払拭できるのではないかと期待したのだ。隠神は常識を身につけ、周囲からの評価は高まり、いいことづくめというわけである。

……が、実際には隠神は学校をサボってばかりで、滅多に生徒会室まで来やしねェ。書記や会計はおらず、副会長は仕事をしない。おかげで我が生徒会は事実上、俺一人で運営せざるを得なくなってしまっていた。


「で、久々に生徒会室に来たと思ったらこれか」


生徒会室の長机を並べてくっつけて、隠神はそれをベッド替わりにして寝転がっていた。とてもじゃないが、全校生徒の模範たるべき生徒会副会長のやることとは思えない。いやまぁ、今さらなんだが。

ぶっちゃけ寝ていてくれる分には暴れられないだけマシなので、俺はこれといって注意もせずにパイプ椅子に座った。


「せっかくのお昼休みぐらい、リラックスして過ごさなきゃ損でしょう」

「百鬼椰行の調査をするんじゃなかったのか?」

「しますとも。ただ、先にひとつ確認しておきたいことがあるんですよね」


ビシ! と隠神に人差し指をさされた。指された、ではなく、刺された。ほっぺたが痛い。


「和泉ちゃんって、クッソ臆病ですよね?」

「……はぁ? なんなんだ急に……ってか、人を刺すな。物理的に」

「私から話を持ち掛けておいてなんですが、あのあと気づいたんですよ。和泉ちゃんって死ぬほどチキンなのに、百鬼椰行の調査なんかできるのかな? って。本当はオバケが怖くてたまらないんじゃないですか?」

「はっ、バカ言え。俺は全校生徒の模範たるべき生徒会長だぞ? オバケなんていう非科学的なもんに怯えるわけがないだろう」

「じゃあ聞きますが、さっきから和泉ちゃんの背後に立ってる血まみれの女性は誰ですか?」

「ひゃんッ!?」


つい、甲高い悲鳴をあげてしまった。あまつさえ勢い余って椅子から落ち、俺はロッカーに思いきり頭を打ち付けた。


「ぐおおおおお……頭打った……!」

「う、そ、です。背後には誰もいないので安心してください」

「おまっ……お前ぇぇ……! し、心臓が止まるかと思った……」

「その有様でよく『オバケなんかに怯えるわけがない』って言い切れましたね」


地べたに這いつくばる俺を、隠神が呆れたような顔で見下ろしてくる。ああそうさ、隠神の言う通りだ。俺は臆病者である。それも、自分でも嫌になるほど筋金入りの。

幽霊・妖怪・怪異・悪魔・その他諸々の怪奇現象。いわゆるオカルトの類が、俺は昔から大の苦手だった。何を隠そう、俺が全力でオカルトを否定するのは、オバケが怖くて怖くてたまらないからなのである。

ようは「オバケなんていない」と自分に言い聞かせていなければ平静を保てないのだ。オカルトを科学的あるいは論理的に否定するために勉強し、理論武装した。蟷螂坂が持ち込む怪談を即座に否定できるのは、その努力の賜物なのである。


「……よくぞ見破ったな、隠神。そうさ、俺はオバケが怖いのさ。笑わば笑え!」

「いえべつに面白いわけでは……やっぱり昨日の"血涙のヴィーナス"のときは強がってたんですね」

「正直、ヴィーナス像と目が合った瞬間に気絶しそうだったわ。でも耐えた、長男だから」

「涙ぐましい……」


よろよろと立ち上がり、倒れた椅子を起こして座りなおす。嘘なのはわかっているが、まだちょっと怖いのでちらりと背後を確認してみたりもした。よかった、何もいない。

隠神もむくりと起き上がって、机の上に座りなおしていた。そして「和泉ちゃん、オバケなんて信じるタイプだったんですか?」と聞いてきた。


「いや、信じてはいないよ。これは本当に」

「オバケを信じてない人のそれとは思えないほどダイナミックな怖がり方でしたけど。小3女子みたいな悲鳴でしたよ」

「信じてなくても、怖いものは怖い。そんなもんだろ。ホラー映画やオバケ屋敷だって、作り物だとわかってても怖いんだから」


もはや臆病なのは認めるが、俺がオカルティックなものの存在に否定的なのは本当だった。が、それとこれとは話が別だ。

幽霊だなんだというものは、いないとわかっていても怖いから厄介なのである。だからこそホラー映画やオバケ屋敷といったビジネスが成り立つのであって。人間、そう簡単に恐怖心のスイッチはオフにできないものなのだ。


「……その有様で本当に百鬼椰行の解決なんてできるのか、と疑いたくなる気持ちもわかる。だがしかしだ。俺には秘策がある」

「ほう。秘策ですか」

「それはお前だ! 隠神!」


ビシ! と隠神に指をさす。さっきの仕返しにデコをブッ刺してやろうかと思ったが、近づけた人差し指をあっけなく握り返されてしまった。反射神経の化け物め。


「昨日、言っただろ? お前にもちゃんと手伝ってもらうからな、って」

「言われたからここへ来たんですけど。具体的に、なにを手伝えばいいんですか?」

「聞いて驚くなよ隠神……お前の役割は、この俺のボディーガードだ! 俺をオバケから守ってくれたまえ!」


俺の人差し指を握ったまま、隠神は「……ほう?」と、わかったような、わかっていないようなリアクションをとっている。


「……つまりアレですか? 怖いから一緒についてきて~……的な?」

「わかってるじゃないか。平たく言うと、まさにそれだ」


恥も外聞もあったものではないが、俺の秘策とはつまり「一人で調査するのは怖いから隠神についてきてもらう」という作戦だった。

あえて悪く言うなら、オバケ怖さに女子を盾にしようというのである。我ながら、実にカッコ悪い。実にカッコ悪いが、そうでもしなきゃ臆病な俺に心霊スポットの調査なんか絶対不可能だった。


「お前もオバケが嫌いだとか言ってたが、べつに怖いわけじゃないんだろ?」

「怖くはないですね、キライなだけで。ニンジンやピーマンと一緒です」


さすがの俺も普通の女子にこんなことを頼んだりはしないが、隠神だけは別だ。見よ、この溢れんばかりの自信を。オバケと緑黄色野菜を同列に語るこの女を。

たとえ本物のオバケが出たとしても平然とブッ飛ばしてくれそうな信頼感がある。敵にすると厄介だが、味方にすると頼もしい人材とはこういう奴のことを言うんだろう。


「バレてるようだから言うが、俺はちょっとだけ怖がりなんだ」

「ちょっとだけ?」

「正直、一人じゃ学校のトイレに入るのも怖い」

「よく三年生までこんな学校で生き抜いてきましたね」

「危ないから、調査中は絶対に俺のそばから離れるなよ? 何かあってからじゃ遅いんだからな」

「守ってもらう側がそういうセリフを言うパターンってあるんですね」


そもそもこれは隠神に要求されて始まった調査なのだから、言い出しっぺにも役立ってもらわねば困る。

第一、俺はなるべくなら怪談なんてものに関わりたくはないのだ。ここで隠神が「嫌だ」と言えば、俺は百鬼椰行の解明なんてこの場で投げ出してやるつもりでいた。


「……まぁいいでしょう。私は和泉ちゃんを守ればいいんですね」

「そういうことだ。もし万が一オバケが出ても俺を置いて逃げるなよ、絶対だぞ」

「どうして逃げる必要があるんです。オバケなんてボコボコにして冥界に送り返してあげますよ」

「頼もしッ」


隠神が拳を前に出す。ぶおん、と風を切る音がして、俺の前髪がゆらりと揺れた。相手がゾンビやスケルトンなら一撃で吹き飛ばせそうな迫力である。


「というか隠神よ。どうして怖くもないのにオバケが嫌いなんだ?」

「それはですね……って、ああッ!?」


ちらりと時計を目にしてから、隠神が大きく声を張り上げた。時刻は十三時十三分。昼休みの真っ只中である。


「もうこんな時間じゃないですか! 和泉ちゃん、生徒会室って校内放送鳴らないんですか!?」

「いや、鳴らそうと思えば鳴るが。普段はスピーカーを切ってるんだよ」

「ちょ、じゃあ早くつけてくださいよ! とっくにユウレイラジオ始まってるじゃないですか!」

「ユウレイラジオ……?」


椰子木高校の各室に設置された校内放送用のスピーカーは、入り口脇に設置されたスイッチから簡単にオンオフできる仕組みになっていた。

教室では常にオンにすることが推奨されているが、部室や特別教室では必要に応じて消してもよい。この生徒会室の場合、書類仕事に集中できないからという理由で基本的にはオフにしていた。


隠神に急かされて、スピーカーの音量メモリを右に捻る。ざざっ、ざかっ、といくつかの雑音。それからすぐに男子生徒の笑い声が流れ出した。

ざらっとした低音質。やたらハキハキとした男子生徒の話し声。そこでようやく、ああ、ユウレイラジオってこれのことか、と思い出す。平日お昼に放送されている我が校の自主製作番組。ユウレイラジオとはその番組名である。

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