沈まぬ太陽、明けぬ夜

旗尾 鉄

第1話 始まり

 最後の朝を迎えたのは、いったい何日前だっただろうか。


 最後に夕日を眺めたのは、それよりももっとずっと前だ。






 の始まりが正確にいつだったのかは、誰にもわからないだろう。

 だがそのことを思うとき、俺はいつも、六年前の初夏のある夕暮れを思い出す。まだ、この世界がだった頃のことを。たとえば一日は二十四時間で、朝になれば日が昇り、日が沈めば夜のとばりが降りる。そんな当たり前の常識が、常識として信じられた頃のことを。






 いまから六年前、初夏のある夕暮れ時のことだ。


「おうい、望月もちづき


 一日の仕事を終え、退社しようとエントランスから外へ出たところで、俺は聞き慣れた声に後ろから呼び止められた。


 振り返ると、予想通りの顔があった。同期の戸村とむらである。がっちりした体型に、四角い顔、角刈り風の短髪。一見するとコワモテに見えなくもないが、人懐こい笑顔のおかげでその印象は薄れ、陽気な営業マンの雰囲気を保っている。


 戸村とは、大学時代からの友人だ。性格や趣味が似ているわけでもないが、妙にウマが合った。同じ商社に就職して十五年、大学時代も含めれば、文字通り二十年来の付き合いになる。俺は総務、戸村は営業と部署は違うが、親交は変わらず続いていた。お互いに結婚してからは、家族ぐるみの付き合いだ。


「いつものビアガーデン、先週からオープンしただろ。久しぶりに、このあと一杯やろうぜ」


 戸村はどちらかというと、就業時間中よりもアフターファイブが得意なタイプだ。そういえば、こいつと飲むのは確かに久しぶりでもある。

 俺たちは駅とは違う方向へと足を向けた。






 デパート屋上の夏季限定ビアガーデンは、もうだいぶ席が埋まっていた。会社に近く値段も手ごろなので、俺と戸村は夏場はここで飲むことが多い。


 テーブルに着き、中ジョッキとつまみを注文すると、戸村はさっそくネクタイを緩め、汗をぬぐった。


「しっかし、毎日暑いなあ。まだ夏の入り口だってのに、来週は三十五度まで上がるらしいぜ」

「ああ。毎年どんどん暑くなるよな」

「温暖化、温暖化って言いながら、たいした対策してないもんなあ。自業自得だな」


 酒の席になると、戸村はよく喋る。営業に異動してからは、特に磨きがかかった。二人で飲むときは、俺はたいてい合いの手を入れつつ聞き役だ。


 運ばれてきた中ジョッキで乾杯する。今年の新人はハズレが多いとか、上司の営業部長が小心者で困るとか、そんなことを面白おかしく語ったあと、戸村はおもむろに言った。


「しばらく会ってないけど、美由紀みゆきさん、元気か? 彩奈あやなちゃんは何歳になったっけ?」


 ああ、やっぱり来たな。そう思った。

 美由紀は俺の妻、彩奈は娘である。言いにくいことを話すときは家族の話題を前置きにする、戸村の癖だ。なにかあるのだろう。


「二人とも元気にしてるよ。彩奈は来年から幼稚園だ」

「そうか、うちの隆太りゅうたより二歳上だから、そうだよな。ママに似て美人さんだから、幼稚園じゃモテるぞ。すぐに彼氏を家に連れてくるから覚悟しとけ」

「バカ言うなよ。幼稚園児に彼氏もクソもあるか」

「ははは、冗談だよ。そう本気で怒るな」


 たわいない冗談に続けて、戸村は真面目な顔になった。


「実は、尚子しょうこと離婚することになりそうだ。隆太は尚子と暮らす」

「えっ? 原因は? まさかまた、投資じゃないだろうな」


 戸村の悪い癖のひとつが、投資だ。学生時代から為替相場や株式をいじっていた。小さく当てて大きく外すを繰り返し、トータルはマイナスらしい。


 競馬やパチンコよりはましだと本人は言うが、儲からなければ同じことだと思う。結婚後も妻の尚子さんに内緒で大失敗して、尚子さんを激怒させたことがある。


「そのまさかなんだ。三百万、溶かしちまった。尚子に白状したら、もう我慢できないと。本気で別れる話になった」

「おいおい、二度目だぞ。もう弁解の余地はないぞ」

「隆太を私立の学校やってやることとか、いろいろ考えたらつい、な」

「それは言い訳にならんだろう」

「これから迷惑かけるかもしれん。すまん」


 俺からは、とにかく謝れとしかアドバイスできない。そんなこんなで、その日はお開きになった。


 思えば、このときの戸村との飲み合いが、「普通の夜」の、最後の飲みだった。


 この数日後、アメリカの研究機関が、今につながる大異変の第一報を発表したのだ。

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