第6話 誘拐事件

 縁談が終わり、御門みかど家の面々は馬車に乗って帰ることになった。


 ルイは屋敷の門まで行って彼らを見送った。


「本日はお越しいただきありがとうございました。父がお見送りできなくて申し訳ありません」


 ゼノンは用事があると言って屋敷の奥に引っ込んでしまった。


 もっともらしい口実を設けていたが、実際には縁談が上手くいかず拗ねているだけだろう。


「いやいや、こちらこそすまんね。せっかくお誘いいただいたのに」


 御門家の当主は申し訳なさそうに言った。


「いえ、御門家の皆様との会食はとても楽しく、得難い時間でした。またお会いしましょう」


 ルイがそう言うと、当主はいたく感動したようだった。


「本当にうちの娘の気がしれんよ。君のように立派な貴公子との婚約を逃すなんて。君にはきっとすぐに婚約者ができてしまうだろうね。その頃になって娘も後悔することになろう」


「いえ、椿様は本当に素晴らしいお嬢様です。きっとその器量に相応しい男性と巡り会えることでしょう」


「本当に君と別れるのが寂しいばかりだよ」


「ルイ様。美味しいお食事ありがとうございました。また学園でお会いしましょう」


 椿が馬車に片足をかけて手を振りながら別れの挨拶をする。


 実に颯爽とした姿だった。


「椿!」


 椿が車内に体を滑り込ませようとした時、ルイが後ろから声をかけた。


「?」


「いえ、帰り道お気をつけて」


「ええ。ありがとう」


 御門家の面々を乗せた馬車はクルス邸から離れていく。


 ルイは馬車が見えなくなるまで見送った。




 椿が去った後もゼノンの腹の虫はおさまらなかった。


 彼女の誠意を尽くした正直な言葉にもかかわらず、ゼノンには彼女の言いたいことは何も伝わっていなかった。


 何かとごちゃごちゃ理屈をつけているが、要するに彼女はクルス家のことを見下しているに違いない。


 ゼノンが商人上がりの新参者に違いないから、元々上流階級のあの娘は下に見ているのだ。


 でなければ、一つ星の魔導士シングル・ウィザードの称号を持つルイからの求婚を断るはずがない。


 今回の破談はゼノンの自尊心を深く傷つけ、心の奥に封じ込められていた身分に対する劣等感を抉り取り、揺さぶって呼び起こした。


 よし。


 ならばいいだろう。


 そちらがそうくるなら、こちらにも考えがある。


 成り上がり者のやり方というものを見せてやろうじゃないか。


 ゼノンは商人時代の伝手を頼って、自身の領内にいるごろつきに呼びかけた。


 ライバルを蹴落とすために使っていた傭兵崩れのごろつき達であった。


 御門家がクルス家の領地を抜けるまでに2日かかる。


 宿場町に寄った後、さらに山間の森林に囲まれた細い道を抜けなければならない。


 ごろつき共に御門家の御令嬢がその道を通ることを教えて襲撃するよう唆した。


 高貴な身分の子弟誘拐も生業にする彼らは、喜んでこの話に乗った。


 ごろつき共の中には魔法を使える者もいる。


 彼らは御門家の馬車が通る道で待ち構え罠を張った。


 土の地面を突然ぬかるみに変えるトラップ魔法だ。


 馬車が魔法の範囲内に入ったところで発動し、矢を射かける。


 ぬかるみと突然の射撃に動揺する御者と護衛を負傷させると、いきりたった椿が馬車の中から飛び出してくる。


 そうして勢いよく飛び出したものの、ぬかるんだ地面で思うように足が動かず椿もやはり動揺した。


 山賊達は飛んで火に入る夏の虫とばかりに詰めかけて、網を放り刀を振れないようにした上で、彼女のみぞおちを殴り気絶させた。


 椿は山奥にある常人ではとても見つけることのできない山賊達のアジトへと連れ去られる。




(う。ここは?)


 椿は埃っぽい部屋の片隅で目を覚ました。


 あまり掃除は行き届いておらず、瞬きをしただけで目の中にゴミが入ってくる。


 椿は体の自由がきかないことに気づいた。


 後ろ手に縛られ、口にも猿轡をかけられている。


 品のない野太い声で話す男達の声が聞こえてくる。


「お、なんだ。起きたのか?」


 男の1人が話しかけてくる。


 返答しようとするが、声が出ない。


「ちょっと強く殴りすぎたから心配していたが、お嬢様が目を覚ましたようで安心したぜ」


 男は下卑た笑いを浮かべて椿の方を見た。


(殴られた? 私が? うっ)


 椿は腹部に痛みを感じて思い出した。


 クルス領から出る途中の道で山賊に襲われて、馬車から出て応戦しようとしたけれどぬかるみに足を取られて、殴られて……。


 椿は怒りに目をたぎらせて山賊達を見据えたかと思うと、激しく体を揺さぶって暴れようとした。


 しかし、椿を後ろ手に縛る縄はしっかりと柱に結び付けられており、暴れようにも立ち上がることすらできなかった。


「んー。んー」


「何か喋りたそうにしているぜ」


「喋らせてやれ」


 盗賊の一人が猿轡を外してやる。


「この下郎どもが。私を誰だか知っての狼藉か!」


 椿が鋭く一喝するも、賊たちはゲラゲラとせせら笑う。


「おお、怖い怖い」


「まるで人でも殺しそうな勢いだ」


「この刀さえあればな」


 賊の一人が椿の愛刀を弄んでみせる。


「くっ、この」


 椿は手首を縛る縄を引きちぎろうとするも、手に力を入れれば入れるほど縄は椿の柔肌に食い込んでくる。


「やめときな。その縄を解くのは不可能だぜ」


「助けを呼ぶのもな」


「あんたが何者かはようく知ってる。魔法界でも屈指の名門の一つ御門家。その御令嬢、椿様だってな」


(!? こいつら私が誰か知った上で……)


 椿は薄ら寒いものを覚えた。


 この山賊共は椿が御門家の一人娘と知った上で今回の襲撃に及んでいる。


 誰かが自分達の旅程をこの山賊達に教えたということだ。


「お前達いったい誰から私のことを聞いた」


「さぁな」


「安心しな。別にあんたのことを殺そうとまでは思わない」


「身代金さえもらえりゃすぐに解放してやるよ」


「ふざけるな。誰がお前らの思い通りになんか。うっ。ゲホッ」


 椿は声を張り上げようとするが、みぞおちの痛みに喉を詰まらせ咳き込んでしまう。


「声を張り上げても無駄だ。ここは人の寄りつかない山奥の小屋。どれだけ叫ぼうが助けは来ないぜ」


 賊の一人が椿の髪を掴んで顔を引き寄せる。


 椿は悔しげに瞳を潤ませる。


「お貴族様が払うもん払えば解放してやるよ。ただ、あんまり騒がれるとこっちとしても耳障りでな」


 男は椿の頬にナイフをピタピタと当てて、暗に脅す。


「おとなしく黙っているか。それとも俺達に黙らせてもらうか。どっちか選びな」


 椿は観念して黙り込むほかなかった。


「へへへ。いい子だ。そうして大人しくしてな」


 椿は悔しさを堪えておしのように黙り込む。


(くそっ)




 その後、椿はまるで死んだように沈黙を保った。


 なるべく山賊を刺激しないように存在を消すのだ。


 だが、山賊達は酒をあおり、賭けをしていくうちに、苛立ちが募ってきたようだ。


 喧嘩腰の荒ぶった声が聞こえてきて、徐々に物に当たっていると思しき音が聞こえてくる。


 椿は山賊達の苛立ちがこちらに向かないよう祈るほかなかった。


 拷問のような時間が過ぎていく中、ついに山賊の一人が痺れを切らした。


「あー、だめだ。俺我慢できねえ」


「おい、何をする気だ?」


「なんで俺達がこんな山小屋にいつまでもいなきゃならねえんだ。追加の報酬を貰えなきゃ割に合わないぜ」


「追加の報酬?」


「お嬢様に払ってもらうのさ。体でな」


「おいおい。冗談だろ? あんなガキに」


「ガキと言っても侮れねえぜ。持ち運んだ感触じゃ十分育ってる」


「だが、あれは大切な……」


「なぁに。人質としての価値がありゃ十分さ。どうだ? お前も一緒に楽しまないか?」


「……そうだな。たまにはいいか」


 山賊達は椿を取り囲んで彼女の着物のえりに手をかける。


「くっ、やめろ」


「まあまあ、そう嫌がるなって」


「減るもんじゃねえよ」


「離せ」


 椿は振り解こうとするも、着物を剥ぎ取られる手を止めることはできない。


 きめ細やかな肌の肩が露出した。


 男達は舌なめずりする


「へへへ。年の割に育ってるじゃねぇか」


「いやぁっ」


 その時、小屋の扉が勢いよく開かれる。


(えっ?)


「よかった。間に合ったみたいだな」


 そこに現れたのはルイだった。


「なんだ。お坊ちゃんか」


「びっくりさせないでくださいよ」


「困りますぜ。仕事の途中に入ってこられては」


「それとも坊ちゃんも楽しみます? へへへ」


接続コネクト


 ルイが呪文を唱えると、影が急速に膨らみ、賊共の足元に闇より暗い漆黒の夜が広がる。


 そして賊達はすべて沼に沈むように影に飲み込まれていった。


「大丈夫かい?」


 狐に摘まれたような気分で一部始終を見ていた椿は、ルイに声をかけられてハッとする。


「ルイ? どうしてここに」


「辛かったね。今、解いてあげるから」


 ルイは椿の手首を縛る縄を解いてやる。


「ルイ。よかった。私、怖くて。辛くって」


「うん。もう大丈夫だよ。山賊達はここから遠く離れた場所に転送したから」


「ルイ……」


 椿は目に涙を溜めてルイに抱きつく。


 ルイは椿の抱擁をひとしきり受けて彼女が落ち着くまで待った。


「大丈夫? 落ち着いたかな?」


「うん。でも、ここってどこなのかな。山賊達は山奥だって言ってたけど」


「山奥だね。林で隠れた誰も見つけられないような場所にこの山小屋は建てられている。でも、大丈夫だよ。もうすぐ迎えが来るから」


「迎え?」


「うん。さてと。それじゃ俺はそろそろ行くよ」


「行くってどこに? 助けが来るんじゃ」


「助けは来る。けれども俺はもう君とは一緒にいられないんだ」


「どうして? 一緒に居てよ」


「君を誘拐したあの山賊達。彼らを動かしたのは父上なんだ」


 椿は愕然として息を呑むほかなかった。


「……そんな」


「俺はあいつらの後始末をしなきゃいけない。だから先に行かせてもらうよ」


 ルイの体が影に沈んでいく。


「じゃあね。もう、クルス家に近づいちゃダメだよ。次は君を殺さなくちゃいけなくなるからね」


「ねえ。待って。ルイ。わけがわからな……」


 だが、椿の言葉を待つことなくルイは影の中に沈んでいった。


 伸ばした手は虚しくくうを彷徨う。


 その後、馬車襲撃の知らせを受け、御門家の食客である天城祐介が、わずかな痕跡を頼りに誰もたどり着けないはずの山小屋にたどりつき、置き去りにされた椿を救出する。

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