第4話 椎名君との会話
そういえば、昔、一時期であるが、
「自費出版社系」
と呼ばれる会社があった。
その会社は、実際には、
「詐欺商法」
の一種であったが、やり方は、意外といいところをついていたのだ。
「小説家になりたい」
「本を出したい」
という人の夢を叶えるというところから始まったのだが、実際には、その考えを無視するようなやり方になったのが、無理なところであった。
当時、素人が作家になりたいとか、本を出したいということになると、方法は2つだった。
一つは、出版社系の新人賞で入選するという、王道の登竜門を突破するというやり方か?
もう一つは、正面突破で、実際に原稿を持ち込むというやり方であった。
しかし、出版社系の新人賞は、なかなか難しい、もし、入選し、次回作を書けるチャンスをもらったとしても、それがなかなかできないのだ。
一つの理由としては、
「新人賞を取るために、その力を使い果たした」
と思い込んでしまうことであった。
実際にそうなのかも知れないが、そこで燃え尽きるようでは、原稿を書き続けなければいけない作家になれるはずもない。
ましてや、
「これまでは、自分の好きなように書いていたが、今度はプロとして、相手の望むものを書かなければいけないというジレンマに襲われる」
ということである。
しかも、締め切りにはシビアで、自分の意志にそぐわない作品を書けと言われてのジレンマに、耐えていけるかどうかということも大きな問題ではないだろうか?
もっとも、小説というのは、俳句や短歌のように、
「文字数が決まっていたり、季語が必要だ」
というものではない。
「ただ、面白い作品を書けばいいのだ」
ということなのだが、
「そもそも、面白いって、どういうことなのか?」
ということになるのだ。
日本語というものは、おかしなもので、同じ言葉であっても、まったく違う意味になったり、正反対の意味で捉えられたりもするものだった。
たとえば、ここで出てきた、
「おもしろい」
というのも、
「興味がある」
という意味のものであったり、
「楽しい。愉快な。あるいは、笑えるような」
というような意味のものもある。
また、まったく別の意味で、
「正常ではない」
というような、
「おかしな」
に近いイメージで使われるようなこともあるのだ。
実に面白いといってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、
「面白い作品というのは、かなり幅が広い」
といえるだろう、
「興味が湧くもの」
という意味でもあれば、
「笑えるような楽しい作品」
という意味もあるし、ホラーやオカルトであれば、
「より恐ろしさを感じさせる作品」
ということもできる。
だから、面白いという言葉だけでは解釈が難しい。
特に、幅が広い要求を突き付けられるということは、ある意味、
「自由に何を書いてもいい」
ということになるのだろうが、逆にそういうことであれば、
「言い訳は一切効かない」
といってもいいだろう。
「こっちは、自由にやらせているのだから、締め切りが守れないとか、面白い作品を作れないというのは、プロとして失格だ」
と言われているのと同じだ。
それなら、SFとかであれば、
「宇宙もの」
であったり、
「タイムマシン系」
と言ったような、ジャンルの中でも、細分化された要望で会った方が、まだまとめやすい。
新人賞などでは、結構幅が人いが、まだデビュー前なので、いくらでも、策を巡らせることができるというものだ。
それを思えば、
「新人賞の傾向と対策は自分で考えなければいけないのだが、攻略という意味で、楽しみでもある」
といえるだろう。
しかし、それがプロということになると、考え方が変わってくる、
「新人賞を取ったことで、得たものも大きいが、それ以上に、失ったものも多かったといってもいいかも知れない」
といえるのではないだろうか?
新人賞を取ったことで、本当に気が抜ける人もいるだろう。
中には、
「俺はこれが限界だ」
と分かっている人もいるだろうが、
「先生」
と言われ、
「読者が待っている」
とまで言われると、
「俺は無理かも知れない」
と思っているにも関わらず、
「やるしかないんだ」
と、前しか見ることができなくなってしまうと、本当は、先のこちっが見えているわけではないのに、
「俺だったら、見えるんだ」
と思い込んでしまうことで、ロクなことにならないと思うことだろう。
そこで、大きなジレンマに襲われ、作家になることと、本を出したいということのどちらを目指していたのかすら分からなくなってしまうようで、ある意味、
「プレッシャーに押しつぶされる」
という人が多いのではないだろうか?
持ち込みの場合は、それ以前の問題で、原稿を持ち込んだとしても、受け取ってはくれるが、作家は編集者を出た時点で、原稿はゴミ箱行きだ。
今だったら、プリントアウトした作品なので、原稿はパソコンに残っているだろうが、昔だったら、せめてコピーでもできればいいだろう。
だから、ある意味、
「血税」
という言葉を引用すれば、
「血原稿」
といってもいいだろう。
それを容赦なくゴミ箱行きなのだ、
「それなら、受け取らずに突っ返してくれる方がマシかも知れない」
昔はそんな時代だったのだ。
しかし、
「自費出版社系」
の出版社は、原稿を送れば、キチンと内容を見てくれる。
その証拠に、ちゃんと批評した内容を、郵送でお繰り返してくれるのだった。
しかも、その内容が憎いくらいの演出なのだ。
まず、最初に欠点から、書く。
というのも、いいことばかりしか書いていなければ、完全にウソっぽいではないか。
しかし、彼らは、最初に欠点を指摘してきて、
「欠点もあるが、長所は欠点を補って余りある」
というような書き方をして、褒めちぎってくるのだ。
最初に落としておいて、後で持ち上げるという効果を狙うのと、ウソっぽさを払拭するための技法という一石二鳥、いや、それ以上の効果をもたらすことで、作者は信じ込んでしまうのだ。
しかも、その頃には、
「持ち込み原稿は、ゴミ箱に捨てられるだけ」
ということは、
「公然の秘密」
でもあるかのように、知れ渡っていた。
そうなると、出版社系の会社に対しての信頼度は薄くなり、自費出版社系が、
「正義である」
とでもいうかのように持てはやされるようになると、今度は、マスゴミが放ってはおかない。
「最近話題の、本にしませんかという触れ込みの出版社が注目を浴びております」
などという宣伝で、また原稿がどんどんくる、
さらに、評論家などが、あたかもとでもいうように、自費出版社系を擁護すると、誰もが信じることだろう。
そもそも、マスコミの宣伝も、評論家に語らせるというやり方も、
「金を使うことで、宣伝してもらう」
という、宣伝広告費の予算に組み込まれていることだろう。
そんな自費出版会社が、ピークを迎えてから、あっという間に、倒産にまで至ることになったのは、さすがに詐欺というのが分かってきたからだろう。
「有名書店に、一定期間並ぶ」
という触れ込みで、
「作者と、出版社の双方で金を出すという、共同出版」
という形で本を出した時の条件に、
「有名書店に、一定期間並ぶ」
というものであったのだ。
高い金を出して出した本が実際に並んでいないことが分かると、弁護士に相談するだろう。すると、弁護士も、
「最近そういう話をよく聞く」
となると、被害者が共同で訴訟を起こすようになる、
そもそも、宣伝費と人件費がかさむことで、火の車の自転車操業を行うしかない会社が、命綱の、本を出したい人、つまり、会員のような人がいなくなれば、その時点で、もうダメなのはわかり切っていることだ。
そんな出版社に疑問を抱いた人が、一度、編集者と話をした時、相手がキレたことがあったといっていたのだ。
というのが、
「何度原稿を送っても、共同出版しか言ってこないので、自分は、出版社が全額出すという企画出版に掛けたいと思っている」
というと、編集者は、
「今までは私の力で編集会議に掛けていたので、共同出版の話もあったが、今度は、その会議にすらかからないがいいか?
ということであった。
その人は、
「これは怪しい」
と思い始めて、
「いいですよ。私はあくまでも、企画出版を目指します」
というと、相手が完全にキレて、
「企画出版というのは、有名人でないとありえないことです。有名人というのは、芸能人などの著名人か、犯罪者のように名前の売れた人だけだ」
という本音が出たようだ。
こっちもそこまで言われると、喧嘩腰になり、電話を切ったが、その人は、その時、
「ああ、やはり、完全な詐欺なんだな」
と思い、よくよく考えると、カラクリが完全に見えてきたということであった。
当然のごとく、裁判では敗訴し、似たような出版社も同じような末路を描き、あっという間に、
「自費出版社ブーム」
は、消えてなくなったのだ。
最後の、
「本を出せるのは、有名人で、芸能人か、犯罪者しかいない」
というのを聴いた時、
「何言ってるんだ。皆にチャンスはあるからといって、おだててきたのは、どっちだ?」
と言いたかった。
そして、続けるとすれば、
「まるで、出来レースじゃんか」
という思いであった。
なるほど、確かにそう考えると、もう一つ胡散臭いことが頭に思い浮かぶものがあった。
これを認めてしまうと、
「出版界は、出来レース、あるいは、バーターのようなものしかなく、素人であれば、まったく望みがない」
ということを言われているのと同じであった。
要するに、
「出版社系の新人賞も、あれだって、出来レースなんじゃないか?」
ということである。
まだ実力のある出来レースだったら、まだしも、まさかとは思うが、
「裏口入学的なものだったら」
という考え方もあるのではないだろうか?
たとえば、昔、
「替え玉受験」
というのもあったくらいで、今であれば、
「本人確認もしていないのか?」
ということである。
あの時、本人確認についての問題も上がったのかどうか分からないが、特に今だったら、
「個人情報保護」
という観点もあり、
「本人確認というのは、絶対に必須だということは、誰が考えても分かることである」
といえるだろう。
どちらにしても、今と昔では、そこまで違っているということであり、
「昔がよかった」
とか、
「いや、今の方がいい」
などということは、一概には言えないのではないだろうか?
そんなことを考えると、
「今の大学生を見ていると、だいぶ、自分たちの頃とでも、かなり違うのではないか?」
と感じるのだった。
椎名君に、
「椎名君は、何を目指して勉強しているんだい?」
と聞くと、
「ハッキリと、何かを勉強したいということではないんだけど、大学に入れば、何を勉強したいのかというのが分かりそうな気がして」
というではないか。
自分たちの時にもそういう学生はいただろうが、それを聞いた時、ちょっとショックではあった。
自分もハッキリ何になりたいというわけではなかったので、何も言えないが、勉強をしようとすると、自分が何をたりたいのかが見えていた気がした。それを、椎名君に話すと、
「いや、それでも、ピンとこないんですよ。勉強しているという意識はあるんですが、それが、どこに繋がっているのか分からない。きっと、自分なりに、どこかで急にリアルな心境になるんじゃないかって思うんですよ」
というのだった。
「十年ちょっとで、こんなに違うんだろうか?」
と感じたが、それだけ、20代が結構、長かったような気がするのであった。
曖昧なことをいう椎名君だったが、見ている限りでは、芯がしっかりしているように思えた。
話を聴くと、どうやら、精神的なところが不安定だという。病院で薬を処方して飲んでいるのだが、どこか精神喪失症的なところがあるが、それに気づいたのは、
「物忘れが激しいこと」
だという。
ただ、だからと言って、学業に影響するものではなく、逆に、余計なことを考えない分、勉強はすればするほど、身につくのではないかというのが先生の見解だという。
「だから僕はあまり難しいことを考えず、今は先生を信じて、毎日を過ごしている感じです」
と言った。
だから、将来何になりたいかということも、最初から決めつけず、次第になりたいものや、目指すものが見つかるだろうというのが先生の見解だという。
そういう意味で、何を目指すかということを、曖昧でもいいから、漠然とでも考えていればそれでいいということだった。
最初から、一つしか目指すものがなければ、集中すればするほど、気が散るようになって、自分の目指していたものが分からなくなる。それが、彼にとっての、一番の問題だということであった。
大学の勉強は、結構ややこしいところが、専門だという。
しかし、それは、自分の能力に十分当て嵌まるものだから、問題ではない。今のところの問題とすれば、
「対人関係で、ふとしたことで受けるショックが、立ち直れないようなことになれば、感情が錯乱してしまい、想定外のことを起こすのではないか?」
と言われているのだった。
刑部も、大学時代、自分から難しいところに手を出して、結局、出口が分からず、その道に進めなかったことで、一般企業への就職となった。
だから、椎名君のように、
「自分のことを分かっているがゆえに、精神喪失に近づいている」
という人がm案外と多いという。
「そもそも、他に言いようがないから、精神喪失という言い方にしかならない」
といっているだけで、実際に、重大な病気なのかも分からない。
幼児が、落ち着きのない態度を取って、何を考えているのか分からないが、行動パターンは、
「頭がよくなければ、できるものではない」
と言われるものであった。
そんな時、医者は、
「自閉症の一種」
と言ったのだ。
母親はビックリして聞き返す。
「この子は、ハッキリとした意思を持っていて、それに伴って行動しているのに、自閉症というのはどういうことなんですか?」
と聞くのだった。
「他にいいようがないからですね。お子さんが自分をいかに表現していいのかどうか、わかっていないわけなんです。だから、表に出す気持ちを持っていながら、まわりが分かってくれないという意識から、せっかく抱いた気持ちを内に籠らせる。それを一種の自閉症という言葉で表すことになるんですよ」
ということであった。
だが、その病気は、気がつけば治っていた。いつしか、冷静になっていて、誰よりも、自分のことが分かるという意識を載っているわけである。
だから、椎名君にも、
「心配しなくてもいい。気が付けば治ってるよ」
と言ってやりたいのだが、主治医でもない自分に何の権利があるというのか、精神的な病気というものが、いかに曖昧で、説明がしにくいものなのかということを考えれば、今の椎名君の態度や医者が見ての考え方であれば、それほど心配することもないような気がしていた。
「僕は、自閉症と言われるのが、一番分からないんですよ」
というが、まさにその通りだろう。
「まったく正反対の意味でも、一周回って、同じ言い方をするということもあるというののだ」
と、いえるのではないだろうか?
椎名君と話をしていると、いろいろなことを教えられる気がしてくるのだった。彼はその気はないのかも知れないが、自分の思いが相手に伝わっている時というのは、意外と意識しないものなのかも知れない。
「俺の思いが伝われる」
と思ったり、
「相手が何を考えているか、意地でも知りたい」
などと思っていると、意外とうまく本音が伝わることはないのではないだろうか?
椎名君は、結構話をしていると、時々、話が飛んでしまうことがあり、
「精神喪失症なのかな?」
と考えてしまうことがあった。
だが、それよりも、もっと気になったのが、
「思ったよりも、勧善懲悪のところがあるな:
と感じたことだった。
彼のように、おとなしくてまわりと話がうまくできない人は、一歩下がって、結局何も言えなくなるものなので、自分で抱え込んでしまう人が多いだろう。
そうなると、抑えられない気持ちが、体調に及ぼす影響がどうしても出てきて、自分では抑えが利いているつもりでいても、実際には、何もできなくなってしまうということは得てしてあったりする。
それが、自己嫌悪につながったり、疑心暗鬼に繋がったりすることで、
「どれが本当の自分なのだろうか?」
と考えるようになるのだ。
そうなると、余計に自己嫌悪、疑心暗鬼という、一見正反対の感情が入り混じってしまい、二進も三進もいかない、
「前にも後ろにも進むことができない」
ということになってしまうのだろう。
「つり橋の上で、足がすくんで動けない状態に似ているかも知れない。あなたなら、前に進むか、後ろに戻るか、どっちですか?」
というようなことを、別の話の時に、椎名君が言っていたのを思い出した。
刑部は、
「せっかく、そこまで行ったんだから、前に進むんじゃないかな?」
というと、
「この設定は、あくまでも、吊り橋の中心、本当の中心まで来た時、来た道を戻るか、先に進むか? という発想なんですよ」
と再度念を押された。
「じゃあ、椎名君、君ならどうするんだい?」
と聞くと、彼は、少し考えながら話をしたが、見ている限り、明らかに、考えは最初から固まっていたようにしか思えない。
そうでなければ、他人に聴けるような性格ではないだろうと思ったからだ。
「僕の場合はですね。先には進みません。絶対に前に戻ると思います」
というのだった。
「どうしてなんだい?」
と聞くと、
「だって、その橋を怖い思いをして渡るわけでしょう? 帰り道が別にあるのであれば、それはそれでいいんだけど、もし、それがないのだとすれば、結局、また同じ道を通らなければいけない。となると、もう一度勇気を振り絞らなければいけないわけでしょう? 普通ならそれでいいのかも知れないけど、帰りがけは事情が変わっているかも知れない。まわりが真っ暗になっているかも知れないし、風がメチャクチャ強いかも知れない。もっといえば、行きの人数よりも帰りが込み合っていて、許容人数以外の人でごった返したとすれば、下手をすれば、吊り橋がもたずに、皆、奈落の底に転落するということになるかも知れない。僕はそこまで考えるんですよ。ただ、帰りがけも同じ怖い思いをしないといけないということを、どうして誰も思わないんだろう? っていうのが、一番の疑問なんですけどね」
というのだった。
それを聴いて、最初に感じたのは、
「そこまで神経質になる必要あるのか?」
ということであったが、次の瞬間には、
「そうだよな。確かに彼の言う通りだ」
と思ったのだ。
こんなに一瞬にして、前の考えを一気に打ち消すようなことは、今までにはなかった気がする。
「これが、椎名君という人間の考え方なんだ」
というよりも、
「こんなことを考える人間がいるんだ」
という、一歩進んだ考えに至ったことは、ある意味、新鮮なインパクトがあったのだった。
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