鰥寡孤独
三鹿ショート
鰥寡孤独
世話焼きの両親は、最近になって引き越してきた女性のことが気になっているらしい。
この土地に住んでいる人々は、施錠の必要が無いほどに互いを信頼し、それぞれがどのような人生を送ってきたのかについて知っているのだが、彼女だけは異なっていた。
引き越してきた際に、近所に挨拶をしただけで、彼女は他の人間と交流しようとしていなかったのである。
ゆえに、彼女の外見と名前以外について、知っている人間は皆無といって良いだろう。
他者を寄せ付けることがないその態度に、近所の人々は腹を立てていたために、私の両親が庇っていなければ、村八分に遭っていたに違いない。
赤の他人であるにも関わらず、それほどまでに彼女のことを心配している両親に感化されたのか、気が付けば私は、彼女の自宅の前に立ち、呼び鈴を鳴らしていた。
顔を出した彼女に、私は努めて笑顔を作りながら、酒瓶を掲げた。
酒が入れば、他者との交流を避ける理由について口を滑らせるだろうと考えたのだが、彼女は酒を飲むことはできないと頭を下げると、家の中に戻った。
酒瓶を片手に、私は己の浅慮さに気が付いた。
親しくも無い人間を家に入れ、それに加えて酒を飲むなど、自分が同じ立場だったのならば、受け入れるような状況ではない。
私の両親ならば良い方法を思いつくことだろうと考えながら、私は自宅へと戻った。
***
ある日、近所に住んでいる男性が、不審な男性がうろついているという情報を伝えにやってきた。
家々を覗き、目が合うと笑顔で挨拶をしてくるが、それ以上の会話を続けようとはしないらしい。
誰かを探しているのだろうかと、私と両親は揃って首を傾げた。
***
夜道を散歩していたところ、見覚えの無い男性と彼女が森の中へと入っていく姿を目にした。
おそらく、男性は噂になっている不審者だろう。
二人の様子が気になったために尾行をしたところ、やがて開けた場所で、男性が彼女に対して怒鳴っている姿を目撃した。
感情的な男性に対して、彼女は無言で俯いている。
静寂に包まれているために、私は男性の言葉を聞くことができた。
だが、それは聞くべきではない内容だった。
私は踵を返すと、足音を立てないように自宅へと向かった。
***
翌日、私は彼女の自宅へと向かった。
昨夜の男性とのやり取りについて話したところ、彼女は目を見開いた。
そして、私の手を握ると、首を左右に振った。
「口外しないでください」
彼女の震えが、私の手から伝わってくる。
勿論、彼女の秘密を明かすような真似をすることはない。
同時に、見返りを求めることもなかった。
私が何かを求めれば、彼女は迷うことなく私に応ずるだろうが、弱者に鞭を打つような真似をするほど、私は零落れていない。
誰にも明かすことはないと告げると、私は自宅へと戻ることにした。
私の姿を確認することができなくなるまで、彼女は此方を見つめていた。
***
彼女が往来に姿を見せるようになったのは、おそらく私のことを監視するためだろう。
あれほどの秘密を知りながら、私が何の見返りも求めなかったということが、よほど信じられなかったに違いない。
これまでとは異なり、近所の人間に対して愛想よく振る舞っていることは喜ばしいことだが、理由が理由であるために、私は素直に喜ぶことができなかった。
***
森から男性の死体が発見されると、当然ながら、騒然と化した。
その死体がくだんの不審者であるということを知ったとき、私は彼女を疑った。
何故なら、くだんの男性の存在を疎ましく思っている人間は、彼女だけだったからだ。
この土地に住んでいる人間からすれば、くだんの男性は単なる不審者であり、警戒はするものの、その生命を奪うほどの相手ではないのである。
ゆえに、男性の死について、私は彼女に問うた。
私の疑問に対して、彼女は己の罪を認める発言をした。
どのような理由が存在しようとも、他者を殺めるという行為は罪深いものだが、彼女の事情を知れば、誰もが同情することだろう。
それでも出頭するべきだと告げると、彼女は首を左右に振った。
「私に対する彼の仕打ちが責められることがないにも関わらず、何故私が責められなければならないのでしょうか」
涙を流しながらそのような言葉を発した彼女に対して、私は返す言葉が無かった。
無言と化した私を突き飛ばすと、彼女は自宅の中に戻り、姿を見せることがなくなった。
それから数年が経過したが、くだんの男性を殺めた犯人は捕まっていない。
***
何時の間にかこの土地から姿を消していた彼女から、手紙が送られてきた。
私が全てを口外していないことに感謝の言葉を述べ、自身が他の土地で元気に生活しているということが書かれていた。
しかし、相変わらず孤独に生きているらしい。
おそらく、彼女は他者と交流することで、自身の汚れが伝染してしまうのではないかと恐れているのではないか。
だからこそ、彼女は一人で生きることを選んだのだろう。
私は、手紙だけでも彼女と交流を続けようと決めた。
たとえ祖父と母親が愛し合ったことで彼女が誕生し、そして祖父から肉親に向けるべきではない愛情を注がれ、そしてその祖父を森の中に埋めたとしても、それらに目を向けなければ、単なる文通相手だからだ。
鰥寡孤独 三鹿ショート @mijikashort
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