第48話 あの日、山の中であなたは 2

──それは一方的な戦いだった。


いや、蹂躙と言ってもいい。

魔人の出す攻撃はその全てがかすりもしない。

そしてその後に魔人に降りかかったのは暴風雨。

ジョウと名乗る男が出した神器で、魔人はめった打ちにされていた。


「ふぅ、駆除完了、かなぁ……」


荒れ地になったその場所で、魔人は塵になって消えた。

ジョウは汗を拭うような仕草を見せたあと、ミルファの元へと歩み寄る。


「大丈夫? 平気?」


「どうして……どうして、私を助けたの……?」


とっさにミルファの口を突いて出たのは、ソレだった。


「私はもう、ぜんぶ諦めたのに……私が生きてる限りまた次も狙われて、世界が滅びることになってしまうのに、なんでっ」


責めるような言葉が、ミルファの口を突いて出てしまった。


……分かってる。このジョウって人は何も悪くない。


ジョウに感謝してもおかしくない、いや感涙してすべきなのだろう。

それに、ミルファ自身だって生きたいと思っていたはずなのに。


……でも、こんなのおかしいじゃないっ。


自分の命を諦めて、やっぱり諦められなくて、でも理不尽に奪われようとして、かと思えば唐突に救われた。


……まるで誰かのお人形遊び。私の人生なんて私を操る人の匙加減ひとつ。そんなものに翻弄される人生なんて……納得がいかない。そんなのが私の人生だなんて言えるのっ?


でも、それはただの八つ当たり。

ミルファの内側の憤りで、ミルファにしか分からない葛藤にすぎない。

本当の本当にジョウには何の関係もないことなのだ。


「……」


……私、最低だ。助けてもらえたっていうのに。


謝らなきゃ。


「あのっ、」


ミルファが口を開きかけた時だった。


「なんで助けた、か……それはとても簡単なことだ」


ミルファの責めるような口調に、ジョウが気づいた様子はなかった。

むしろ嬉々としてミルファを見つめていた。


「最初に君を見た時、運命を感じたから」


「……運命?」


「つまり俺が君にひとめ惚れをしたからだ」


ジョウはそう断言した。


「……は?」


ミルファから、間の抜けた声が出た。


……ひとめぼれ? 何が? えっ、誰に? 君?


……君って……私?


……イミガワカラナイ。


ミルファは混乱した。

ひとめ惚れとは……確か人が人を好きになった時に使う言葉、そういうものだとは知っている。知識として。

でも、これまでのミルファの人生に全くと言っていいほど縁の無い言葉だ。


目を回すミルファに、しかし構わずジョウは続ける。


「だってこんなにめちゃくちゃ可憐でエキゾチック美人で、どことなく凛々しさを感じさせる佇まいが最高にクールで、それでいて人を悩殺できるレベルの美人さんなんだぜっ? そりゃ惚れるさ。あっ、美人って2回言った? まあ2回じゃ言い足りない位なんだから丁度いいよね、うん。ちょうど良いはず」


「ちょっ……え、えぇっ!?」


「君のことが好きだ。君とずっといっしょに居たいと思った。だから、俺は君のことを助けたんだ」


脳中枢が痺れるようだった。

それほどまでにジョウの言葉は新しい刺激だった。

初めて向けられる"好意"というものに、ミルファは、自分が自分で分からなくなっていた。


「バッ──バッカじゃないノっ!?」


ミルファは叫ぶ。

顔は真っ赤だった。


「ナニソレっ、なにそれっ! 私のことが好きっ? だから助けたってっ? おかしいわよ、そんなのっ!」


「なにが?」


「私なんか助けても何の特にもならない、あなたにとっても、世界にとっても! 私はここで死ぬべきだったのに! 私が生きていたら、私以外の全てが、あなたも含めて死んでしまうの!」


「なんで?」


「見れば分かるでしょ、この額の紋章を。私はいずれ魔王になってしまう器なの。魔王が生まれれば、この世界は滅びの道を歩むことになる。そのために、魔族は私を狙うの……だから、私は魔族に掴まる前に自ら死ぬべきで、助けられるべき存在じゃ、」


「──じゃあ、俺は死なないから」


ジョウは膝を着いた。

泣き崩れるように地面に膝を着く、ミルファと同じ高さに目線を合わせて。


「魔王とか滅びの道とか知らんけど、でも俺はきっと君より1秒でも長く生きて、君が死ぬまでの間ずっと幸せにし続ける」


「なっ、何を……私が、死ぬまで……死なないって……」


「うん。約束するよ。君が死ぬまで守り切ってみせる。そして幸せにする。俺は約束もぜったい守るヤツだから。君のことを死ぬまで……ってあー、もうこれはアレだな。やるしかない」


「……?」


「きっとこれが運命で、俺の人生で最初で最後の"とある覚悟"ってヤツを見せる場所がここなんだな」


ジョウはそう呟くと、手を差し伸べてきた。


「俺と結婚しよう。魔族たちをぜんぶ打ち倒して」


「──っ」


そのひと言。

それが、ミルファの心の底に突き立っていた大きな大きな氷柱つららのようなものが一気に溶けて、波音を立てる音がした。


「……あれ」


目の端に、いつの間にか温かな涙。

こんな言葉は知らなかった。

そんな風に、自分のためだけに差し出される手なんて初めてだった。


「……はいっ」


だから思わず、ミルファはその手を取っていた。


魔族をぜんぶ倒す……そんなことできるはずがないとは思っていた。

それにやっぱり自分という魔王の器がこの世に生きているべきとは思わなかった。

でもそれでも……ジョウの気持ちが嬉しくて。

ジョウに身を委ねたくなった。


「やった……こんなカワイイ子が、俺の婚約者に……」


フラフラと。

ジョウが体勢を崩す。

ミルファはそれを支えようとして──


チュッ。


「────ッ!!!」


唇が重なった。

それは事故だった。

しかし、間違いなくミルファにとってのファーストキス。

ジョウも、


「ふへへへ……キッス、やった……」


むにゃむにゃと寝言のように呟いて喜んでいるようだった。


……というか、寝てるっ?


ジョウはどうやら寝息を立てていた。

その息はどこかアルコール臭い。

もしかして酔ってる?


……まさかさっきの言葉も、酔った勢いなんじゃ……。


ミルファは大きなため息を吐く。


……そうかも。酔った勢いだったのかも。でも、いいや。


……あの短い一刻で私のことを好きだと言ってくれた。


……こんな私に結婚しようだなんて言ってくれた。


それだけでも充分に、今日まで生きていてよかったと思える。


「ありがとう。ジョウ、君……」


その名を呼ぶ。

ドキドキとした。

吊り橋効果というヤツだろうか?

分からない。でも。

いま胸に抱えるこの熱い想いは決してウソではない。

そう信じた。


「もう1回、ごめんね」


ミルファは再び、眠るジョウへと口づけをした──




* * *




──まるでそこは真夜中だった。


そこはミルファの心の中だった。

ただし、魔王の張り巡らす闇に囲われた、脱け出す道も何もない心の中。

常にどこからか冷たい風が吹き抜ける。

照らすものも何もない。

凍えるほどに寒く、孤独な……そんな場所。


そんな場所で、ミルファは立ち上がった。


「諦めてなんか、居られない」


走り出す。どこへ向けてかも分からずに。


「私は戻る! 絶対に! 魔王なんて知らないッ!」


ミルファは真夜中みたいな空に向かって叫ぶ。


「ジョウ君が好きだからッ! ジョウ君にまた会いたいからッ! 私はここから出てみせるぞ、魔王ッ!!!」


ミルファは走って走って走り続ける。

息切れをして途中で停まっても、またすぐに走り出す。


……そうだ、走れ私。ジョウ君の元へ。最初から、自分の正体を明かすかどうかで悩む必要なんて何もなかったんだ。


「だって私はジョウ君がどうしようもないくらいに好きなんだもの。だったら、たとえジョウ君がどんな反応をするかが怖かったとしても……私はどうにかしてジョウ君といっしょに居られる道を探すしかないんだから」


ミルファはその暗闇の中を駆け巡る。

すると不意に、


「──ッ!?」


唇に、何かが触れた。

それはとても憶えのある……口づけの感触。

私を呼んでいる、求めているあの感触だ。


「ジョウ君……!?」


必死に目を凝らす。

ジョウ君が、このすぐ外側できっと私を待っている。

辺りを見渡すと……頭上。

そこに薄く細い、糸状の光が微かに差し込んでいるのが分かった。


「そこ……? そこなのね……!?」


その光の糸に手を触れる。

すると、流れ込んでくる熱い感情。

それはミルファのことを心の底から想ってくれているジョウの愛情だった。


「ありがとう、ジョウ君。いま行くね」


ミルファは糸を掴んだ。

するとその糸が上へ上へと引き上げられていく。


「──待てっ、行くなっ!!!」


地面から声が投げかけられる。

それは恐らく……魔王のもの。


「くっ、いつの間に心にスキが……おえっ。あの野郎、なんてことをっ! 舌で奥歯をなぞっ……おえっ」


魔王は地面に膝を着いて嘔吐えずく。

どうやら表では、ジョウ君が必死に私の意識を呼び戻そうとしてくれているらしい。


……ありがとう。おかげで活路が見えたよ。


「やめろっ、止まれっ!」


魔王が嘔吐きながらも、ミルファの脚を掴んだ。


「その器は、その肉体は私の……」


「違うっ」


ミルファは断言する。


「この体はあなたのものでもなければ、私だけのものでもない。私がジョウ君を抱きしめるために必要な肉体カラダで、ジョウ君が私を抱きしめてくれるために必要な肉体カラダ。つまり、お呼びじゃないの、あなたは」


「何をっ、バカなっ」


「演者交替よ。あなたじゃ力不足」


ゲシっ、と。

ミルファは力いっぱい縋りつく魔王の体を蹴飛ばした。


「待てっ、待てぇぇぇ────ッ!!!」


魔王をその暗闇に残して、ミルファは夜の外へと向かっていく──




* * *




空の上。

俺は必死にミルファと唇を重ね合わせ続けていた。

すると、


「──んっ」


キュッと。

俺の腰に、ミルファの腕が回った。

これまで一方的に動かしていた俺の舌に、まるで阿吽あうんの呼吸のようにミルファの舌が絡みつく。


「えっ……ミルファ、ちゃん?」


唇を離す。

俺の視界の先にあったのは、見慣れた赤面するミルファの表情で。


「……ただいま、ジョウ君」


「──ッ!!! おかえり……ミルファちゃん!」


……ミルファちゃんが魔王の心に打ち勝ったんだ。


「改めて言わせてくれ、ミルファちゃん。俺に君を幸せにさせてほしい」


「……はいっ。それと、ごめんなさい」


「そうだね、俺の方こそ、ごめんなさい」


「これからね、いっぱい聞いてほしい話があるの。私のこれまでと、私たちのこれからについて」


「ああ。全部聞くよ、今度こそ。これからたくさん話し合って幸せになっていこう」


俺たちは再び唇を重ねる。

そうして伝わってくる熱だけで、これから先にきっと待つであろう幸せの証明には充分過ぎるほどだった。

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