第4話 混乱

 今後一年かけて潮汐ロック後の地域配置を精密に計算し、対応策と併せて公表する。主眼は対応策の策定のほうで、それはパニックを防ぐために必須だ。一年という時間は、そのために必要な時間だったはずだ。


 だが、その計画は、あっさりと崩れてしまった。


 会見から約二か月後、自転遅延問題研究所の内部資料がネット上に流出してしまったのである。


 流出したのは観測データから対策案のたたき台のような会議録まで多岐にわたる詳細な内容で、研究所も本物だと認めざるをえなかった。犯人は不明のままだ。


 流出資料によれば、潮汐ロック後の世界に関するシミュレーションはほぼ完成していた。あとは誤差の修正程度である。


 昼となるのは、アジアだった。最も人口の多い地域である。おおむね、南アジアから太平洋までが昼の地域に入っている。


 十年後、アジアは太陽の沈まない灼熱の土地となるのだ。アメリカ東部と大西洋には二度と明けない永遠の夜が、東欧、中東、アフリカ大陸東部には永遠の朝が、そしてアメリカ西部と東太平洋の一部には、永遠の黄昏たそがれが訪れる。

 俺たち日本人にとっては、死刑宣告に近い衝撃的な内容だった。


 いっぽう、同時に流出した二つの対策案のほうは、出来が良いとはいえなかった。


 一つめは、地球脱出計画である。技術革新を加速して、宇宙ステーション、月、火星に移住するという。

 素人の俺からみても現実味がない。技術革新を加速なんて、言うは易くなんとやら、だ。仮に技術的に可能になっても、地上からの補給なしでは続かないだろう。会議資料のペーパーを撮影した画像ファイルが流出したのだが、その最後の余白には、手書きで『非現実的』と書かれていた。


 もういっぽうは、もっと陳腐だ。地中か海底の適切な場所で大量の核爆弾を爆発させ、その爆発のエネルギーで再自転を促す、という案なのである。

 ほとんど妄想だ。策に窮した担当者が、苦し紛れにひねり出したとしか思えない。






 情報流出の報道から少し経った、ある日のことだった。

 仕事から帰ると、美由紀はソファに座っていた。隣には遊び疲れたらしい彩奈が、ソファで眠っている。彩奈には毛布が掛けられて、テレビのニュースが小さな音で流れていた。


 美由紀は玄関を開ける音も耳に入らなかったのか、俺が帰ってきたことにも気付いていない。

 後ろ姿の肩が、かすかに震えていた。


 俺は声をかけられず、立ち尽くした。

 安易に大丈夫だとか、気休めを言うのは、今の彼女に対して失礼な気がした。美由紀は穏やかな性格だが、弱々しい女性ではない。こんなふうに泣く姿を見たのは、初めてだった。


 しばらくすると、美由紀はティッシュを取り、目をごしごしこすった。さらにもう一枚とって、大きな音を立てると彩奈が目を覚ますと思ったのか、少し遠慮がちに鼻をかんだ。そうして、眠っている娘に向けてつぶやいた。


「彩奈、大丈夫だよ。ママとパパがついてるからね」


 しっかりとした、決意のような感情がこもった声だった。


 俺は二人を守るなどと思っていたが、それは思い上がりだった。俺たち二人で、かけがえのない娘を守るのだ。いや、もっと言うなら、家族三人で支え合いながら、これからの難しい世界を生きていくのだ。


「ただいま」


 彩奈を起こさないよう、俺は小さく声をかける。

 振り向いた美由紀は、いつもと変わらぬ笑顔だった。






 それから六年が経った。

 激しい嵐のような、混乱の六年間だった。


 最初に起きたのは暴動と略奪だ。世界中で連日暴動が起き、放火や略奪が横行した。東京でも、自衛隊が出動する騒ぎに発展した。


 世界各地で、終末思想的なカルト教団が乱立した。集団自殺を奨励する宗教、地下生活をすれば助かると教え、ひたすら穴を掘る宗教など、とんでもないものが現れては、トラブルを起こして消えていった。


 各国は、生き残りをかけて動いた。

 世界第一位と二位の人口を擁するアジアの二国は、アフリカをターゲットにした。早々にアフリカ大陸への大移住計画を打ち出し、マネーの力を源泉としてアフリカ各地へ進出する。両国はアフリカの土地をめぐって、激しくせめぎ合った。

 実際、他に有効な策がない以上、朝と夕方の地域(昼夜境界領域と呼ぶらしい)への移住政策は、数少ない選択肢だったのだ。


 アメリカは遷都を決めた。サンフランシスコの南に新首都ウエスト・ワシントンが建設され、首都機能の移転が着々と進められている。


 中東諸国は、相次いで移民の受け入れを厳格化した。EUをはじめとする、世界各国からの急激な人口流入を危険視したのだ。これまでは中東の紛争地域からヨーロッパへと向かっていた移民の流れは、皮肉なことにいまや完全に逆転してしまっている。


 そんな中、日本政府が打ち出した方針は『船舶せんぱく移住』だった。

 交渉によって移住先の確保を目指すが、どうしても足りない場合には客船を用意して、洋上国家として生き残る。よりよい方策が実現するまで、国民には洋上生活をしてもらう、というものだ。すでにアメリカの排他的経済水域内に、居住用海域を数か所、借り受けている。


 突拍子もないように聞こえるが、他国との軋轢あつれきを生みにくい利点はある。問題は、日本人一億人を収容するだけの船を用意できるかどうかだ。


 できたとしても、おそらくそれは「最後の手段」であり、避難船に近い劣悪な環境になるだろう。できれば、それ以外の移住手段をとりたい。


 彩奈ももう小学四年生だ。いずれ移住は避けられない。早いほうがいいが、今は中東だけでなく世界中の国が移民受け入れに後ろ向きで、よほどのコネでもないかぎり難しい。美由紀とも相談しているがなかなか打つ手はなく、俺はやや焦りを感じていた。


 大事な話があるといって戸村が訪ねてきたのは、そんなときだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る