20、ベッドの下の男

 僕らが生まれるずっと前のこと、人間は月に行ったはずだ。そしてそれはでっち上げだというウワサが生まれた。そんな都市伝説は今では陰謀論として認知されている。月の石に、着陸点の痕跡、旗の動き。当然のことながら全て説明できることなのだが、人間はそんな事実より都合のよいウワサを好むものらしい。

「都合のいいウワサ、か」

 フォクが依頼を見ながらつぶやいた。管理人には妖怪からも人間からも依頼が届く。その折衝が管理人の仕事だからだ。

 多くのウワサは差別や偏見や恐怖、無理解から生まれる。どうせなら水道からご当地ジュースが出て来て欲しいものだが、これも願望だけではなく偏見が含まれているとフォクは思う。まあこれは事実になったりもした。

 時にウワサは教訓の皮をかぶることで広がった。教訓。外国でブティックに行って気を失い、目覚めると臓器を抜かれていたというウワサがある。そのような事実は確認できない典型的な都市伝説だが、それを指摘すると「嘘でも教訓になる」と正当化される。あるいは職質する警官が犯人だったとかもそうなのかもしれない。

 赤い部屋という無限にポップアップウィンドウが出るウワサについては、怪しいサイトのアドレスはクリックしないようにや、ウィルス対策ソフトはいれようといったことだったりするのだろう。あるいは学校の七不思議は、夜の学校に忍び込んではいけないという話だと解釈もできる。そう、教訓を隠れミノにウワサは伝播していくことがある。

「だいたい、隙間女になんの教訓があるっていうんだ」

 別にしゃっくりを千回しようが人は死なない。スイカの種を食べたところでヘソから芽は出ないし、ピアスを開けても耳に視神経は通ってない。隙間にいる女に気をつけろと言ったところで何の教訓になるというのか。それでも「この話にはなんらかの意味がある」と考えてしまうのが人間だ。ロアは大げさに肩をすくめて見せた。

「あえて言うなら、気づかないほうがしあわせ、かな?」

「……ささいな恐怖が物語になった、それ以上のものではないだろう」




 自室のベッドの下に誰かいる。

 ロアは気づいてしまった。ベッドの隙間の下に手が見えたのだ。気づかないふりをして台所まで来て呼吸を落ち着ける。ウワサでは、外に出て助けを呼んだから助かった。もし気づいて叫んでいたらきっと殺されていただろうと――。これは現実にもある事件だ。ベッドの下の何者かが人間なのか妖怪なのかが今のロアにはわからない。眼鏡を外して見ればいいのだが、それは嫌だ。

「よし」

 ロアはそこにあったタバコの箱をつかんで部屋に戻った。ベッドに横になって一本咥える。久々の一服、もっとおいしく吸いたかったなあ……。ふうっと煙を吐き出して、そっと下の様子をうかがう。動かない。ロアは手を伸ばし、床に火のついたタバコを落とした。もちろん、周囲に燃えやすいものがないことを確認して。

 立ち上った煙がベッドの下にも入っていく。そのとたん、ガタガタギシギシとベッドが揺れ動いた。地震のようだが家自体は揺れていない。まるでベッドの下に潜んだ何者かが暴れているかのように。そして激しく揺れた後、ピタッと動かなくなった。

 ロアはタバコを拾い、灰皿に押しつける。床の焦げは……なし。煙を嫌うところをみると、どうやら妖怪だったようだ。と、そこにドアをノックする音がした。

「はーい?」

 返事をしてドアを開くと、困ったようななんとも言いがたい表情をしたお隣のおばちゃんがいた。言いにくそうに手を当ててこそっとささやく。

「若いのはわかるんだけど……ちょっと激しすぎて音が……」

「いえ! そーいうんじゃないですから!」




「はは、『ただの妖怪』か。それはよかった」

 フォクは笑ったがロアにとっては笑い事ではない。警察に確認したところ、「ベッドの下に人がいるかもしれない」という通報が何件かあった。警官が駆けつけたときには何もいなくなっていたので、気のせいかもしれないということになったのだが……。もし、気づかれてしまったら殺されていたかもしれない。ウワサ通りに。

「怖かったんだからね。人間は勝手に消えてくれないでしょ」

「さあて、このウワサにはどんな教訓があったんだ?」

「整合性なんて後から作られるものよ。分類名ベッドの下の男、処分検討……っと」

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