第3話 引っ越し

 つまり、猜疑心が強かった人間が、そんなに簡単に人に慕われるような人間になれるわけはない。それは自分だけの問題ではなく、皆がそうではないだろうか?

 しかし、皆、誰かを中心に、一つの輪ができていて、誰もがその輪の中にいたいと思うことだろう。

 だが、それには、今までの自分では自信がないのだ。どうすればいいのか?

 ということを考えると、高校時代と違い、

「皆がオープンで、最初から友達に慕われているように見えるのは、なぜなのか?」

 ということで、それが、

「友達の数ではないか?」

 と思われた。

 というのも、友達の数を見ていると、

「よくもあれだけの数の友達に対して、同じように接することができるな」

 と考えたのだ。

 実際は、ピアノ線のように、見えるか見えないか分からないほどの細い糸で結びついているだけなので、その線が実際に見えていないので、

「まるで魔法使い」

 とでもいうように見えるのだった。

 その薄さがそのまま、友達関係ということであり、つまりは、

「毎朝、ただ挨拶を交わすだけ」

 という本当に薄っぺらい関係でしかないということに気づかない。

 何しろ、それだけ自分に自信がないということは、人を見る目もないということであって、実際によく見てみると分かることが、完全にピアノ線が見えないのと同じで、思い込みの激しさが、まったく視界を遮ってしまっているのだろう。

 そんなことを考えると、

「友達なんて、いらなかったのではないか?

 と考えるようになった。

 しかし、それを考えるようになった時、すでに大学を卒業していて、本当であれば、入学してから、挨拶を交わすだけの友達、ただの顔見知りを合わせれば、友達は、百人以上いたことだろう。

 しかし、卒業の頃になると、もう挨拶だけの友達とは、挨拶すらしなくなった。

 それは、

「意識して」

 ということではなかった。

 意識をしていない中で、相手もこちらも、いつの間にか挨拶をしなくなった。

「挨拶をしなくなった」

 ということすら、意識がない。

「友達じゃなかったんじゃないか?」

 と思ったのかも知れないが、意識としては、離れたという気持ちはないのだった。

 それが、

「冷めてしまった」

 ということになるのか、

「気が付いてしまった」

 ということになるのか、自分でも分からない。

 ただ、

「これでよかった」

 という意識はあり、その思いが、大学時代にはなかったのだ。

 いや、挨拶すらしなくなった気がしていたが、それは、

「面倒くさくなった」

 ということではないかと思うだけだった。

 挨拶というものが、どういうものなのか、少なくとも、友達という感覚を挨拶で証明しようとするには、何が証明されるというのか、わかるわけではなかった。

 社会人になって、

「学生気分のままでいてはいけない」

 と言われてもピンとこなかったのは、

「すでに、学生気分が抜けていた」

 ということだったからなのかも知れない。

 この新しいマンションに引っ越してきた時は、やはり、一番の望みは、

「閑静で、気分的な余裕のある快適空間」

 であった。

 そんな快適空間が、このあたりにはあり、

「引っ越してきてよかった」

 と、引っ越しの決断を本当に自分の手柄だと思っていた。

 その頃は、ここの入居者は、それほどいるわけではなかった、その証拠にマンションの入居者は、部屋の割には、半分にも満たなかった、その理由を考えると、

「やはり、都心部からの遠さと、駅からマンションまで、徒歩で30分近くというのは、ネックだったのだろう」

 と思うのだった。

 電車に乗ってから、都心部までにも、約30分。通勤エリアとしては、ギリギリというところであろうか?

 東京は大阪などに住んでいる人からすれば、

「1時間なんて、十分許容班にだ」

 というかも知れない。

 しかし、あれだけインフラが発達していて、電車の本数も、線も入り組んでいるほど多いのだ。どこかで人身事故でもあれば、迂回して通勤すればいいところは違った。

 もっとも、迂回しなければならなくなれば、混み方はハンパではなく、下手をすれば、出勤断念もありえるだろう。

 しかし、中途半端な都会であれば、いつもの路線で、人身事故などがあったとすれば、それが午前中であっても、まず、その日一日は、ダイヤが正常に戻ることはないだろう。

 それが、

「しょせんは、JR。30年経っても、いまだ国鉄根性が抜けていない」

 と言われるゆえんである。

 かといって、このあたりに私鉄がないわけではない、ただ、刑部の住んでいるあたりを通っているわけではなかった。

 だが、その私鉄も、いわゆる、

「殿様商売」

 をしていて、何しろ都心部と呼ばれるところの自治体が、ことごとく、この私鉄には頭が上がらないという。

 ビックリしたのだが、前のマンションの通勤では、私鉄も近かったこともあってのことだが、JRで、230円区間が、私鉄では、290円区間に相当するという場所があった。どちらも最寄駅なので、便利のいい方の定期を買おうと思ったところが、6カ月定期を考えていて、

「まあ、1万円くらいの違いであれば、6カ月で考えれば、それもいいかな?」

 と思った。

 そもそも、安い方の定期代は会社から支給されるので、あとは、手出しになるが、それでもいいかということであった。

 私鉄側の駅にいって、定期券の値段を聞いたところ、思わず愕然とした、何と、差額が1万円どころか、2万円以上だったのだ。ほぼ3万円といってもいいこの違いは、

「ほぼ倍額」

 ということで、相当なショックを受けた。

「JRが安いとは思えない」

 ということで、

「私鉄がどれほど高いのか、それを誰も何も言わないのは、やはり、この私鉄にどこも頭が上がらないからだということなのか?」

 ということであった。

 実際に、

「どうして、これほど頭が上がらないのか?」

 ということに、いろいろなウワサが飛び交っていた。

 その中で信憑性のありそうな話として、

「今から、40年ほど前に、前竹刀を通っていた市電を廃止して、地下鉄を建造したのだが、市電を経営していた私鉄の跡地を、大げさではあるが、ただ同然で、市が買いたたいた」

 ということであった。

 だから、頭が上がらないというのだ。

 もちろん、ウワサでしかないが、頭が上がらないのは事実。

 もっとも、市長が、

「バカシタ市長」

 と揶揄されるだけの、ただの主婦層に人気があるだけで、任期を伸ばしているという市長だった。

 この市長にも、

「市長にあるまじき武勇伝がかなりあるようで、それを思うと、不倫のウワサも絶えない男だ」

 と言われていた。

「さすが、元アナウンサー」

 というタレント議員である。

 今は、出がらしのような感じなのだろうが、

「じゃあ、他に誰がするの?」

 ということだけで、市長の任期が長い。

 ある意味、

「腐った行政」

 といってもいいかも知れない。

 そんな市を離れて、田舎に引き込んだのは、やはり、

「閑静で余裕のある生活をしたい」

 という一心からだったのだ。

 前述のように、半分も住民がいないと、閑静なものだった。たまに、近所の公園から、子供の奇声が聞えてきたが、我慢できないほどではなかった。

「まあ、それくらいなら、いいのではないか?」

 ということだったのである。

 両隣には、誰も済んでいない状況で、その隣に、同じような一人暮らしがいた。

 前述のように、大学生の枯れ葉、苦学生だった。だから、自分で稼いだ金で部屋を借りているのだから、

「贅沢だ」

 ということはできない。

 一度、彼が近くの公園のベンチに座って、本を読んでいることがあった。刑部も、彼とは、

「一度話をしてみたい」

 と思っていたこともあって、

「こんにちは」

 と話しかけた。

 相手は、こちらの顔を知る由もないような顔をしていたが、それも無理もないだろうと思った。

 刑部は、最初からこの大学生を意識していたのに対し、大学生が、自分などを意識しているはずもないというのが普通だった、

 それも、空室を一つあけての、隣人である、距離的にはかなり遠いという感覚を持ってもいいかも知れない。

 案の定、訝し気な表情を浮かべたが、それも一瞬だけだった、

「こんにちは」

 と向こうからも声をかけてくれて、安心したのだった。

「隣の隣に住んでいる、刑部というものです」

 と自己紹介をすると、

「ああ、これは失礼しました」

 と、やっと記憶の奥にあったものを、取り出すことができたようで、表情が明らかに和らいでいくのが分かった。

「僕は、椎名というものです。今はまだ、大学生です」

 といって、前述くらいの情報は、その時、本人から聞いたことだったのだ。

「椎名君は、ここで本を読むのが好きなのかい?」

 と言われた椎名は、

「ええ、でも、僕には読書の際に、僕なりのこだわりのようなものがあるんですよ」

 というではないか。

「こだわりとは?」

 と聞くと、

「本というのは、いろいろなジャンルがあるじゃないですか?ミステリーだったり、ホラーだったり、恋愛小説だったりですね。僕は、そのジャンルによって、本を読む場所を変えているんですよ。もちろん、ずっとそこでしか読まないというわけではないですけどね。たまたま今回読んでいる本が、この場所で読むジャンルだったということですね?」

 と、椎名は言った。

 ということは、彼の言葉の裏には、

「いろいろなジャンルの本を、自分は読んでいるんだ」

 ということなのだろう。

「文学青年なのかな?」

 と思ったが、そう思えば思うほど、そうとしか思えなくなってきたのも、無理もないことであった。

「今日は、どんなジャンルの本を読んでいるんですか?」

 と聞くと、

「今日はSFですね、今日SFを読んでいるのは、公園で本を読みたいと思ったからですね。この本は、結構読みやすく、数時間で読破できるものだと思ったので、この間購入してきたんですよ」

 ということだった。

 ということは、

「今日の予定は、本を買った時点で確定していた」

 といって、過言ではない。

「どの場所で、どの本を読みたいというのは、何か、その場所に理由があるんですか?」

 と聞くと、

「最初は、あったんですよ。このジャンルならここってですね。でも、それは最初の場所だけで、そのうちに、ジャンルごとに分かれているというのが面白いと感じて、適当に読む場所を自分なりに変えてみると、結構嵌ったような気分になって、そのおかげで、いろいろな場所に行くようになったんですよ」

 ということであった。

 意外とそんなものなのかも知れない。

 確かに、一つの法則の元になることが自分の中で決まれば、後は適当であっても、様になってくるものだった。

 それを思うと、椎名君のいうことにも一理あると感じた刑部だった。

 刑部も、大学時代には結構本を読んだと思っていた。

 ただ、彼には偏りがあった。

 読んだ本は、ジャンルとしては、ミステリーがほとんどで、しかも、現代ものではなく、昭和前半という、

「今では想像もつかないような時代背景を、想像、いや、妄想しながら読むのが好きだった」

 ということであった。

 その頃は、

「探偵小説」

 と言われていた。

 なかなか、探偵小説というと、

「海外からの輸入」

 がそのほとんどだった。

 当時の日本は、

「探偵小説黎明期」

 と呼ばれていた。

 今のように、出版業界に溢れているようなジャンルというわけでもなかった。

 まだ、

「明治の文豪」

 と呼ばれる人たちの小説の影響が強い時代で、純文学や、耽美主義の小説などが多かったようだ。

 そもそも、時代が、

「激動の時代」

 ということもあり、

「事実は小説よりも奇なり」

 といっていた時代だった。

 戦争は頻繁に起こり、軍が介入することも多く、首都を襲う、大震災という未曽有の大災害に見舞われたり、安全保障のための、国境線を確立したいということで、外国に派兵士、さらには、傀儡国家をつくるという、一見暴挙のようなこともしたりしていた時代だった。

 そんな時代には、水面下で軍部が暗躍していて、実際には、

「派閥争い」

 であった軍事クーデターが起こったり、さらには、国境線を超えて、列強の植民地化に乗り遅れた部分を取り戻そうと、特務機関の諜報員が、暗躍することで、相手国家にクーデターを起こさせようとしたりしていた。

 現代でも、似たような国もあるが、当時の世界情勢は、ほとんどの国がそれくらいの暗躍は行っていた。

 しかし、今の時代は、基本的な平和の元、怪しい国家が存在するというものだ。植民地を持った帝国主義のような土台が根底にある時代とは違うのだ。

 それを考えると、

「今の時代は、何か突出したことをすると目立ち、侵略は悪だという構図が完全に確立しているので。昔とは違う」

 といえるだろう。

 だから、小説に出てくる世界は、明らかに昔のことであり、ちょんまげをしていて、刀を腰から下げた武士が街を練り歩いている時代と、さほど感覚的に変わるものではないかも知れない。

「だから、想像して本を「読むのが楽しい」

 というものだった。

 想像するからこそ、一度最初に読んだその場所が、

「想像するのに、この場所」

 ということになり、

「もし、他のジャンルの小説を読むとすれば、その場所は、必ず確立されることになるんだろうな

 と思うようになっていたのだ。

 だから、刑部には、椎名君の気持ちがよく分かった。

「だけど、公園でSFというのは、どんな想像がめぐらされることになるんだろうね?」

 と、いうと、

「この人、分かっているんだ」

 と、椎名君が感じたのか、ニッコリとした笑顔になって、

「児童公園には、いろいろな遊具があるでしょう? それがまるで円盤などに見えて、そして遊具と遊具の間にある微妙な距離が、星と星の星間という感覚になったんですよ」

 というではないか。

「なるほど、その星間という感覚には恐れ入った気がしましたよ。じゃあ、公園で遊んでいる子供たちは、さしずめ、宇宙人ということですか?」

 と聞くと、

「いいえ、そんな高尚なものではないですよ。せめて、地球外生物と呼ばれる、まるでバクテリアのような単純生物だと思います」

 というではないか。

 それを聞いた時、刑部は、

「ああ、この人は、子供が嫌いなんだな」

 ということを感じたのだ。

「子供がどれほど鬱陶しいものなのか?」

 ということを、刑部も近い将来に感じることになるのだが、その時、さらにその感情をたかめたのは、この時の、

「椎名君との会話だったんだ」

 というのは、ずっと後になっても頭から消えないことであった。

 刑部にも、

「子供が嫌いだ」

 という意識はあった。

 だが、先輩が面白いことを言っていた。

「子供が嫌いだと思っていても、自分に子供が生まれると、溺愛するものさ。だけどな、一度嫌いになった子供を好きになることはないので、今、お前が思っている子供に対しての感情が消えることはないんだ」

 といっていたのを思い出した。

「椎名君というのは、相手の感情をも動かすことのできる、

「面白い青年なんだ」

 と感じたのだった。

 刑部は、そんなことを思いながら、椎名君が、本を読んでいる公園で、自分は子供を見ながら、ボーっとしていた。

 普段であれば、苛立ちが次第にこみあげてくるにも関わらず、その時は耳が真空になったかのように、何も聞えなかった。

 むしろ、巻貝を耳にあてて、風が通る音が聞こえてくるくらいのものだったのだ。

 その時から、椎名君とは友達になった。彼が苦学生であることは、その時に聴いた。

 正直、あまり気の毒な生い立ちの人には、

「重すぎる」

 と思い、一歩下がって付き合うことが多かったが、彼を見ていると、そこまで暗そうにしていないことで、

「彼とは友達になれる」

 と感じたのだ。

 だが、実際に、話をしてみると、想像よりも、大変そうであり、後から思い返すと、

「結構重たいじゃないか?」

 と思うのだが、一度打ち解けてみると、そこから離れようとは思わなかった。

 そのおかげか、友達が、どんどん減っていっても、そんなに気にならなかったことが、今幸いしていると思えてきたのだった。

 椎名君の話を聴いていると、

「まるで、自分が経験してきたこと」

 という風に思えてくる。

 自分の経験など、

「彼の足元にも及ばない」

 と思うのだが、それはあくまでも、

「年上として見ているからだ」

 と感じるのだ。

 もちろん、彼が今経験している大学時代と、自分が経験したのでは、時代が違うともいえるのだろうが、一人一人の考え方自体が違っているように見えるのは、なぜなのだろうか?

 一つ不思議に思うのは、

「今の時代の方が、自分から何でも発信できるようになっているのに、なかなかそれを活用している人が少ない」

 と感じるのだ。

 SNSと呼ばれるものが、普及してから、昨今。確かに、今までできなかった発信方法を行うことができる。

「ユーチューバー」

 などという人たちが増えてきて、数年前などは、小学生などに、

「大人になって、なりたい職業は?」

 という中の上位に、

「ユーチューバー」

 というものがあった。

 特に、

「一度バズって、人気ユーチューバーと呼ばれるようになると、どんどんお金が入ってくる」

 という印象が深かった。

 だから、一時期、才能もないくせに、

「とにかく、インパクトの強いことをやれば、バズる」

 と言われたことで、結構無茶なことをしたりして、ニュースになっていたりした。

 例えば危険なところに登ってみたり、人の迷惑を顧みず、自分がバズるためだけに、人を利用したりというのが多かった。

 いわゆる、

「迷惑ユーチューバーと呼ばれる人たち」

 であった。

 本当に犯罪行為すれすれというのもあった。

 警察官の前で、堂々と、道路交通法違反、例えば、

「信号無視」

 などのことをあからさまに行い、警察に追われているという、

「捕り物劇」

 と、別人が撮影し、それをライブ中継したりして、バズらせていた。

「もし、その時に誰かをはねてしまったらどうしよう?」

 などという思いが少しでも頭をよぎらないだろうか?

 殺人犯になってしまえば、それこそ、本末転倒である。

 いや、そういう奴は、殺人犯になったとしても、それがバズるのであれば、前科がつくくらい何でもないと思っているのかも知れない。

「犯罪者が、ユーチューバーということであれば、人気になるんじゃないか?」

 とまで思っている人もいるだろう。

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