第35話 誰でも簡単ビジネス
「なんだ嬢ちゃん。残念だがもう取引は終わった後だぜ。買いたきゃ次の機会にするんだな」
「いや、違うっスよ。別にその取り引き自体に待ったをかけたワケじゃないっス。私はそれとは別にお兄さんたちと取り引きをしにきたんスよ」
ニーナは今しがた冒険者たちに渡された木箱を指差した。
「お兄さんたちが買ったその薬ぜんぶ、1金貨で私にまとめて買い取らせて欲しいんス」
「は?」
「お兄さんたちが80銀貨で仕入れた
男たちは顔を見合わせた。
首を傾げながら指を使っている……確かに20銀貨増えるらしかった。
「あ、売らないっスか? じゃあ仕方ないっスね。私はこれで」
ニーナはすぐに踵を返そうとする。男の1人がそれを呼び止めた。
「分かった分かった! 売るよ!」
「お、マジっすか? じゃあコレで取り引き成立っスね!」
ニーナの手から1金貨が離れ、そして薬の入った木箱が再びシャロン側へと戻ってきた。男たちは満足したようにその場を去っていく。それを見送って、
「まあ、ちょっと焦った人間の思考なんてこんなもんスよ」
ニーナが呟いた。
結果的に男たちの手元には20銀貨分増えたかもしれない。しかし、店頭で販売されるポーションの価格は仕入れ価格の1.2倍。つまり10個のポーションを買うとなれば1金貨と20銀貨が必要である。しかし、男たちの手元に舞い込んだのは1金貨……
ポーションが欲しいのであればニーナの甘言になど乗らず、落ち着いて商品をそのまま保持していた方がよっぽど得だった。
「人は増えるってワードに弱いっスからねぇ。私たちも騙されないように気をつけるっスよ」
ニーナはやれやれといった風に言った。
シャロンはよく分かっていなかった。
冷静に計算してみる……
「あなた、バカなんじゃない?」
シャロンは悪意なく、ニーナにそう訊ねた。
「この薬は結局薬屋に持ち込んでも1金貨でしか売れないのよ? それを1金貨で買うなんてただの労力の無駄遣いなのだわ」
「ははあ……シャロンさん、あなたはちょっと勘違いしてるっスね。商人という生物のことを!」
「……はあ? 商人って、人間でしょ?」
シャロンは鼻で笑う。
シャロンは商人という存在を飽きるほど見てきた。
自分を見るや否や積み荷を放り出して逃げる弱き存在だ。
「人間はしょせん人間なのだわ。私は帰る。薬は好きにしてどうぞ」
「その木箱を薬屋まで運んでくれたら手間賃として1銀貨差し上げるっス」
「……」
シャロンは考えた。
1銀貨あれば、グリルした香ばしい干し肉が2皿食べられる。
シャロンは木箱を運ぶことにした。
* * *
「ちーっス! ポーションの販売にキタっス!」
ニーナが現れると薬屋の店主は不思議そうな顔をした。
いつも薬を売りに来るのはミルファだったからだ。
「ミーさんとは懇意にさせていただいてまして、代理で販売をお任せいただいているっス」
ポーションはいつもミルファが売りに来るとおり、品質にまったく問題はない。
「ところでこちらのお店は長いんスか? 薬草とかはどこから仕入れてらっしゃるんス?」
取り引きが済んで安心した店主の心のすき間を突いてニーナが話題をふる。
ニーナの話術は巧みだった。
あれよあれよという間に店主の信用を得たかと思うと、元々手に提げていたカバンからこの辺りには自生しない薬草を取り出して売っていた。
「……あなた、いつも商品を持ち歩いているわけ?」
「もちろんス。ビジネスチャンスは逃せないっスからね!」
薬屋を後にしたニーナはホクホク顔だ。
結局ニーナは薬草の束を30銀貨で売っており、収支はプラスに転じていた。
「ちょっとしたひと手間で、1金貨の支出をそれ以上の収入で賄い、さらには薬草の販売ルートも得ることができたっス。今ある1を1以上にする……それが商人という生き物なんっスよ」
「ふーん。で、それが何なの?」
シャロンは別に感心したわけではなかった。
どちらかというと呆れていた。
たかだか少しの利益のために手練手管の限りを尽くすのが滑稽にしか見えない。
「それがどうした、っスか……そうっスねぇ、つまり、」
ニーナは閃いたように指を立てた。
「つまり、ちょっと工夫するだけで、シャロンさんはシャロンさんの好きなお肉を今以上にいっぱい食べれるようになる、ってことっスかね」
「……」
シャロンは考えた。
「……いいわね、ビジネス」
シャロンは商人っていいなと思った。
シャロンはお肉が好きで、いっぱい食べれれば幸せだったのだ。
「ホントっスか!? いやー、ビジネスの良さを少しでも分かってくれたなら嬉しいっス! 実ははた目から薬を行きずりの冒険者に売ってるシャロンさんがすごくつまらなさそうだったんで……つい声をかけちゃったんスよねぇ」
「物好きね……人間って不思議なのだわ。まあいいわ。とりあえず教えてくれない? どうすれば商人になれるのかしら?」
「そうっスね……まずは人々が何を求めているのか、それを知ることっスかね。単純なことっスけど、人々が欲しがってるものが売れるものっスから」
「なるほど?」
「1番簡単なのは困っている人を見つけて、その人のお願いを聞いてあげることっスね!」
「なるほど!」
シャロンは理解した。
つまり、困っている人を見つければいい。
ニーナと別れて、シャロンは宿へと帰ることにした。
その帰り道、どこかで幼子の泣いている声が聞こえた。
近くの裏路地だった。
「──あなた、何か困っていることはない?」
迷子になっている幼子にシャロンは声をかけ、そして家を探してあげた。
その母親からシャロンはお礼として10銅貨を貰った。
「これが、ビジネス……」
シャロンは10銅貨で買った干し肉をモチャモチャ噛み締めながら、ちょっとした満足感と共に帰路へ着いたのだった。
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