2016年某月(七つの大罪『憤怒』)
「さて、次は私の番だ。私はサタン。憤怒の悪魔だ。私が、お前を一番追い詰めたのだが、最後は踏みとどまった」
「言われなくても分かっている。あの時の事だ。私が憤怒に支配され、拘置所に入った時の事だろう?」
「そうだ、あの時、一線を越えていれば実体験を元にした小説で有名人になり、金儲けも出来たのに……。刑務所に入るという経験も出来るし、その間に小説を書いても良かった。同じ方法で作家になった奴がいただろう?」
「そんな方法は嫌だ。なによりも暴力は嫌いだ。なのに、あの時は相手を殺そうとまで思ってしまった」
「恥じる事は無い。それが人間だ。だが、本当に残念だよ。お前がこちら側に来ることを拒むなんて……」
私は、その日、酒を飲んでいた。隣には、その当時付き合っていた女性が居た。だが、私は別れたかった。その女性は他人への見栄を張るために金遣いが荒かった。その為、私は彼女の為に借金をして旅行する事もあった。
その結果、借金は100万円を超えた。月給16万だった当時、とても返せる額ではなかった。別れたい。何度も伝えた。だが、彼女はその都度、反省はするのだが、2ヶ月もすれば元に戻った。
そんな時、夢を見た。
彼女と結婚し、老夫婦になっていた。祖父が買い発電所となった土地も先祖から受け継いだ農地も父が立て替えた家も全て失っていた。私と彼女の間に子供は出来なかった。
「なんにも無くなったけど、あなたが居れば幸せだわ」
彼女は何の悪気も無く、そう言った。私は、何も答えなかった。私に子供ができ無かったことは仕方ない。だが、甥っ子に残せる財産が無くなり、先祖代々受け継いできたもの全てが無くなるのは耐えられなかった。
そんな夢を見た後、正月の番組で芸能人が言っていた。
「彼女が帰ってほっとしている自分に気が付いた時、彼女の事が好きじゃないと気が付いてしまった」
この言葉は私の心に刺さった。その場で彼女に告げた。
「分かれて欲しい。私も彼と一緒で、君が居ない方が幸せだと感じている」
「別れたくない。悪い所は治す。だから、一緒に居て」
私の答えはノーだった。今まで、何度も話し合っていた。借金の事、生活水準の事、だが彼女は結局自分が他人より幸福だと実証したいから私と付き合っているだけだった。
そのために、先祖からもらい受けた財産がどうなろうとどうでも良いと思っていた。私は、金のなる木だと思われていた。さらに、泣いて同情を誘えば言う事を聞いてくれる優しい彼氏だと思われていた。
実際、この時も別れることが出来なかった。
それから、2ヶ月経った。今まで通り、2ヶ月たって彼女は我慢を止めた。そんな時、親戚に飲みに誘われた。相手は私と同い年、家も近いので度々、一緒に酒を飲む間柄だった。彼女も一緒に何度か飲んでいた。
彼女の長所は社交的な所だった。そこが気に入って付き合ったのだが、社交的だという事は他人との比較を行う機会が多かった。私は、その事に気が付けなかった。私は社交的ではなく、内向的で自己完結できる世界で生きていたからだ。
他人と比較したら地獄が始まる。出来ていない所に目を向けたら自分の価値が下がる。出来ている部分だけに目を向ける事が出来るのは悟りを開いた人間だけだ。私は、彼女の長所にだけ目を向け、短所には気が付かなかった。
そして、彼女は自分の短所に目を向けていた。
彼女は悟りを開いていなかった。だから、他人に自慢が出来る裕福な実家がある私を手放したくなかったのだ。この日、私は親戚と彼女と三人で居酒屋で酒を飲んだ。そして、二次会は親戚が通っているスナックに行った。
私は、別れたいと思っていたが、飲み会で親戚と仲良く会話し、話題を提供したり話を盛り上げたりする彼女を見て、良い所もあるんだけどなと思っていた。だが、見えてしまった未来は納得が行かなかった。
私は、酒に飲まれる事はほとんどなかった。頑丈な肝臓を受け継いでくれたご先祖様たちに感謝している。だが、この日、私は泥酔していた。
飲み会が終わり、親戚と別れた後で、私は今まで我慢していた感情があふれ出した。
「もう嫌だ!別れてくれ!」
私は絶叫していた。
「どうして?今日も楽しく飲んでたじゃない」
「このまま、君と付き合っていると我が家は破産する。甥っ子に何も残せない!」
「そんな事は無い。私は節約するし、家業も手伝うから」
実際、彼女は実家の農業を手伝ってくれている。今時、珍しい女性だった。だが、結末を知っている私は、その言葉を信じることが出来なかった。
「そんな言葉は信じられない!今すぐ別れてくれ!」
深夜の繁華街に私の絶叫は響いていた。だが、田舎の繁華街だ、人もまばらで誰も気にも止めていない。
「嫌よ。あなたの御両親には助けてもらった。その恩を返すまでは別れたくない」
彼女は私の両親から金銭的支援を受けていた。私は彼女と結婚を前提に付き合っている事を両親に報告に行った。最初は、否定的だった両親も彼女の社交性に触れ、農作業を笑顔でこなす彼女に次第に心を許していった。そして、結婚しても良いとまで言う様になった。
そこから、彼女のターンである。
私が実家の農業を手伝いに行くたびに言うのだ。
「彼の給料が安くて生活が苦しいけど、なんとかやりくりしてます」
こう言われたら、両親は金を出さざるを得ない。手伝いに行くたびに金を渡されるようになった。それまで、実家の為に働くのは無報酬だった。
私は、それでも援助して貰っていると思っていた。農作業を手伝う代わりに、米や野菜など買えば数十万になるほどの量を貰っていたのだ。なのに彼女は金銭も要求したのだ。休日に1日手伝うだけで2万円の報酬を受け取るようになった。明らかに過剰報酬だった。
旬の食材、タラポ、ミズ、フキ、長芋、ニンニク、ミョウガ、山の幸がタダで食えるのだ。スーパーで買えば、数十万になる物を受け取っているのだ。 特に、長芋は秋と春に収穫される糖度の高い高級品、私は農作業を手伝うだけで、タダで食えるのだ。
ニンニクも中国産の小粒で香りも栄養価も低いモノではなく、二粒食べたら血がサラサラになりすぎて鼻血が出るほどの効能がある大粒のニンニクだ。金に換えれば十万円は降らない。
安い給料でも金持ちが大金を払って手に入れる物をタダで貰っていたのに、金を要求するなんて有り得ない事だった。
ここまで、両親から物質的にも金銭的にも援助をさせて、浮いたお金で贅沢をする彼女が恩返しなどできる訳が無い。だから、私は別れたかった。
「恩返しは要らない。むしろ別れてくれた方が恩返しになる。私は未来を見た。君が贅沢の限りを尽くし、家も土地も何もかも失う未来だ。別れてくれ、それしか方法が無い」
「嫌よ。ご両親に恩返しをするまで別れない」
私は彼女を説得する事が出来ないと悟った。そして、やってはいけないことを始めた。最低な事だが彼女を殴ったのだ。
「君が別れてくれるまで私は殴るのを止めない!」
なんで、この時、ジョジョに出てくるセリフを言ったのかは分からないが、確かにそう言って殴ったのだ。言い訳に聞こえるかもしれないが、千鳥足の酔っ払いが放った鉄拳である。彼女は何のダメージも受けていなかった。彼女が私と対面した時、そう言われた。
「気が済むまで殴っていい。でも、私は別れない!」
彼女は私を恐れる事無く、そう断言した。本当に痛くなかったのだろう。私は、それからも殴ったり蹴ったりしたが、彼女は怯むことなく私の攻撃を受けていた。
自分が酔っぱらっているせいで力が入っていない事に気が付かずに暴力を振るい続けた。だが、効果が無かった。だから、私は武器を装備する事にした。コンビニで果物ナイフを購入し、彼女に向けて脅したのだ。
「別れてくれないのなら、殺す!」
武器があれば彼女が引くと思っていた。
「いいよ。あなたと別れるぐらいなら死んだ方が良い」
当てが外れてしまった。このまま心臓を刺すか?そう思った時、妹夫婦、弟、父と母、祖父と祖母が悲しんでいる顔が見えた。殺してはいけない。私のゴーストが、そう言っていた。
だから、脅すことにした。私は彼女の首にナイフを当てた。この時、私は知っていた。ナイフは当てただけでは切れない。私は、彼女と別れ話をした時に、自分の手首に包丁を当てた事が在った。そのまま動脈を切って死のうとしたことがあったのだ。だが、刃物は引かなければ切れない事を知っていた。
当てる事は出来ても引くことは出来なかった。彼女もそれは知っていた。料理をしていれば普通に分かる事だ。そして、彼女は私を信じても居たのだ。私が優しい人間で人を殺すことは出来ないと知っていたのだ。ある意味、本当に私の理解者だった。だが、私は彼女を必要としていないのだ。
彼女が目指す未来は、私の望む未来と違っていたのだ。
「別れてくれ」
「別れるのなら死なせて」
私は本当に愛されていたのだ。だが、金銭感覚は一致しない。私は、借金をしない生活がしたかった。彼女は借金をしてでも贅沢な生活をしたかった。
私は、彼女を憎めなかったし、殺せなかった。どうか、もっと金持ちの男を捕まえて幸せに成って欲しい。その為に、私は彼女を切り刻むことにした。殺さずに手足に切り傷を付ける。そういう風にナイフを振るった。
彼女は斬られたことに驚いて尻もちをついた。
「どうしよう。血が出てる」
彼女が首と手から血を流していた。頸動脈を切ったつもりは無かった。だが、出血していた。恐怖を感じた。彼女を死なせたくなかった。
急いで携帯で119に電話した。だが、繋がらなかった。死んでほしくなかった。彼女を殺したいのではない、別れて幸せに成って欲しかったのだ。
110に電話した。こっちは簡単につながった。
「事件ですか?事故ですか?」
「事件です。彼女をナイフで刺しました。救急車をお願いします」
「場所は、どこですか?」
「○○市××町、△△銀行近くのコンビニの駐車場です」
「貴方の名前は?」
「白井阿弐です!救急車を手配してください。彼女が死んでしまう。私は逃げません!罪を償いますから、どうか早く救急車を!」
「大丈夫です。救急車は手配しました。落ち着いて、なぜ、刺したんですか?」
「別れ話で拒絶されて」
「分かりました。もうすぐ、救急車と警察車両が、そこに行きます。待てますか?」
「はい、どこにも逃げません。彼女を助けてください。お願いします」
「では、警察が到着するまで、通話を続けても大丈夫ですか?」
「はい」
こうして、私は警察に逮捕された。
人生で初めて拘置所に入る事になった。深夜だったこともあり、取り調べは翌日からとなった。拘置所に入るときに携帯電話や財布は没収された。
拘置所には何人か居たが、犯罪者が少ないのか私は一人部屋に入れられた。この日の経験は人生を一変させた。
酔いが覚め、朝ご飯が提供される。もちろん牢獄の中でだ。拘置所では、朝ご飯はサンドイッチだった。以外に美味しかった。初日は残したが、翌日には完食するようになった。
水は、食事の時にコップ一杯が支給される。もちろん、喉が渇いたら看守に言えば水は貰えた。布団の出し入れと、朝の掃除は自分でする事になっていた。この生活を私は尊いと感じていた。
犯罪を犯したことで、人間として正しい生活の仕方を学んだのだ。
必要最小限の食事をし、掃除は自分で行う。それをしているだけで、身も心も清められていくのを感じた。
取り調べは、朝から行われた。刑事さんとマンツーマンで何があったのか、認識合わせが行われた。彼女の証言と私の証言が一致するかの調査だった。
だが、私は記憶が曖昧だった。担当の刑事から「覚えている範囲で良い。何があった?」と言われたので、正直に覚えている事を話した。
「私は罪を犯しました。嘘や隠し立ては致しません。どうか、正しく裁いてください」
私が、そう言うと刑事は驚いた顔をしていた。
「分かった。だが、彼女は訴えないと言っている。罪は軽くなるだろう」
「そうですか……」
私は、刑がどうなろうがどうでも良かった。私が加害者で彼女が被害者だ。正直に自分がやった事を話、罪を裁かれる。その結果、懲役になるのなら、その報いを受けようと思った。
拘置所に入った後、両親が面会に来た。
「どうして、こんな事を」
母が、泣きそうな顔で言ってきた。
「ゴメン、どうしても別れたくて」
「こんなに、追い詰められていたなんて気付いて上げられなくてゴメンね」
母は、知っていた。私が彼女と別れたがっていたことを……。だが、母に彼女と別れたいと相談した時、母は彼女の味方をした。私が、甥っ子の為に金食い虫と縁を切ろうとしていたことを理解してくれなかった。
「ゴメン。こんな事をして本当にゴメン」
父も泣いていた、
「彼女とは別れる。一緒に居たら同じことを繰り返すと思うから」
「分かった。もう、反対はしない。彼女にも言って聞かせる」
母は協力してくれた。
警察から、弁護士をどうするのか聞かれた。伝手があるのなら頼む事も出来ると言われたが、親戚に弁護士は居ない。その場合、国選弁護人を雇う事になると言われ、それで良いと答えた。
弁護士との最初の会見で私は、こう言った。
「私は自分の罪を認めています。だから、無実の証明は必要ありません」
「あなたが、そういうつもりなのは分かりました。ですが、自分に不利になるような証言を強要されたりしたら言ってください。あなたの助けになります。あと、何が困っている事が在るのなら手助けします。何かありますか?」
「手紙を届けてくれませんか?」
「ええ、出来ますよ。誰にですか?」
「彼女へ届けて欲しい。私が何を思って、こんな事をしたのか伝えて欲しい」
「分かりました」
それから、私は彼女への思いを書き綴った手紙を弁護士に渡した。金銭感覚が違うから一緒に生きられない。暴力を振るった事は最低だった。慰謝料は払うから別れて欲しい。このまま一緒に居たら同じことを繰り返すと思う。という内容だった。
彼女からの回答は別れても良いだった。
それから、私の有罪が確定し、暴行傷害で罰金刑となった。罰金は父が立て替えてくれた。今でも感謝しているが、まだ恩返しは出来ていない。いつか成功して、この時の金を利子をつけて返したいと思っている。
出所後に、彼女と対面し、謝罪した。彼女は慰謝料を要求してきた。100万払うのなら別れると言ってきたのだ。
私には払えない。彼女の為にした100万の借金があった。だが、両親は払ってくれた。私の借金も、彼女への慰謝料も全部負担してくれたのだ。だから、この時、私は農業を継いで親孝行しようと思っていた。
だが、神様との約束は。全人類を救う事だった。私は神様との約束を忘れていた。農業を継げば親孝行になる。だが、それは私がやるべき事では無かった。
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