第2話 コンプライアンス
さらに、これらの問題に火をつけた。いや、相対的な問題として起こってきたのが、
「コンプライアンス違反」
という問題だった。
大きな意味では、ここに、
「プライバシーの保護」
という問題も含まれてきたのだ。
この時代における、一番の社会的な変化としては、
「IT革命」
というものではないだろうか?
電話も、ポケベルからケイタイへ、さらに、パソコンの爆発的な普及というものが大きかっただろう。
携帯電話が爆発的に普及した理由の一つとして、ちょうどその頃に起こった、大災害が大きな影響を持っていたのだ。
その災害というのは、
「阪神大震災」
であった。
大都会の神戸を中心に、大地震が起こり、インフラが壊滅したあの時、
「固定電話で連絡を取ろうとすると、まったく電話がつながらない」
というのが普通だった。
しかし、ケイタイ電話であれば、連絡が取れたのだ。
そこで、一気に、携帯電話の普及が進んだという話を聴いたことがあったのだ。
そして、パソコンも次第に普及していき、昔は、ワープロくらいしか機能がなかったパソコンに、マウスがついたりすることで、機能がいろいろ発揮できるようになった。
さらに、一番大きなものは、
「ネットの普及」
であろう、
インターネットや、メールなどで、仕事の効率も上がる。連絡も取りやすくなるというものだ。
しかし、弊害も起こってきた。
コンピュータウイルスというものが現れ、
「個人情報を抜いていく」
というものであったり、パソコンに悪戯をするものも出てきたりした。
抜かれた個人情報を使っての詐欺事件なども起こってきたことから、次第に、
「個人情報の保護」
というものが、叫ばれるようになってきたのだ。
さらに、時をほぼ同じくして、
「男女平等」
ということが叫ばれる時代になってきた。
いわゆる、
「男女雇用均等法」
というものに結びついてくるものだが、この観点は、そんなに簡単なものではないのだ。
そのせいで、言い方もかなり変わってきた。
「神経質すぎはしないか?」
と思う程、今まで平気で使ってきたことが、まるで、
「放送禁止用語ではないか?」
と思わるほどになってきたのだ。
そもそも、放送禁止用語と呼ばれるものも、法的な拘束力は何もない。放送関係であれば、
「放送倫理に引っかかる」
ということはあるだろうが、放送禁止用語を放送で流したからといって、侮辱罪になったり、精神的な苦痛を与えたことでの罪になったりはしないのだ。
あくまでも、放送局の自粛ということであり、勘違いの元だといってもいいだろう。
言わなくなった言葉のほとんどは、
「職業」
に関連したものだが、
「看護婦」
「スチュワーデス」
「婦人警官」
などがそうである。
{前述のように、作者は、別にかまわないということで、これからも、それらの言葉を使い続けるが}
ちょっと神経質すぎる気がするが、そんな時代において、叫ばれてきたのが、
「ハラスメント」
という言葉である。
最初の頃、よく言われたのが、
「セクハラ」
という言葉であった。
いわゆる、
「セクシャルハラスメント」
ということで、女性に対して、女性差別的なことをいうと、
「セクハラ」
と言われる。
「今日はきれいだね」
という言葉だけでも、セクハラになる。
また、
「まだ結婚しないの?」
という言葉も、昔なら、世間話くらいで、女性側も言われたとしても、苦笑いをしながら、
「なんてデリカシーのない上司なの?」
とばかりに、しょうがないという意識ではいたことのが、それまでのことだったのだろう。
しかし、それらを、
「セクハラだ」
と言い始めてから、他のハラスメントも、
「まずいのではないか?」
と言われ始めた。
「上司が帰らないから、部下も帰れないので、仕事もないのに、上司につき合い残業しなければいけない」
ということもあった。
上司だって、
「会社で、仕事があるわけではない。家に帰っても、女房子供がうるさいだけで、自分の居場所がない」
というまあ、勝手な理由で残っているだけだとすれば、部下とすれば、溜まったものではないだろう。
実際にそういうことも平気で行われていた時代があったのだ。
さらには、宴会などは、ハラスメントの凝縮のようなもので、
「女性社員は、上司にお酌をして回らなければならない」
ということであったり、男性社員でも、上司からの酒の誘いを断ると、
「俺の酒が飲めんのか?」
などと平気で言っていた時代である。
今の若者には、信じられない時代だろう。
そんな時代があったと言えば、早速、
「コンプライアンス違反だ」
と、100人中、100人がそういうだろう。
そんな今の時代なので、余計なことをしようとすると、必ず、何かをいう人がいるのだ。
昭和の時代のように、よかれとしたことでも、すべてが余計なことになってしまう。
就職の時の、履歴書一つをとっても、書いてはいけないこと、逆に、募集する側の募集要項にも書いてはいけないことなど、結構ある。
履歴書には、男女の区別や、本籍を書く欄がない。募集要項には、年齢制限を掛けてもいけない。
などという時代になってきた。
かといって、本当に男か女かということは、面接をすれば分かることで、しょせん、書類選考の時に、落とされないだけで、結局同じではある。
募集要項に年齢を書かないといっても、実際に面接をして30代と40代後半が来たとすれば、募集内容で適切な人を選ぶだけなので、年齢が高いと、圧倒的に不利だ。
あくまでも、年齢不問というだけで、実際には、
「30歳くらいまで」
というのが、影の募集要項というだけなのだ。
そういう意味では、
「本当にこれでいいのか?」
ともいえる。
年齢不問にすれば、
「ダメ元で」
ということで、応募してくる人もいるだろうから、面接をしないわけにはいかない。
しかし、最初から出来レースのように、、見た瞬間、不合格が確定しているような人にまで合わなければいけないというのは、企業側にもデメリットだし、就職希望の人にも、
「ワンチャンある」
として、思い込ませるという罪なことにもなるのだ。
どちらにも、デメリットでしかないのであれば、最初から年齢制限を書いておいた方が、お互いにいいはずなのに、
「コンプライアンスという問題は、実に面倒臭い要素を秘めている」
といえるのではないだろうか?
さらに、
「プライバシーの保護」
という観点からの、
「個人情報保護」
というのも、大切ではあるが、結構大変だったりする。
実際に、ハッカーと呼ばれる連中から、個人情報を抜かれ、
「数百万人の個人情報が流失」
というニュースがよく流れたりしている。
実際に、そのために、どのような被害があったのかということを、当局は分かっているのか、認識していないのかまでは分からないが、正直、恐ろしさもある。
それよりも、最近では、
「オレオレ詐欺」
であったり、
「振り込め詐欺」
などという新手の詐欺が横行し、気を付けなければいけないということを政府が発表していくと、さらに新手の犯罪が現れてきたりするという、
「いたちごっこ」
になったりするのだった。
そういう意味で、世の中は、
「とにかく、物騒だ」
ということになった。
さらに、ここ数年で、世界的に見れば、今に始まったことではないのだが、日本にも、入ってきたものとして、
「伝染病の流行」
というものがあった。
今までは比較的、
「地域的な流行」
というのが多かったが、今回の伝染病は、世界的な規模で、
「世界的なパンデミック」
と呼ばれた。
さすがにここまで世界で流行したウイルスが日本で流行るということはなく、政府もどうしていいのか分からないから、苦し紛れの、
「緊急事態宣言」
などというものを出したりしたのだ。
基本的に、
「有事の存在しない日本」
という国で、
「戒厳令」
と呼ばれる、本当の意味での、
「個人の権利の抑圧」
ということはできない。
そのためにできることは、
「努力義務」
であったり、
「政府からの要請」
という形でしかなかったのだ。
そんな時代において、
「とにかく、三密を避ける」
ということが叫ばれるようになった。
それによって、人込みが避けられるようになり、電車のラッシュも減ってきたのはよかったのだが、緊急事態宣言が終わってから、車通勤の人は結構大変になったかも知れない。
「公共交通機関では、密にならないように」
ということが、叫ばれ出してから、
「車を持っている人は、自家用車で通勤」
という人が増えたことだろう。
道路は混むし、駐車場の空きも、そんなにあるわけではない。そうなると、都会への通勤は、車では、ただでさえきついのに、さらにきつくなるということであった。
もちろん、通勤しないでもいいように、
「テレワーク」
というものが推奨されるようになったが、ほとんどの会社が、いきなり襲ってきたパンデミックに対応できるわけもない。
ただ、世の中は、都会に事務所を設けて、家賃などを考えると、事務所レスの体制を取ろうとしていたところは、大企業などでもあるようだ。
小さな営業所は廃止したりして、ネットでつないだ事業を考えているところもあるだろう。
だが、そんなに簡単にいくものでもないし、部署によっては、
「出社しないと業務が回らない」
というところもあるに違いない。
「テレワーク推進」
と政府が言っているくせに、地方の自治体であったり、都心部でも、一部のところは、患者数の把握を、厚生労働省に報告しなければいけないところ、
「いまだに、ファックスや、フロッピーなどを使っているところがある」
ということで、ワイドショーが取り上げたりしたことで、
「説得力がないではないか」
と言われるようになったのだった。
数年前にあった事件として、
「業務の手違いから、町民一人に1万円という給付にしていたものを、間違えて、一人に4千万以上の金を振り込む」
というとんでもないことをした街があった。
そこは、人的ミスであったのだが、そのシステムの煩雑さが浮き彫りになり、しかも、このような大切な仕事を、新人に任せるというようなことで、とんでもない醜態をさらすことになったのだ。
本人が返却をごねたりしたことで、全国的な問題となったのは、数年が経っていながらも、大きな問題となったのだった。
それを考えれば、
「国は何を偉そうなことを言ってやがるんだ。お膝元をしっかりしないとダメだろうに」
と言われる。
「なるほど、パニックや有事になった時、日本は、まともに政府が機能しないわけだ」
と言われるのも、無理もないことだ。
そもそも、政府のお偉いさんである、
「ソーリ」
が、
「検討に検討を重ね」
と、検討らしいことは何もしていないくせに、口でだけ言っているのだから、
「けんとうし」
などという言葉で揶揄されることになるのだ。
その前の、またその前のソーリも最悪だった。
「だから、元ソーリが、暗殺されるような国だということだ」
といえるだろう。
本当に、
「平和ボケ」
というのが、よく似合う国である。
そんな時代のあるマンション、刑部雅人が住んでいるマンションで、刑部の隣の隣の部屋の住民と比較的仲良くしていたのだが、実際に引っ越されてしまうと、刑部は、魂を抜かれたようになってしまった。
その人以外に、マンションで顔見知りがいないからだというのも事実だが、それだったら、最初から、マンションに顔見知りがいなければ、それでよかっただけのことである。
しかし、その人が引っ越していった理由も実は分かっている。ただ、気になるのが、
「自分に何も言わずに引っ越した」
ということであった。
別に、刑部に断りを入れないといけないという理由はどこにもない。しかし、刑部が引っ越していった理由が分かっているだけに、
「何で、相談してくれなかったんだ?」
と思うからだった。
実は、隣の隣の人と知り合いになった理由と、その人が引っ越していった理由というのが、同じところにあることで、そういう意味で、刑部も、
「無関係だ」
というわけではないのだ。
その人は、実は大学生だった。
正直、このマンションは、
「大学生が住むには、少し贅沢だ」
と言われるような間取りで、新婚夫婦か、子供が一人いるくらいでちょうどいい間取りだった。
いわゆる、
「2LDK」
という間取りだった。
ただ、その大学生は、親からお金を出してもらっているわけではなく、自分でアルバイトをして稼いだお金で部屋を借りていたのだ。彼は、理学部の研究員ということで、部屋が広ければ広いほど、いろいろ使えるということだった。
別に、危険な薬品を使うわけではなく、ただ広ければいいというだけだったので、ある意味ちょうどいい部屋だったのだ。
彼は、元々このあたりに部屋を借りたのは、
「閑静な住宅街で、静かな街並みのおかげで、静かに研究に勤しめる」
というところから、不動産屋との話の中で、
「このマンションがちょうどいい」
ということになったのだ。
彼は、大学で研究が忙しくなると、大学に泊まり込むことが多いので、遅くなった時、「家までが遠い」
ということを意識する必要はなかった。
それよりも、
「静かにゆっくりしながら、研究に勤しめる」
ということの方がありがたかった。
刑部も、同じような理由で、
「会社には、仮眠室というか、当直室があるので、遅くなった時は、会社に泊まればいいんだ」
ということで、少々駅から遠くても、あまり気にならなかった。
彼も、
「静かなところがいい」
ということを所望していたので、そういう意味でも、
「お互いに気が合うな」
と思っていたのだ。
会社からは正直、結構時間が掛かる。朝の通勤は、逆にラッシュに遭わずに行けるので、ある意味、気が楽だった。何とか、このあたりの役からであれば、座っていくことも可能だった。
「通勤で疲れることはない」
というと語弊があるが、短い時間であっても、ラッシュに飲み込まれるというのは、ありがたいことではない。
それを思うと、閑静な住宅街ということで、休みの日は、会社とは隔絶された感覚で、仕事も忘れることができる。それが嬉しかったのだ。
「毎日の通勤だけだな」
と、いくら、納得できているとはいえ、結局最後は、そこに行くのだった。
マンション住まいをしていると、時々一人が寂しくなって、友達を連れてくることもあったが、今はまったくなくなっていた。
学生時代の頃から、よく友達を連れてきていたものだった。
もちろん、今のような部屋ではなく、一般学生が住む、コーポのようなところだったので、少々うるさくなることはあっても、そこは皆学生ということもあり、それほど苦情が来ることもなかった。
しかし、大学を卒業し、今の会社に就職してから、会社の近くの安い部屋を借りていた。ワンルームか、1DKという、若い独身社員が住むにはちょうどいいところだったのだが、そんな部屋を借りると、一歩間違うと、
「たまり場」
のようになるのだろう。
実際に、他の部屋の連中も友達を連れてくるようになっていたりして、
「こっちは疲れているのに」
と思いながらも、気持ちは、
「いい加減にしてくれ」
というものだった。
学生時代は、もっともっとうるさかったはずなのに、それほど、鬱陶しいと思わなかったのは、
「自分も学生、相手も学生」
ということで、立場が同じだと思っていたからだろう。
しかし、就職してからというもの、
「早く学生気分が抜けるようにしないと」
と感じていたのだ。
というのも、
「今のままの学生気分だと、全然、仕事も覚えられないし、上司からも、何を考えているとでもいうように思われてしまう」
ということで、わざと、大学時代の友達と、距離を置くようにした。
そのことは、皆も分かっているようで、
「またしばらくしてから、連絡するから、しばらくの間はすまない」
といって、連絡を絶っていた。
実際に、会社に慣れてきたからといって、いまさら大学時代の友達と連絡を取ろうという気持ちにはなれなかった。
他の連中もそうなのか、まったく連絡をしてこない。会いたいと思えば、皆遠慮のない仲間だったこともあるので、誰かが声をかけてもいいはずだったのだ。
「やっぱり、皆、会社にどっぷり浸かっているんじゃないかな?」
と思うと、
「これでいいんだ」
と思うようになった。
かといって、会社の同僚を部屋に連れてこようという気にはならなかった。
「会社を離れれば、一人になりたいだろうしな」
という思いが強かった。
それは、自分にも言えることなので、そう考えるうちに、
「会社の知り合いとは、会社の中だけの付き合いなんだ」
と思うようになった。
皆も同じようで、同僚連中が、どのような交友関係を持っているかも知らない。知るつもりもないのは。あくまでも、
「個人は個人だ」
と思っているからだろう。
そういう意味で、
「むやみやたらと友達を作り、ただ、挨拶だけの友達が、そのほとんどだった」
という大学時代とは、そもそもが違っている」
ということなのだ。
大学時代は、
「友達の数」
というものが、その人のトレンドのようなものだった。
「あいつは、あんなにたくさん友達がいる」
ということで、まわりから羨ましがられる存在になることが嬉しかった。
大学生活では、
「まわりから羨ましがられるような男になりたかった。大学生活というのは、見た目が勝負だ」
とでもいう感覚だったといってもいいだろう。
それは、回りから羨ましがられるような男になれれば、本当に自分が、自惚れたとしても、それが自分の実力になると思っていたのだ。
高校時代には、皆が受験生で、敵だらけと思っていたところへ、大学に入ると、今度は、
「まわりから慕われたい」
と、ゴロっと変わる感じであった。
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