第47話 あの日、山の中であなたは 1
──まるでそこは真夜中だった。
そこはミルファの心の中だった。
ただし、魔王の張り巡らす闇に囲われた、脱け出す道も何もない心の中。
常にどこからか冷たい風が吹き抜ける。
照らすものも何もない。
凍えるほどに寒く、孤独な……そんな場所。
「こんなの、あのとき以来だな……」
ミルファは膝を強く抱える。
大切な人にもらった胸の中の温かなモノまでが、風にさらされて冷たくなってしまわないように──。
* * *
──1カ月弱前の日の、山の中。ミルファは命を絶とうとしていた。
「ああ、ここまでか……」
4体の魔人がすぐ近くまで迫ってきていた。
額の紋章を見られ、ずいぶんと前から執念深く追ってくるヤツらだ。
辛うじて山の中に逃げ込んだが、ここもまた別の魔人の支配下。
きっとすぐに捕まってしまう。
……でも、捕まるわけにはいかない。私が捕まったらこの世界が終わる。
これまで身を隠し、細心の注意を払って生きてきたのに……
下らない油断だった。
前に身を寄せていた村で、死にそうな子供が居たのだ。
その子をついとっさに魔法で助けてしまった。
その時に出た魔力反応を感知されたのが運の尽き。
「見逃せばよかったのに……ホント、馬鹿だ」
……もう、完全に逃げ切るなんてことはできない。ならば。
ミルファは短剣を抜く。
潮時だった。
首に刃を当てる。
……死のう。それが一番簡単に全てを丸く収める手段。
「ふぅ……」
……私の心の真ん中には氷柱が立っている。
常に冷え切っていて、もう何も感じはしない。
辛さも、悲しみも。
だから大丈夫。
……簡単に死ねる。
ああ、でも、未来を思えば少し胸は痛む。
だって、私が死んだらこの紋章は別の赤子に引き継がれるらしい。
その忌々しい役目を次世代に繋いでしまうのは申し訳ないけど、事がここまで及んでしまったなら仕方がない。
「ふぅ……フゥ……ッ!」
短剣を引こう。
頸動脈に沿って。
短剣を引くんだ。
冷たい刃を上から下に。
短剣を──。
「…………ッ!」
短剣は、手から滑り落ちた。
引けない。
どうしても引けなかった。
「──なんでッ、私が……ッ!」
幼い頃に両親は死んだ。
私の額に魔王の紋章があったからだ。
私を捕えようとする魔人か人間に殺されたのだ。
友人なんてできなかった。
私の額に魔王の紋章があったからだ。
正体を隠すため、各地を転々とするしかなかったのだ。
幸せなんてどこにもなかった。
私の額に魔王の紋章があったからだ。
私は魔人からも人間からも逃げ続けるしかなかったのだ。
「……死にたいわけないよっ! 死にたく……」
涙があふれ出してくる。
冷たい。
……私の涙はなんでこんなに冷たいのだろう。
胸の中が締め付けられるように苦しい。
それは悲しみでもあり、同時に怒りでもあった。
この世の理不尽に対しての強い憤り。
「まだ私は何も……恋だってしたこともないのにっ」
何も悪いことなどしていない。
それなのに、ミルファの周りは不幸で満ちている。
この額の紋章があるから。
魔法が使えてしまうから。
そんなの……全部自分で望んだワケじゃない。
「なのに、どうして死ななきゃいけないの……? こんな、私のことを嫌いな世界のために……」
「──死ぬ必要なんてない。キサマは魔王様の器なのだから」
低い男の声が響く。
ミルファが顔を上げた先に居たのは、魔人。
「あなたは……この山の……!」
「そう。俺のことを討伐に来たわけではないらしいな? そして自害するつもりもないらしい。ならば大人しく器としての役目を果たしてもらおうか」
ミルファは短剣を拾い──振るう。
「風よっ──我が御言に呼応し給えッ!」
自害のためじゃない。
生きるために。敵を倒すために。
しかし、魔人の男は強かった。
ミルファは傷つき、練ることのできる魔力も尽きた。
「さあ、その身を捧げてもらおうか。魔王様に」
魔人の男が笑う。
地面に膝を着くしかできないミルファを見下ろして。
……ああ、本当にコレで終わりか。
全てを諦めたときだった。
真っ暗な真夜中の山の中に、輝かしい光が瞬き始めたのは。
ミルファも魔人も、その光景に固まった。
自然現象なんかではない。
それに神々しい。
そして、光の中から現れたのは──
「──あぇ? ココ……どこ?」
謎の男だった。
顔つきから見て20代くらい。
体に白い雲のような光を纏っている。
その姿はまるでおとぎ話の神様のようだったが……
……人間? やたらと顔は赤いけど……。
「なんだキサマは? 妙なヤツめ!」
「あっ」
魔人の、容赦のない手刀がその男へと飛んだ。
死ぬ。
死んでしまう。
ミルファは短剣を振るった。
でも魔力はとうに尽きている。
ミルファはその光景をただ見ることしかできない──
バキョォッ!
「あ痛っ」
「「ッ!?」」
手刀は確かに男の首へとクリーンヒットした。
しかし男は死んでいない。
それどころか手刀の当たった場所を「痒い」とか言って掻き始めた。
「このっ」
魔人が追撃を仕掛けた。
顔面へ全力の殴打……しかし。
「なんだぁ、テメェ」
男は全く痛痒も感じさせぬ反応。
そして殴り返した。
これまでに聞いたことの音を立て、魔人が吹っ飛んだ。
……な、なに、それっ!?
あの魔人が、そんなに軽々とっ?
ミルファは呆然とただ口を開けることしかできない。
そうこうしている内に、数秒。
男は辺りを見渡して……そして、ミルファに目を向けた。
「………………っ!!!」
男の目が見開かれた。まん丸に。
口も。開け放たれた窓のように。
そしてその頬は、先ほどよりもいっそう紅潮していった。
「……カっ」
……カ? 分からない、いったいなに?
男は何かを訴えかけるような眼差しでミルファを見ていた。
ミルファは戸惑う。
その熱の込められた瞳に見覚えはない。
自身の正体がバレたときに人間から向けられる冷たい視線とはまるで正反対。
「カ……カ……カワっ!」
「か、皮?」
「カワイイッ!!!!!」
男は叫んだ。
「え、可愛すぎる……え、どうしよう。あ、あの、突然すみません。俺、八坂醸っていいます。いちおう公務員で、その給料とかは安定してて、けっこう優良物件? な感じなんですが、」
「???」
……な、なに? カワイイ……可愛いっ?
ミルファは、突然喋り出したジョウと名乗る男に戸惑うばかりだった。
これまで向けられたことのない感情、熱のこもった弁舌。
話す言葉も人間臭い(あとアルコール臭い)。
……それに、この人は私の顔を見て、目を見て話す。
誰もが、ミルファの正体を知ってからはその顔に目を向けようとしなかった。その紋章が目に入るのを嫌がって、醜いとさえ言われたこともある。
……それなのに、この人は……
「あれっ、君、ケガしてるっ!?」
男はミルファの方を見て驚く。
「こっちも、こっちにも血が……それに君、泣いてるのかい?」
「え……えっ?」
気付けば、ミルファはまた泣いていた。
自分でも知らない内に。
それは先ほどまでの悲しみと怒りの涙とは少し違った。
「──オイ、キサマ……やってくれるじゃねーか……!」
後方で、先ほど吹き飛ばされていた魔人が起き上がった。
ダメージは深いみたいだが、しかしどうやら余力は充分らしい。
さらに本気を出したのか、よりいっそうその面持ちは殺意に満ち溢れている。
しかし、
「お前がやったのか、この子を」
ゾクリとするほどの低い声。
それはジョウという男から発せられていた。
「この子を傷つけたのはお前かと聞いている」
「そうだ。聞き分けがなってなかったからなぁ。それがどうした?」
「そうか、分かった。よぉし有罪」
ジョウの右手に、光が宿った。
「刑法9999条……【こんなに素晴らしい女の子を傷つけるヤツは死刑】に則り刑を執行するぜ……」
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